湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

豊臣秀吉の特異性

2016-02-23 19:14:03 | Weblog
豊臣秀吉について考える度に
この人は特異な人物だと思わざるを得ません

戦国時代は下克上の時代であり
足軽から大名に出世することも出来たと言います
しかし、そんな事例は、秀吉と彼の家臣くらいしかありません
ほとんどの大名は、織田信長、徳川家康、伊達政宗・・・
皆、それなりの武将の子であり
彼らの家臣もまた、武士の子です

豊臣秀吉だけが、彼自身も、彼の家臣も
武士の子ではない者が出世しているのです

そして・・・
豊臣秀吉の発想もまた、飛び抜けています

あの時代に
スペイン王や明の皇帝に、臣下の礼を要求するなど
世界中で、豊臣秀吉以外、誰も、思いつかなかったでしょう
しかも、誇大妄想ではなく、実力の裏付けもありました
スペイン王も明の皇帝も
秀吉とは、まともに戦うことなど出来ませんでした

秀吉が、あと10年、健康で長生きしたら
明を征服し、東アジアの盟主になっていたかもしれません
そうなれば、その後は、スペインやイギリスと対決したでしょう
豊臣秀吉の後継者達が、秀吉の遺志を継いだら
世界史が、まるで違ったものになっていた可能性があります

その後の世界史を思うと
もし秀吉が健康で長命であったなら
アジアや南北アメリカの原住民、そして中東やアフリカの人々も
ずっと幸せな数百年間を過ごすことが出来たでしょう
ヨーロッパ列強の過酷な植民地搾取の犠牲になることはなかったからです

戦国時代の最中は、豊臣秀吉も徳川家康も
商人、宣教師を問わず、ヨーロッパ人と付き合っていました
情報や物資を得るためです
しかし、秀吉も家康も
ヨーロッパ人、そしてキリスト教徒を嫌っていました
彼らが人身売買をするからです
いずれ、この悪習は絶ち切らねばならないと考えていました

戦国時代のことですから
日本国内でも、人権など顧みられることはありませんでした
しかしながら、人間を動物のごとく扱う人身売買は
日本人には理解を超えた世界だったのです
東南アジアで、日本人の少女が、裸のまま檻に入れられて
売買されているのを見た当時の日本人は、大きな衝撃を受けたのでした
豊臣秀吉も徳川家康も、こうした状況を許しがたいことと考えていたのです

秀吉も家康も、他の有力大名も
ヨーロッパ諸国の世界侵略を明瞭に理解していました
対抗策も、それぞれ考えていたのです
その中でも、豊臣秀吉の考えは頭抜けていました
彼らと軍事的に対決し、抑えつけようとしたのですから・・・



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