日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
自業自得②
自業自得
②
ここで釈迦が教えておられるのは―自業自得―である。
業とは『行為』のことであり、私たちが何かの行為をすれば、それが原因になって次の行為がある。小さな嘘をつけば、それを糊塗するために別のウソをつかねばならなくなる。
恋人に『好きだよ』と言えばその言葉の責任を取らなければならない。人を殴ればそれが何らかの反応を生む。
この様に一つの行為が別の行為を生み出す力のことも業という。
私たちは自分の行為(自業)の責任を取らねばならない。
自分が悪いことをして、その結果は他人に肩代わりしてもらう、というのは、だいぶ虫が良すぎる。
いや、絶対に他人に肩代わりは頼めない。
私たちは必然的に自分の業の責任を取らされる。逃げようとして逃げられるわけはないのだ。
釈迦は私たちにそう教えている。
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翻って我々の国の宰相・安倍晋三は、相当あこぎなことをやっているが、自分では、全く責任を取ろうとせず、その行為を他人のしでかしたことにして、官僚にウソの答弁を強い、自分を庇(かば)ったご褒美に役所の長に任ずる。
自分に逆らった官僚は、嘘と罪をでっち上げて、週刊誌や新聞でたたく。会計検査院をも抱き込み、司法・立法・行政の人事権を握ってやりたい放題を尽くしている。
政治家の行いにブレーキを掛けるのは選挙だが、民主党の野田代表をたぶらかして解散させ、不正選挙で大勝をでっち上げてから、不正選挙の連続で、いつも出鱈目な自公が大勝する。全く怖いものなし、出鱈目の連続だ。
この悪業の報いは、必ず、安倍晋三に降りかかり、晋三の悪業に加担した者どもにも業過(ごうか)が及ぶことになる筈だ。 終り
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