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パク・インヒ(パク・イニ)とウニ②  ウニ「恋歌」「花の指輪をはめて」

 
 
 なんて可愛いくてきれいな声なんでしょう。この”恋歌”はフォークデュオのバブルガムも歌っています。 
 美しい声を持つ人は日本では由紀さおり、白鳥英美子ですし、パクイ・インヒ、キム・ヒジンも美しい声の持ち主です。ヤン・ヒウンは強くてはりのある美しい声ですが、美しさがそれぞれ違うので聞き比べるととても楽しいです。ウニの声は彼女たちとは又違い、か弱く可愛い声が魅力的です。当時の韓国の人々に最も愛されたのがわかります。
 日本では「トアエムア」「ラナエロスポ」「パク・インヒ」「ウニ」を検索しても情報がないので、ハングルで検索しました。ウニをこのように説明しています。
 
 ウニくらい爆発的な大衆的人気を集めた、1世代(第一期)フォーク女性歌手はいませんでした。1年後にデビューしたヤン・ヒウンさえもウニの人気をしのぐことはできませんでした。
 1970年代初め頃、発表される曲ごとにトロット歌手たちを追い抜いて歌謡チャートの上位にランクされたフォーク歌手はウニが唯一でした。甘くさわやかな彼女の歌は学生層に限らずに幅広い階層から愛されました。
 代表曲の”サランヘ””花の指輪をはめて”は国民的な愛の歌で、今でも愛唱されています。しかし人気が高いほど不遇で、自由奔放な行動で有名だった彼女は大衆の関心を浴びたニュースメーカーでした。
 ウニは1951年5月に済洲島で生まれ、子供の頃から歌が上手で合唱団でも活躍しました。高1の時家族と喧嘩した彼女は突如として入隊します。軍でも歌が上手なウニは人気でしたが、6ヶ月経って軍生活がいやになって休暇のあと軍に戻りませんでした。家に帰ったあと、ソウル芸術高校2年生に転校して卒業します。
 1970年3月ソウルの音楽カフェ街で無名歌手生活を始めました。当時結成された「トアエムア」に刺激をうけたハン・ミンと「ラナエロスポ」を結成します。ここでも自由奔放な彼女は”サランヘ”発売後すぐに、”ハン・ミンとは性格があわない”という理由でソロ歌手で独立しますが、ウニとハンミンのデュエット”サランヘ”は人気を呼び始めます。
 宇宙プロダクションのハン・ウルがウニに関心を持ちスカウトします。自らのグランドレコード社に専属させて、初のレコード”花の指輪をはめて”を出します。
 ”花の指輪をはめて”は編曲歌詞ウニとして発売された曲ですが、日本人が作った曲という噂が流れました。在日韓国人が作曲した曲だったのです。キム・セファンが”一本道”というタイトルで出す予定だったのが、先にウニが素敵なタイトルと歌詞をつけて発売したといういわくつきの歌です。
 単純で哀切な女性的な魅力を発散したウニの”花の指輪をはめて”は、キム・セファンの”一本道”を大きく引き離して爆発的な売れ行きをしました。当時初版はフォークアルバムの場合5000枚売れてもビッグヒットなのに、ウニは7万枚以上売れて一躍スターダムにのしあがりました。フォークの枠を超えて売れたウニはトップクラス歌手として大人気になりました。
 本格的に芸能活動を始めたウニは「黄金の卵を産む鷲鳥」に比喩されるくらい、すべてのレコード会社プロダクションの迎えたい歌手人気1位になっていきます。裁判で争われるほど「スカウト事件」として取りざたされることになりました。前プロダクション宇宙プロダクションでは月1万ウォンのギャラだったそうです。
 地球レコードに移設し、1971年末イ・ヨンボクらと一緒に、MBC10大歌手賞を受賞。デビューしたころのウニは、爽やかで大きな瞳でいつも笑っていて、歌も”花の指輪をはめて”だったのがイメージとぴったりでした。
 しかしウニは1972年KBSラジオで「トロット歌手も歌手なのか」という発言で物議をかもし出します。それ以降スキャンダルや、軍を途中でやめた脱営問題などで苦しみます。
 1972年8月歴史的な出来事がおこります。平壌南北赤十字会議所で、韓国と北朝鮮の代表団が手をとりあってデビュー曲”サランヘ”を歌う光景がおきました。爆発的な人気を博した”サランヘ”は北朝鮮でも歌われていたのです。思想の違いを超えて和合を導き出す”サランヘ”。自然に南北会議所で合唱されたのです。分断後初めてみる出来事でした。
 以後”サランヘ”は不滅の国民歌謡として落ち着くようになりました。勇気を得たウニは1972年末20日間の日本公演を終えました。
 ウニは1974年結婚後1976年アメリカに移民。ニューヨーク州立大で勉強します。1985年10年ぶりに済洲島に帰り実業家として飛躍します。1996年KBSTVのビッグショーで20年ぶりのカムバックをしました。
 
 自然素材の染色家として、2011年にSBSテレビの「モーニング」に出演した画像がUPされています。韓国語がわかればウニをもっと知る事ができただろうに、お話だけではよくわかりません。
 
 ただ伝説の歌手パク・インヒとウニは特別な存在であることは確かなのでしょう。
 
 
 ”花の指輪をはめて”
 
 
 
 
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パク・インヒ(パク・イニ)とウニ① パク・インヒ(パク・イニ) 「懐かしい人どうし~歳月が過ぎれ

 
 
  1970年代韓国女性フォークの両巨頭パク・インヒとウニは、それぞれ初代「トアエムア」「ラナエロスポ」の女性メンバーとして、KBSTV「コンサート7080」が一番出演してほしい二人です。「トアエムア」「ラナエロスポ」ともに、次の女性メンバーが初代の人気を超えることはなかったとも言われています。
 パク・インヒとウニは共通点もありますが対照的な二人です。文学を愛する思慮深いパク・インヒ。自由奔放でたくましくマネジメントに長けているウニ。
 同じ時代を生きた二人が過ごした歳月を調べてみました。
 
 ハングルで検索するとこのようにパク・インヒを説明しています。
 
 パク・インヒは淑明女子大学仏語仏文学科在学中の1970年に「トアエムア」でデビュー。”約束””歳月が過ぎれば”で人気を高めました。
 「トアエムア」として1年の活動ののち1972年にはソロで独立して、1976年までソロアルバム6枚と朗誦を出しました。
 季節感を漂わせ情緒たっぷりに趣があり、女らしく気品がある多くの歌。アルバムが発売されるたびにフォーク、大衆歌謡の域を越えて、文学さえ感じさせました。
 パク・インヒのこのような世界は、歌詞やメロディに不必要な言葉や通俗な修飾が入ってないせいで、時が経っても聴いても全然古臭くありません。
 詩集も数冊出版するなど文学の世界でも活発に活動。深夜放送のラジオDJでも人気を博しました。
 歌手をやめてアメリカで韓国放送局長として働きながら暮らしました。芸能界を離れてからマスコミに露出したがらなくて、現在知られた近況はほとんどありません。  韓国では古典音楽とシャンソンを愛する多くのファンにたくさんの賛辞を受けました。声は非常に清雅で、歌うとき感情は極度に節制され、パク・インヒの追い求めた言葉はしっとりする感受性一杯で、文学らしい浪漫あふれる魅力にあふれていました。とてもやさしい単語で人生と愛をささやくようで、その歌詞は見識が高く深い意味がありました。
 代表曲”たきび”は当時から1980年代まで大学生たちがキャンプファイヤーで楽しんで歌った唄です。誰でもこの唄を歌いました。パクインヒの”放浪者””顔””終わりがない道”も大きく愛されました。
 
 アメリカに住むパク・インヒ。Youtubeのコメントによると10年前に韓国へ帰ってきて、ファンたちと会ったとありました。
  パク・インヒ フルアルバム 
 「コンサート7080」でパク・インヒ特集が組まれるなど、またナムグン・オクプン、ヤン・ハヨン、ヤン・ヒョンギョン、キム・ヒジンら女性フォークシンガーが好んでパク・インヒの歌を歌っています。
 1970,80年代に青春時代を送ったフォークファンはパク・インヒの帰国を待ちわび、帰ってきてマスコミに登場すると、パク・インヒはたちまち時の人になるのでしょう。
 
 「懐かしい人どうし」
 懐かしい人どうし 両手を取って 見合わせて笑い 詩のように共に行く道
 両手には風船を持って 両目には愛を盛って
 胸には一ついっぱい 懐かしさがあるのね
 
 懐かしい人どうし 両目を甘く 仲良くささやきながら 歩いて行く道
 胸にはほのかな 青い愛
 町角には一ついっぱい 懐かしさがあるのね
 
 
 35年位前の白黒画像です。”放浪者”
 

 

 

 ”放浪者”はで1970年にニコラ・デイ・バリが発表したイタリアの曲”Vagabondo”が原曲です。1974年にカヴァーされ、韓国では1975年にパク・インヒがソロとして歌い代ヒット曲になりました。
 
   「放浪者」
 
 影を道連れにあるく道
 西の山に日が沈めば 止まるけど
 心の恋人を追う僕の道は
 夢へと続く永遠の道
 放浪者よ放浪者よ ギターを鳴らせ
 放浪者よ放浪者よ 歌を歌え
 今日は涙に濡れて独りで歩くけど
 いつか必ず再び会おう
 
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キム・ヒジン&チュ・ガヨル「ウエディングケーキ」

 
 
 1960年代の韓国男性フォークデュオ「ツインフォリオ」の”ウエディングケーキ”をきれいな声のキム・ヒジンとチュ・ガヨルのデュエットで。
 
 
   「ウエディングケーキ」
 
 静寂な夜更け 窓をたたく音 
 眠れず起き上がり 窓を開け見下ろすと
 人影はなく ぽつんと残されたウエディングケーキ
 誰が置いていったか私は分かる やるせないこの想い
 
 この夜が過ぎると 私は行く 願わない人の元へ 
 涙を流しながら 私は行く あなたではない人の元へ
 この夜が過ぎると 私は行く 愛していない人の元へ
 最後に一度だけあなたの姿を 見させてください
 
 つらい私の気持ちも知らず 遠く聞こえてくる 無情な夜明けの鐘
 もしや名残惜しさに あなたが現れるのではと 窓の外を見下ろしても
 すでに去ってしまったあなたの姿 どこにも見つけられない
*残されたウエディングケーキをただ眺め とめどなく涙を流す*
 *~*
 
 
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ユン・ヨンソン 「孤児」

 

 ユン・ヨンソンが歌う”孤児”です。この曲はClaude Jeromeのシャンソン”L'orphelin(孤児)”(1969年)が原曲です。オ・セウンが1974年に、ユン・ヨンソンが1975年に翻案し歌いました。
 未婚の母の子供や戦争孤児をテーマとした作品で、歌詞が非情すぎるという理由から、韓国では禁止曲に指定されました。
 2009年3月のKBSTV「コンサート7080」でユン・ヨンソンは”顔”(オルグル) を歌った後、”孤児”について次のようにお話しました。
 「次の歌は洋楽のシャンソンをほとんど直訳で歌った”顔”を収めたアルバムに収録した”孤児”です。この歌はある日新聞で禁止曲だと通告され、胸を痛めました。そしてそれ以降歌うことは許されませんでした。
 それでもその時代の禁止曲だけを集めて収録したり販売したり。また、そういった曲を好んで聴く方が多くいらしたようです。その当時を思い出しながら皆様に”孤児”をお届けします」
 
   「孤児」
 
 霧が晴れるように 愛は刹那と
 母は私にいつも話した
 
 人生も刹那と この世のすべては
 慎ましくと 父も話した
 
 でも母も父までも私の記憶から消えた
 
 姉も話した
 友達に気を付けて
 でも私には友達もいないから
 
 誕生日プレゼントなんて私は知らない
 でも私が大人になり
 誕生日の夕方に 私の子供は
 私にプレゼントをねだるでしょう
 
 

 

 

 Claude Jerome(クロード・ジェローム)の”L’Orphelin”です。1969年の曲で、シャンソン・フレンチポップスらしい暖かなアレンジです。
 
 
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シン・ヒョンウォン 「ガラスの壁」

 

 

 元気な歌のお姉さんシン・ヒョンウォンです。社会的な行事でもたくさん歌っているシン・ヒョンウォン。自身も社会問題には関心があり、司会の問いに「この年で社会問題に関心の無い人はいないと思いますよ」と答えていました。
 ”ガラスの壁”について司会が「いろいろな人や男女の間、世代の間で壁がありますが」というと、シン・ヒョンウォンは「夫婦の間でも壁があるんです。でもどちらかが我慢してるんです」」とユーモアを交えて話していました。
 シン・ヒョンウォンと言えば”赤い夕焼け”です。YouTubeの画像がないのが残念です。
 
  「ガラスの壁」
 君の手を握りたかった
 でも握れなかった
 目に見えない何かが
 私を悲しませた
 *私は感じることができた
 ぶつかるあの音を
 友情も愛も
 ガラスの壁に隔たれていた
 ガラスの壁 ガラスの壁
 誰も砕こうとしない
 みんな気付かないふりをする
 見えないガラスの壁*
 *~*
 
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シン・ヒョンウォン 「ゲンジボタル」

 
  2009年2月の「コンサート7080」に、200回記念に出演できなかったシン・ヒョンウォンが出演しました。「ゲンジボタル」は”7080世代”が選ぶ23位に選ばれた曲です。1987年のヒット曲です。
 
 司会とトークするシン・ヒョンウォンは、”家族だけでなく良い社会の中で国民の皆が幸せであることを願っているんです。皆さんの共通の認識でしょう”とお話すると、司会のペ・チョルスは”僕は違いますね。まず僕が幸せであれば家族が幸せだし、町内が幸せになり、結果的には国全体が幸せになる。そういう考えです”と言っていました。
 
 自分と家族が幸せになることと、社会全体が幸せになることを繋げるのには無理があります。自分が良くなることをまず考えるペチョルスらしい言葉だと思いました。  司会はアン・チファンやシム・スボンなど、他者に対する愛や社会全体が良くなることを考えている人とは話が合わず、いつもつまらなそうな顔をしています。
 
 二人にはギャップがありました。司会が”歌うとはどういうことですか?”、シン・ヒョンウォンは”それは難しい質問です。歌うということは私自身歌うことを楽しんでいますが、みなの幸せのために歌っています。絶望に打ちひしがれている人が、私の歌で絶望を希望に変えられるならばと、そんな思いで歌っています。特に「ゲンジボタル」は、意地を張っても変わらずに泣き疲れて眠るという歌です。この歌はこの世にそういった人が多いからこそ、ヒットしたんです。辛いのは自分だけではないと癒し、この世の至るところに意地が通らないことが数多くあるということを知らせ、その手を握ってあげよう。そんな思いで歌っています。役に立てればと。苦難は祝福の通路です。がんばりましょう”
 司会のペ・チョルスとは大違いですね。
 
 シン・ヒョンウォンは歌のお姉さんそのままの人で、元気があって説得力があって、聴いていてヘンボケな気持ちになります。
 1958年生まれ。1982年にフォーク歌手としてデビューし、活躍を続けています。代表的な曲は”赤い夕焼け””土地””ガラス壁”もっと素敵な日”
 
  「ゲンジボタル」
 いくら意地を張っても どうしようもない
 あのゲンジボタルの墓が僕の家
 胸を張っても友達はいない
 囀っていた鳥たちも 遠く飛び立つ
 *行かないで 行かないで 行かないで*
 
 僕のために一度だけ歌っておくれ
 ララ ララララ 悲しい思いを胸に
 今夜もこうして泣き疲れて眠る
 心を開いても 友達はいない
 愛したいのに ただ思うだけ
 僕はゲンジボタル どうしようもない
 手を握りたいのに みんな去ってしまう
 *~*
 **僕のために一度だけ手を握っておくれ
 ああ寂しい夜 辛い思いを抱いて
 今夜もこうして 泣き疲れて眠る
 *~*
 **~**
 
 
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チョ・ジョンヒ 「雀と案山子」

 
 
  大好きになった韓国音楽は「コンサート7080」の影響が非常に大きく、出演者がMBCTVの「大学歌謡際」出身者が多いので、私なりに調べてみました。ネットの検索では情報が乏しいので、YouTubeにUPされている大学歌謡際の画像が参考になり、前にUPした「若い恋人たち」とこの「雀と案山子」もYouTubeで知った曲です。
 チョ・ジョンヒのこの画像は、1982年の「大学歌謡際」の大賞受賞の時の画像です。他の画像では引退して主婦業をしているチョ・ジョンヒの姿がありました。3人のお子さんがいてとても幸せそうです。
 3度続けて「コンサート7080」の画像ではありませんが良い歌なのでUPしました。
 歌の上手いイ・ソニがこの歌を歌っている画像もあり、感動的に歌い上げていました。
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ヤン ハヨン 「胸の痛み」

 
 ヤンハヨンの歌はYouTubeでたくさんUPされていますが、”胸の痛み”が好きなので、アルバムからの画像をUPしました。前にも書きましたがフォークデュオで歌うと、素敵なハーモニーを聴かせてくれます。「コンサート7080」でナムグンオクブンと歌った”ウエディングケーキ”は美しい声で歌い感激しましたが、その画像は見つかりませんでした。
 ヤンハヨンについて詳しく知りませんが、”ろうそくを灯す夜”は1988年に、韓国TOP100の42位にランクインしています。アルバムは第1集が1988年に発売されており、2集、3集、ベスト盤をリリース、今でも「7080」や音楽番組に出演しています。
 
  「胸の痛み」
 
 夜空の星が舞い降りて 窓辺にとどまり
 あなたの心が近づいてきては 温かく私を抱きしめると
 昔から私の側にいるたようなあなたの姿
 私のすべてをあなたに捧げたかったのに
 路地を曲がり駆けていくあなたの影
 置き去りにされた私の愛よ
 *ああどうしろというの乱れたこの心を
 ああどうしろというのかこの胸の痛みを*
 その大きな瞳に涙が溢れるとき
 この世のすべての悲しみが 私の胸に届き
 あなたのほほえむその姿に
 この世の喜びが溢れる時
 私の心に明るい光が暖かく射したのに
 さよならと背を向け
 路地を曲がり駆けていくあなたの後ろ姿
*~*
 ああどうしろというのか散ったこの心を
 ああどうしろというのかこの胸の痛みを
 
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キム・ヒジン 「花の指輪をはめて」

 

 

  とってもきれいな声!この曲も1970年代のフォークデュオ”ラナエロスポ”からソロになったウニの歌です。ウニが歌っている画像もありますし、美しい声の持ち主、イムスジョンも歌っています。
 
   「花指輪はめて」
 
 思い出す この小道 君が作ってくれた花指輪はめて
 優しく手を取り合って歩いた小道が 
 今は去ってしまった 胸が痛む思い出
 
 思い出す この海辺 君と二人で一緒に積んだ砂柱
 波が押し寄せる海辺で
 今は去ってしまった 美しい思い出 
 
 君が作ってくれたこの花指輪 淋しい夜ならこの胸に抱いて
 君の描く古事を思い出して
 君ははるか遠い 夜空のあの星 あの星
 
 済州市出身のキム・ヒジン。美しくてやさしくて伸びやかな声。"PRINCESS OF FOLKSONG"という愛称を持つそうです。2000年のファーストアルバム以降、5枚のCDをリリースしています。2012年の「大韓民国芸能芸術賞」では、フォークシンガー部門で大賞をとりました。現役で活躍しているフォークシンガーで、とても貴重な存在といえるのではないでしょうか。
 You Tubeには、オリジナルの「永遠の私の愛」を歌っているキム・ヒジンの画像もあります。ムードのある歌ですが、キム・ヒジンの雰囲気と清らかな声が、爽やかな歌にしています。
 「花の指輪をはめて(立ち込めて)」は、ウニの歌ですが、キム・ヒジンがリメイクしているので、キム・ヒジンの歌といってもいいくらい、雰囲気と声があっています。自作やオリジナルもいいのですが、1960、70、80年代の韓国の曲に限らず、フォークソングをキム・ヒジンには歌い続けてほしいと思います。 
 良い歌を歌い繋ぐことが、本来持つ”音楽”の意味かもしれません。その点では韓国には良い歌を”終わった歌”ではなく、”若者や子供たちまで歌い継ぐ”という流れがあるので素晴らしいことだと思います。
 
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キム・ヒジン&キム・セファン 「愛しています」


 フォークシンガーのキム・ヒジン(女性)とキム・セファン(男性)が歌う、「愛しています」もありました。開かれた音楽会でしょうか。私が知らなかっただけで、この歌歌われていたのですね。
 歌詞もついている、良い画像です。キム・ヒジンの美しい声がいいですね。
 
    「愛しています」
 
 愛していますあなたを 本当に愛しています
 あなたが私の側を 離れて行った後に
 どんなに涙を 流したかしれません
 愛していますあなたを 本当に愛しています
 憎いのあなたを 本当に憎んでいます
 あなたが私の側を 離れて行った後に
 夜毎に恋しい 会いたい私の愛する人よ
 愛していますあなたを 本当に愛しています
 
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