Get On Up@渋谷UPLINK/監督:テイト・テイラー/出演:チャドウィック・ボーズマン、ネルサン・エリス、ヴィオラ・デイヴィス、オクタヴィア・スペンサー 、ダン・エイクロイド/2014年アメリカ
伝説のアーティスト、ジェームス・ブラウン(通称JB)。ジャンルを超えたミュージシャンの敬意を集め、そのパワフルなパフォーマンスはマイケル・ジャクソン、プリンス、そしてブルーノ・マーズら現今の若手にも、多大な影響を与え続ける。一方で、あまりにも抜きん出た革新的な音楽には、差別、偏見、そして周囲からの嫉妬など多くの壁が立ちはだかった―
極貧の幼少期から、犯罪にも手を染めることとなるが、彼の天分を見抜いた先輩ミュージシャン、ボビー・バードが自らは影となって支え続け、遂には20世紀屈指のエンターテイナーに上り詰めるJB。そんなJBの波瀾万丈な生涯を映画化するために動いたのは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー。監督にはアカデミー賞3部門ノミネート作品『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』のテイト・テイラー。そして生前のJBを彷彿させる驚くべき存在感で演じきるのは、ハリウッドが大注目するチャドウィック・ボーズマン(『42~世界を変えた男~』『ドラフト・デイ』)。
2ちゃんねる等ではサヨクと決めつけられているけれども、実際はむしろ保守派と見なされる論客・保坂正康氏が、サンデー毎日誌上の鼎談で、権力者になってはいけない人の3つの特徴(【1】形容詞を多用する=修飾することで実体をごまかす【2】立論をせずに主張する=物事を検証せず、ただ否定してみせる【3】話が5分以上もたない=知識の大半が耳学問)を列挙し、この3つを安倍さんほど備えた首相はかつてないと断言。
3つ挙げなくても、先の安倍首相の戦後70年談話を、アメリカとドイツのメディアが「自分の言葉による謝罪がない」と論評したのが単純明快だ。
天皇が戦没者追悼式では前例のない「先の戦争への反省」を示され、立場上の制約があっても意思をはっきり示されたのと対照的で、安倍首相の談話は歴代内閣の立場を踏襲したり、あちこちから美辞麗句を引っ張って作文したものの、肝心の「謝罪する主体」がぼやかされてはっきりしないことを見抜かれている。
国内の右派・保守派と、韓国・中国の両にらみで、本心を隠し、体裁を取り繕った。オリンピックの競技場をめぐる迷走を、為末大氏が「スポーツと、その他のイベントと、プライオリティー(優先順位)が付けられていない結果でもある」と評した言葉とも重なる。
優先順位を付けてしまうと、そのことについて後から責任を問われる恐れがあるので、役人たちとしては避けたい。あるいはエンブレムがどこにでもある平凡なデザインなため、盗用の疑惑を招いたことも、個性や独自性をはっきり出してしまうことを避ける官僚主義が背景にあるに違いない。
こうした村社会や官僚的な、わが国のあり方と真逆で、意思・主体・自由・独立といったことを全身で体現し、それまで誰もやったことがない音楽を発明して、音楽にとどまらずアメリカの歴史を書き加えたとまで称される存在がJB、ことジェームズ・ブラウンである。
血を燃やすこってりとしたリズムのタメ、胸を締め付けるシャウト、宙を舞うかのようなステップ、雷鳴のごとくとどろくホーンセクション―
彼の革新的な音楽は、彼が育った極貧の環境、また彼だけでなく当時の米黒人が激しい差別にさらされ、その中で神の道を示すゴスペル・ミュージックが心の拠りどころとなった、重い歴史が凝縮されている。
と同時にその歴史は、JBの中に表裏一体として、バック・ミュージシャンに君臨し彼らを手足のように使ったり、ショービジネス界の白人支配に不満で自らアイデアを出してマネージメントしたり、嵩じては脱税や、発泡事件を起こして服役したりする、強烈すぎるエゴや独善性の形でも表れることに。
たった一人、アメリカの光と闇を音楽に昇華させるよう運命づけられた、孤独な魂(ソウル)のさまよいびと―
あらためて振り返ると、アップルのiTunesは最近では官僚化が目立っているが、それでも私の音楽の聞き方を根本的に変えた。
自分で編集したカセットやMDを、順番どおりに聞く形から、ジャンルも年代もごちゃ混ぜのシャッフル再生の形へ。
結果、このジェームズ・ブラウンや、ジョニ・ミッチェル、フランク・ザッパ、スロビング・グリスルなど、それまでやや苦手にしていた、しかしまぎれもなく天才ではあるミュージシャンたちが浮上することに。またモーツァルトとスモーキー・ロビンソン、ベートーヴェンとジェームズ・ブラウンのように、かけ離れた音楽に共通性を発見したりも。
あらゆる音楽が相対化されることで、逆に1曲1曲の絶対的な価値が浮き彫りに。
↑画像はSay It Loud-I'm Black and I'm ProudをJBと子どもたちがレコーディングする場面。
アメリカも大きく揺れた時代。ベトナム戦争の前線を慰問のため訪れる場面では、彼とバンドの乗った飛行機が爆撃を受け、片側のエンジンが火を噴き、やっとのことで着陸に成功。またキング牧師が暗殺された翌日に予定され、暴動が起きることを懸念されたライブでは、ボストン市長が訪れて「静かに追悼しよう」と呼びかけるが、途中で不穏な状態となり、JBが「黒人の評判を落すな。ちゃんとしろ」となだめてどうにか続行。
アメリカの都市は不潔で、治安が悪く、国外でも戦争ばかりやっているが、裏を返せばそうした差別や犯罪や戦争が、個の独立や精神の自由を重んじる社会へと導き、世界に冠たる音楽や映画に結実しているともいえよう。
逆にわが国の都市は治安が良く、商店はサービスが行き届き、鉄道の時間は正確で、それらをもたらすものが同時にゆるキャラや、稚拙なアイドルやJ-Pop、ことなかれの役人や理念なき政治家をのさばらせていると考えられる。
こればかりは、両者のイイとこ取りは不可能―
伝説のアーティスト、ジェームス・ブラウン(通称JB)。ジャンルを超えたミュージシャンの敬意を集め、そのパワフルなパフォーマンスはマイケル・ジャクソン、プリンス、そしてブルーノ・マーズら現今の若手にも、多大な影響を与え続ける。一方で、あまりにも抜きん出た革新的な音楽には、差別、偏見、そして周囲からの嫉妬など多くの壁が立ちはだかった―
極貧の幼少期から、犯罪にも手を染めることとなるが、彼の天分を見抜いた先輩ミュージシャン、ボビー・バードが自らは影となって支え続け、遂には20世紀屈指のエンターテイナーに上り詰めるJB。そんなJBの波瀾万丈な生涯を映画化するために動いたのは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー。監督にはアカデミー賞3部門ノミネート作品『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』のテイト・テイラー。そして生前のJBを彷彿させる驚くべき存在感で演じきるのは、ハリウッドが大注目するチャドウィック・ボーズマン(『42~世界を変えた男~』『ドラフト・デイ』)。
2ちゃんねる等ではサヨクと決めつけられているけれども、実際はむしろ保守派と見なされる論客・保坂正康氏が、サンデー毎日誌上の鼎談で、権力者になってはいけない人の3つの特徴(【1】形容詞を多用する=修飾することで実体をごまかす【2】立論をせずに主張する=物事を検証せず、ただ否定してみせる【3】話が5分以上もたない=知識の大半が耳学問)を列挙し、この3つを安倍さんほど備えた首相はかつてないと断言。
3つ挙げなくても、先の安倍首相の戦後70年談話を、アメリカとドイツのメディアが「自分の言葉による謝罪がない」と論評したのが単純明快だ。
天皇が戦没者追悼式では前例のない「先の戦争への反省」を示され、立場上の制約があっても意思をはっきり示されたのと対照的で、安倍首相の談話は歴代内閣の立場を踏襲したり、あちこちから美辞麗句を引っ張って作文したものの、肝心の「謝罪する主体」がぼやかされてはっきりしないことを見抜かれている。
国内の右派・保守派と、韓国・中国の両にらみで、本心を隠し、体裁を取り繕った。オリンピックの競技場をめぐる迷走を、為末大氏が「スポーツと、その他のイベントと、プライオリティー(優先順位)が付けられていない結果でもある」と評した言葉とも重なる。
優先順位を付けてしまうと、そのことについて後から責任を問われる恐れがあるので、役人たちとしては避けたい。あるいはエンブレムがどこにでもある平凡なデザインなため、盗用の疑惑を招いたことも、個性や独自性をはっきり出してしまうことを避ける官僚主義が背景にあるに違いない。
こうした村社会や官僚的な、わが国のあり方と真逆で、意思・主体・自由・独立といったことを全身で体現し、それまで誰もやったことがない音楽を発明して、音楽にとどまらずアメリカの歴史を書き加えたとまで称される存在がJB、ことジェームズ・ブラウンである。
血を燃やすこってりとしたリズムのタメ、胸を締め付けるシャウト、宙を舞うかのようなステップ、雷鳴のごとくとどろくホーンセクション―
彼の革新的な音楽は、彼が育った極貧の環境、また彼だけでなく当時の米黒人が激しい差別にさらされ、その中で神の道を示すゴスペル・ミュージックが心の拠りどころとなった、重い歴史が凝縮されている。
と同時にその歴史は、JBの中に表裏一体として、バック・ミュージシャンに君臨し彼らを手足のように使ったり、ショービジネス界の白人支配に不満で自らアイデアを出してマネージメントしたり、嵩じては脱税や、発泡事件を起こして服役したりする、強烈すぎるエゴや独善性の形でも表れることに。
たった一人、アメリカの光と闇を音楽に昇華させるよう運命づけられた、孤独な魂(ソウル)のさまよいびと―
あらためて振り返ると、アップルのiTunesは最近では官僚化が目立っているが、それでも私の音楽の聞き方を根本的に変えた。
自分で編集したカセットやMDを、順番どおりに聞く形から、ジャンルも年代もごちゃ混ぜのシャッフル再生の形へ。
結果、このジェームズ・ブラウンや、ジョニ・ミッチェル、フランク・ザッパ、スロビング・グリスルなど、それまでやや苦手にしていた、しかしまぎれもなく天才ではあるミュージシャンたちが浮上することに。またモーツァルトとスモーキー・ロビンソン、ベートーヴェンとジェームズ・ブラウンのように、かけ離れた音楽に共通性を発見したりも。
あらゆる音楽が相対化されることで、逆に1曲1曲の絶対的な価値が浮き彫りに。
↑画像はSay It Loud-I'm Black and I'm ProudをJBと子どもたちがレコーディングする場面。
アメリカも大きく揺れた時代。ベトナム戦争の前線を慰問のため訪れる場面では、彼とバンドの乗った飛行機が爆撃を受け、片側のエンジンが火を噴き、やっとのことで着陸に成功。またキング牧師が暗殺された翌日に予定され、暴動が起きることを懸念されたライブでは、ボストン市長が訪れて「静かに追悼しよう」と呼びかけるが、途中で不穏な状態となり、JBが「黒人の評判を落すな。ちゃんとしろ」となだめてどうにか続行。
アメリカの都市は不潔で、治安が悪く、国外でも戦争ばかりやっているが、裏を返せばそうした差別や犯罪や戦争が、個の独立や精神の自由を重んじる社会へと導き、世界に冠たる音楽や映画に結実しているともいえよう。
逆にわが国の都市は治安が良く、商店はサービスが行き届き、鉄道の時間は正確で、それらをもたらすものが同時にゆるキャラや、稚拙なアイドルやJ-Pop、ことなかれの役人や理念なき政治家をのさばらせていると考えられる。
こればかりは、両者のイイとこ取りは不可能―