無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「なんとなくインディーズ特集」。その“なんとなく”の含意について、前回に引き続き、今度は素直にそのまま解釈した場合のお話。

今回のテーマは「インディーズ」では な く 、「インディーズ"感"」である。或いはインディーズ"っぽさ"と言い換えてもいいかもしれない(よくないかもしれない)が、この漢字一字の"感"を付ける為にこの一時間はあったと言っていい。

まず、Hikaruはこう切り出す。『だいたいメジャーとインディーズの違いってみんななんとなくわかってると思うんだけど』。ここがまず面白い。普段何気なく音楽に触れているリスナーは「メジャーとは何ぞや」とか「インディーズとはどう違うか」とか突き詰めて考えて聴いていたりする訳ではない。ただ単に、「今度メジャーデビューする○○のナンバーです」とか「△△って最初はインディーズからCD出してたんだね」とかいう実例を幾つか耳にした事があり、そこからメジャーアーティストとインディーズアーティストの全体の傾向の違いを漠然とだがイメージしているに過ぎない。ここらへんの、つまり、平均的なInterFMのリスナー層を想定して話し始めてる訳である。

そして、ここが重要なのだが、明確に言語化されていない"インディーズのイメージ"を、実はみんなもう持ってるよね、という所から始めていながら、ここから敢えて1時間かけてその"インディーズ感"を解説し、明瞭な概念へと昇華させるのが狙いなのである。Hikaruはそれを、どうやるか。みてみよう。


すぐさま彼女はこう続ける。番組が始まってから僅か一分である。

『簡単に言うと、メジャーレーベルっていうのは凄く大きな会社で、どっかに多分加盟してて、数もそんなになくて』
『それ以外のもっと小さな会社をインディペンデント・レーベルとかプライベート・レーベルって、いうのかな』

『で、ミュージシャンからしていちばんおっきな違いは、メジャーレーベルの場合、何かが出る時に、プロモーションの展開が、凄くこう大規模で、その代わりミュージシャンに行くお金の割合、CDの売上とかから入ってくるお金の割合が少ない』
『で、インディーズだとそこまで大規模なプロモーションは展開出来ない若しくはしない、けれどアーティストに行くお金の分配がもうちょっと多い、っていうとこかな』


…いきなりお金の話である。下世話さ甚だしい。が、いや、まずは言葉の定義と、そこから来る直接の帰結から入っているのだ。つまり、このエピソードでは「インディーズ"感"」という内面的なフィーリングを共有する事がテーマなのだが、そういうあやふやな所に直接行くのではなく、まずは誰にでも共有できるもの…辞書的な定義と、そこからくる現実的な違い、この場合お金の話だが、そういう所から話を始めているのだ。内面的なフィーリングを共有する為に、フィーリングから入るよりまず"共有"の方から入るあたり、いかにもUtada Hikaruらしい。


ここから一時間かけて、Hikaruはその「インディーズ"感"」の"感"の部分をつまびらかにしていく。その模様を次回以降もみていく事にしよう。

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うぅむ、聴けば聴くほど夢のような番組だ。Hikaruが楽しそうに自分の好きなものについて話してくれて、ついでに聴いた事のない音楽を知る事もできる。毎月3000円払うからCD化してくれと思ってしまう。うぅむ。

今回第4回は「なんとなくインディーズ特集」である。この"なんとなく"は2つの意味で重要だ。

ひとつは、冒頭でHikaruも言っているように、『今回のエピソードでかけたい曲を作ってたらこれってインディーズの方が多いんじゃないかなとふと気づいて』そのままインディーズ特集を構成してしまった点である。つまり、最初っから「今回はインディーズ特集にしよう」と決めてから選曲するトップダウンではなく、まず選曲してみて見渡してみたらインディーズが多かったから『(だったら、と)インディーズのアーティストだけまとめてみました』というボトムアップな経緯で特集が決まった、という話。より正確にいえば、選曲からボトムアップでテーマを抽出し、そこからトップダウンで選曲を整理しなおした、というストーリーだ。「すっげぇHikaruの性格が出てるなぁ」という感想が沸き起こるが、それは直ちに、こういうプロセスは「いい曲を作れる人」に特有のものなんだろうな、という含意も示唆をする。いや今の場合は「いい番組を作れる人」になるんだけど。

"街"には二種類あって。自然と人が集まってきて賑わって大きくなった街と、誰かが「ここに街を造ろう」と計画をしっかり立てて出来ていった街と。前者は自然な街並みに人の息吹きと猥雑とすらいえる並々ならぬエネルギーが感じられる一方、雑多で、時に行き過ぎると容易に収集がつかなくなり闇の温床にもなりえる。一方、後者は、人の意図が隅々まで行き渡っている為、どこか冷たく人間味がない。不自然で人工的で、エネルギーはギクシャクしている。が、隅々まで光が当たっている為透明性が高く、余所者が入ってきて安心して住めるのはこちらだったりする。一長一短である。

尤も、その一長一短の中にも更に光と陰があり。闇の温床は疲れ果てた人間には時に安らぎとなりえるし、闇の存在を許さない光に満ちた空間はそれもまた人を息苦しくされる。意図と偶発、自然と不自然は背中合わせにくるぐると回転しているのだ。

Hikaruは、どちらの街並みが好きなのだろうか。今回の特集の成り立ちからすれば、どちらに対しても某かの価値を見いだせているようにも思える。自然発生的にテーマを生み出すプロセスと、あるテーマにそって整理整頓するプロセスと。とてもバランスがいい。結局の所このポイントをイデオロギーの対立に発展させず、巧く折衷しながら「いい番組作り」へと昇華させられているところが肝心なのだ。その折衷が「なんとなく」と「特集」の組み合わせなのである。

これが「なんとなく」の、裏側の意味の方だ。普通表と裏なら表を先に書くものだが順序を違えてしまったな。という訳で次回は表の側の、もうひとつの「なんとなく」の意味について。

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いやはや、KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru。回を追う毎にパワーアップしているようだ。完全にペースを掴んだ感じだな。

当初は月一という事で間隔が空き過ぎ、どうにもペースが掴めないというか、ノっていけないのではないかという懸念もあったのだが、いざ蓋を開けてみると、こと制作側のHikaruに関していえば全くそんな事はないようだ。5月をお休みしたのが本当に悔やまれる。

やはり、総てを自分1人で取り仕切っている事が大きい。やってきて打ち合わせして喋る、というだけでなくSEからBGMから構成から…となるとやる事が本当に多い。かけている時間がどれぐらいかはわからないが、その八面六ぴぶりを発揮するには、1ヶ月間隔位がちょうどよかったという感じだ。つくづく、5月を以下略。

しかし、リスナーの方はというとやはり月一のペースは難しいようで、聞き逃したという方々がちらほら散見される。ハッシュタグを追っていても、これはこちらのクライアントのAPI制限のせいかもしれないが、やはり人数は減っているように感じる。…いやもしかしたら自分の発言が増えてるせいで相対的に少なく見えてただけかもしれんな(汗)。こればっかりは、よくわからない。

確かに、今回の"インディーズ特集"のような内容は、普段洋楽を聞き慣れている人でないと厳しいかもしれない。唯一の邦楽"大正九年"がかかった時の反応に「日本語だ!」的な反応があんまりなかったのは、エフェクトのせいできこえなかったからか、こっこのように知名度が高くなかったからか…いずれにせよ、そこらへんはもうかなり整ってきてしまってると言っていいかもしれない。この流れで行くと次は邦楽特集かな? しかしそれをやったとして、月一であらためて食いついてくれるかというと微妙だ。うーむ、どうなることやら。


そういった事とは別に、私個人は番組を大変楽しんで聴かせてもらった。次回からはそこらへんの細かい話をしていくとするか。

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一体どこまで狙っているのか。『ああまたハッシュタグつけるの忘れた/告知下手過ぎ』と失意体前屈をかまして萌えっ子アピールしてる癖に直前のツイートは何だ。

『実は放送禁止用語的な問題でそのまま放送していいのか審議がなされたそうです…結果は…乞うご期待っ』

…こんなん言われたら興味なかった人も聴きたくなるに決まってるでわないかっ。炎上マーケティングとも異なる、絶妙な宣伝方法。この手があったかと膝を打たざるをえない。かくん。脚気ではないな。それはさておき。

もうリツイート数も1000を超え、ライブドアニュースにも取り上げられた。流石にヤフトピトップにまでは間に合わなかったようだが、それでも130万人にこのツイートが一斉送信されたのだからその時点で効果は絶大である。どこらへんが絶妙かといえば、放送禁止用語が放送されるか否かという結構どうでもいい所だ。放送禁止どころかすぐさま耳を覆いたくなる罵詈雑言をネット上でも毎日沢山読んでいるのに、公共の電波に乗って放たれる放送禁止用語は何故にかくも人を惹き付けるのか。ネットでエロ動画散々毎日観てるのに地上波テレビで「おっぱいポロリ」とか「パンチラ」だとかがあると言われると途端に観てみたくなる不思議。無意味にザッピングしてみたりしてね。あらそんなことをするのはおっさんだけかなこりゃ参った。スマン、あんまりユニバーサルな喩えじゃなかったか。ほなら例えば遠い旅行先で偶然同郷に出会った時のようなお得感…それも違うか。喩え考えるの面倒臭くなってきたな。まぁいいか。

という訳で今夜は「宇多田ヒカルがラジオで放送禁止スレスレの事を言うのか!? それとも判定はアウトでピー音がかぶさってしまうのか!?」という下世話な興味でくまぱわーあわーを聴こうとする人が増える。間違いない。或いは聴かなくても、ハッシュタグ#kuma761は押さえておこうとするかもしれない。いやはや、見事な告知上手っぷりである。これのどこが告知下手過ぎなものか。

私としては、是非アウト判定をうただいてHikaruの発言を遮ってうただきたい。どうせなら被せるSEは赤崎千夏を呼んできて「わ~ぉv」をやってもらおう。あれソックリなんだよね。オリジナルは誰か見知らぬ人なんだろうけど。いや一部の人にすらわからんネタはいい。


そして、そう、問題は、「どこまでこれをわざとやっているのか」である。天然でこんな事をやりそうに…思えてしまうのがUtada Hikaruという人なだけに怖い。

しかし彼女は(音楽)プロデューサー、(映像)ディレクター、即ち監督である。監督者というものは、周囲が思っている以上に、あらゆるファクターを意図的に配置しているものなのだ。プロデューサーコメンタリーなどを聞くと、「視聴者がそういう反応を返すところまで織り込み済みか」と驚かされる事が多々ある。ならばUtada Hikaruも…と考えてしまうのは人情というものだろう。

しかし、もしこれが意図的でなくただの天然だとしたら、この人はただひたすら普通に振る舞っていれば「売れる」人なのだという事を痛感せざるを得ない。普通に発言し、普通に曲を作って歌っているといつのまにか人々を惹きつけてしまっている能力。それがこんな巧みに行われているとなると、ぐむむ、悩ましい。


という訳であと一時間を切った。ホントにどうでもいいエントリーを書いてしまったが、私のテンションが高い事だけは伝わったかと思う。それだけで十分。おまぃら、準備はいいかッ!?

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イで始まる言葉か…「イロハニホヘト」だな。つまり、"日本語"だ。今回は日本語曲特集…んな訳あるか(笑)。

イで始まる言葉か…「イニシャル」だな。イニシャル特集。紹介するアーティストみんな「U.H.さん」とか。ひたすらイニシャルトーク。な訳あるか。

ほな、"イニシャライズ"とか"イニシエイト"とかか…それ先月の"スタート"と同じやがな。


音楽用語だと、なんだろうな、イントロとかインストとかか。こないだワールドロックナウで「イントロがカッコいい曲」特集やってたな。殆どが「メインリフがアタマに来る曲」で、ただのリフ特集になってたが。"アタマに来る曲"って何か聴いてると腹が立ってくるみたいだな。という訳で"イカリ心頭の曲特集"とかか。カタカナで書く理由がないなぁ。

イングランド特集、インド特集、インドネシア特集、イスタンブール特集、インカ特集、イリノイ特集、イラン特集、イラク特集、イギリス特集…うーん、地名縛りってのもどうなんだろ…。


色々にらめっこしてたら本文が短くなってしまった。多分全部ハズレだろうから(そりゃまぁね(笑))、今夜の放送を楽しみに待つとしようか。

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さて順調に@u3musicからと@hikki_staffからのツイートがあった。無事熊淡四が放送される模様だ。後はその時間帯に大きな地震や事故や事件や停電が起こらない事を祈るのみ。いや、別の時間帯だって起きないに越したこたぁないんですが。…これ毎月言ってるな…。

明日は何特集なのだろう。今度はスキャット特集か。またスかよ。いや裏の裏は表って事もある。やるならピンク・フロイドの「虚空のスキャット」を…(またか)…そういやアルバム「狂気」には"Eclipse"っていう曲もあったなぁ。じゃあ、「月」特集なんてどうだろう。Fly Me To The Moon にMooo Riverに…いや、いくらなんでもベタ過ぎるな。"業界人にウケる選曲"が特徴の番組なのだからもう一工夫してくるだろう。いや、考えてみるとホント難しいな。

同じテーマでも、いや、同じテーマだからこそセンスが問われる。「女性の声」特集と言われてあんな選曲ができるかどうか。女性ヴァイオリニストという発想、母が歌手という境遇、自分も歌手という現実、種々を用いてあの独特の選曲を作り上げる。つまり、「月がテーマの歌特集」なんてやっても、Hikaruなら業界人を唸らせ且つ普通のリスナーも楽しませられる内容にできるかもしれない。なんかハードルあげてるか俺。ベートーベンの月光なんてどうだ…またおまえはベタだなぁ…

こんな風に「楽しみにしている様子」を書き留めておくこともまた楽しい。予想が当たったりしたらそれはそれで嬉しいんだろうが、結局はそんなものは関係がない。期待の気持ちが筆を走らせているという事実を書き留めているに過ぎない。ある意味、待ち遠しく思う時間には既に番組が始まっているようなものだ。放送される一時間はそのずっと続く予習復習の折り返し点というか折り目というか。そういう役割である。

一度、録音せずに一発勝負で番組を聴いてみたい、という衝動に駆られる。どんな集中力が発揮されるか自分でも興味があるのだが、生放送でもないし、やっぱりそういうのはLIVEコンサートの時まで取っておくか。明日もみんなと楽しくワイワイガヤガヤと聴く事にしよう。それは、その時にしかできない。1人でじっくり曲とトークを堪能するのは後から幾らでもできるししてきた。これでいいな、うん、このままで行こう。嗚呼、明日が楽しみだ。明日の~今頃には~…♪

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さて、Kuma Power Hour with Utada Hikaru episode 4が間近である。最初月一放送ときいた時、それは随分間があくなぁと思ったのだが、予想以上に一回の放送が濃厚で、毎月消化しきれないうちに次を迎えているような気もする私。一方で、『みんな、ついてきてくれていますか?(笑)』とHikaru本人も言うように、リスナーの方も随分と選択されているように思う。

元々人間活動中の放送だし、聴取率や影響力を気にせず「アーティスト活動休止中感満載」でお送りするにはマイペースがいちばんなので、私はこれでいいと思うが、それでもやっぱり、「境界線上で思い悩むファン」も居るのかなぁ、とも思う。Hikaruが折角ラジオで喋っているのだからついていきたいのだけれど如何せん内容がスネアドラムの音色の選択とか…嗚呼やるせない。

でも、そもそも30代の女性がこういう枠を持った時、何を喋ればいいのだろう。普通のラジオ番組なら、リスナーからのお便りをもとに番組を構成するだろうが、熊淡ではそうしていない。ここが変わった分水嶺で、現実にはそうではないが、形式的にはリスナーの不要な番組である。つまり、内容に用がなければこちらも聴く必要がないというか。

ここを、どう捉えるか。職業音楽家が音楽番組を抱える、という何の不自然もない状況と、ファン・フレンドリーな"あの"キャラクターの不在。奇妙な組み合わせというか、至って普通というか。バランスをとっているのは、ほんの少しずつ繰り出されるツイートの数々だ。結局、あそこはフレンドリー。何も変わらない。何より、アクセス数はInterFMよりTwitterの方が上だろう。流石に、130万人もリスナーは居ないと思う。となると、"イメージ作り"という点では、相変わらずファン・フレンドリーなあのキャラのままで、InterFMで聴けるマニアックな音楽ファンのキャラクターはあクマで付加的なものに留まるだろう。ある意味、リスナーが限定されている今の方がいいのかもしれない。ここで主客逆転して、マニアックなミュージシャンとしてみられる方が主流になると何かと身動きが難しくなるだろうから。全国ネットじゃあない、と最初は嘆いていたが、これくらいで結果的にはよかったのかもしれない。Hikaruのバランス
・センスの賜物である。

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3月と6月にアルバムをリリースしてきたヒカルにとって8月は外回りの時期である。99年は学校が夏休みになったからとテレビ出演。00年と06年は全国ツアー。04年はラジオ局まわり…ってあれ、アルバムリリース月そんなに関係ないじゃん。

親子揃って冬が好きという割にこういう事になってしまうのは皮肉な話だが、一応真剣に考えておいた方がいいのかもしれない。単純に、ツアーをするなら春夏秋冬いつの季節がよいか、端的に言えば、Hikaruの喉にいちばん負担がかからないのはいつなのかという話。

気温や湿度と、本人の体質体調に依拠する為、一概にはいえない。夏だから暑い、というだけの問題ではなく、空調を使った時の変化や、宿泊先の状況など、考慮すべきポイントはやまほどある。それらをどう勘案して折衷するか。

ちょうど7年前の今日はさいたまスーパーアリーナ公演だったのだが、観たという人の評判は芳しくない。前日の17日の公演と併せてDVDになっている音源なのだからそこまで酷くはなかっただろうが、夏場の過酷なツアーが体力を削ってはいただろうな、とは考えてしまう。

冬の、Utada In The Flesh 2010はどうだったのだろうか。NY公演を観た人からはやや体調がという話もあった。全公演万全とはいかなかったのかもしれない。あと、北半球の冬のツアーという事で寒い地域ばかりかと思いきやスタートは常夏の地ハワイだったから厳密にいえばそうでもない。

世界契約を交わしたUtada Hikaruなのだから、今後は世界中をツアーする事も十分考えられる。中南米は今も伸び盛りの市場だし、また、オセアニア地区はアジアツアーとパッケージングされる事が多い。或いはパンパシフィックツアーという枠組みか。いずれにせよ南半球まで巻き込んでのツアーも今後は有り得るのだ。つまり、ひとつのツアーで季節が逆転していくと。Hikaruは比較的飛行機移動に慣れている為時差は克服できるだろうがこの気候差、そして季節差についてはどうなのだろう。人間活動中には、南半球にも足を運んだのだろうか。観光と仕事では精神状態が真反対な為、今行っていてもあまり参考にはならないかもしれないが、夏場のツアー、冬場のツアー、というだけでなく、赤道を跨ぐツアー、というのも頭に入れておくべきだと思う。「世界を股に掛ける宇多田ヒカル」発言から10年経ったが、やっとそれが現実味を帯びてき…まだ早いか。In The Fleshがリリースされるとなるとどうしても先走ってしまうな。やれやれだぜ。

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ピンク・フロイドの「葉巻はいかが?―Have A Cigar?―」を例に取るなら、宇多田ヒカルの話をする場合First Loveの『タバコのFlavorがした』の部分にスポットを当てるのが王道だったなぁ、なんて思いつつ。あれ、そういえばFlavor Of Lifeってタイトルを聴いた時、Flavorって言葉を使うからにはFirst Loveの再来みたいな意味もあるのかなぁ、なんて話したっけかな。記憶にないや。実際はOriginalがアップ・テンポの曲なので偶然というかそんな意図はヒカルになかったんだろうけれど、結果的にFirst Love以来のどころか今のところ光のキャリアで最大のヒット曲になっている。一曲で800万ユニットだか何だかという数字、もう二度と出せないかもしれんしなぁ…。

という訳で王道の話。『最後のキスはタバコのFlavorがした ニガくてせつない香り』という歌い出しが、つまり、今後タバコへの風当たりが強くなれば不適切表現として糾弾され実質発売中止になる可能性もあるという事。この"実質"というのは日本独特の現象なのだろうかな、他国の事情も知らないのでわからないが、いや日本の事情だって知らないけれど、要は「自主規制に追い詰められる」のが現実なのだ。『それ他粛じゃないっすか』と光はツッコミを入れていたが、相変わらずこの国の陰湿な部分には疎いなぁと感じざるを得なかった。昔の話だけど。他粛こそ本質・実質なのだから。それが"形式上"自粛という名で流布するから恐ろしいのである。何しろ自分からやってる事だから他の誰の責任でもないのだ。誰かに言われなきゃそうしなかったにも関わらず。この、心理的に自主性のない自粛(最早日本語としておかしい)に追い詰められると、自粛は萎縮に向かう。緩慢な死、って誰の言葉だっけ、まさにそれである。

幸い、高校野球のブラバンも結局First Loveを演奏していた気がするし、宇多田ヒカルという名は、少しでも危うい表現をすれば叩かれる深夜アニメの側ではなく、堂々と毎週殺人を行えるゴールデンタイムの作品の方に属するので、即ち暫くは世論というか世の中の雰囲気が味方してくれるだろうが、それが永続するとは限らない。ちょっとした事で風向きはガラリと変わるだろう。表現規制問題に関しては、敏感になり過ぎるという事はない。私だって、こんなに毎日好きに書いて公表する自由を享受している。それが出来る事を当たり前だとは思わないようにしたい。あれ今回最後まで真面目かよ。つまらんなぁ…。

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「風立ちぬ」の喫煙場面の是非が話題になっているらしい。まず、あれが「ただの絵だ」という事を皆思い出してから議論して欲しいものだ。あそこには煙草なんて存在しない。煙草の絵とそれを吸っている人の絵が描かれているだけだ。当たり前のそんな事をふまえてから話を始めよう。

そして私はその話を始めない。面倒なので。で、ふと思ったのだがならばピンク・フロイドの名曲「葉巻はいかが?(Have A Sigar?)」は、最近欧米のラジオでは掛からなくなっているのだろうか。うぅむ、ならばゆゆ式事態、もとい、由々しき事態だ。

ロック・クラシックスの名曲がそんな理由で聴けなくなってしまうのは少し寂しい。まぁラジオで掛からなくても、聴きたいと思った人が聴ける状況さえあるのなら最低限いいだろう。あたしゃ葉巻も煙草も吸わないが、同曲が収められた「炎(あなたがここにいてほしい)―Wish You Were Here―」は20世紀を代表する名盤のひとつなので(フロイドのアルバムはみんなそう)、その高い作品性にケチやキズがつかないようにはして欲しい。今の若い子たちが興味を持つかどうかわからないけれど。


そういえば、2009年に書いたっきりのハズなのでここでもう一度記しておこう。ピンクフロイドとUtada絡みの話である。今やGoogleさんはパーソナルカスタマイズされているので検索の順位に普遍性はないのだろうが、恐らく、"In The Flesh Tour"という言葉で検索するとピンク・フロイドによる77年の欧米ツアーが先に引っ掛かる筈だ。2番目が、そのフロイドの元ブレイン、ロジャー・ウォーターズのソロ・ツアー、そして、3番目がUtadaの2010年のツアーになるのではないか。

フロイドは20世紀最も巨大なロックバンドの1つである。代表作「狂気―The Dark Side Of The Moon―」はビルボードTop200チャートに通算で750回以上、即ち15年分(連続じゃないよ)チャートインしている文字通りの化け物アルバム。超々有名なロックバンドの1つである。20世紀を代表するロックバンドを10挙げよと言われてフロイドを外す評論家は1人も居ないだろう。


それだけ巨大なバンドとツアー名がカブっているのは不遜というべきか恐れ知らずというべきか。Utadaの方はただ単に自曲"Dirty Desire"の歌詞の一節『To see me in the flesh』からとったに過ぎないのだが、結果的にモンスターバンドの横で「(曖昧さ回避)」を添えられてその名を主張するハメになった。まさかここまでリリースが遅れたのはそのタイトル名のせいじゃあるまいな。いや、なくはないか。

兎も角、Utada In The Flesh 2010をリリースしてしまうと、今後はフロイド&ウォーターズ目当てで検索してきた人たちがUtadaの名を目にする事になる。一体、どんな感想を持たれるかはわからないが、その中にひとりでも、気に入って買ってくれる人が出てきたら儲けモンである。世界中探したらきっと何処かに居るはず。そんな意味でもリリースが待ち遠しくて堪らないのでした。まる。

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毎月15日を過ぎて21日までは緊張する。Kuma Power Hourを聴き過ごしていないかが気になるのだ。いや勿論その月毎に何日放送かはアタマに入ってはいるのだが、第3火曜日という日付が不定な設定である為どうにも気になって仕方がない。気にやみ過ぎというより、まだかなまだかな感が行き過ぎているせい、かもしれない。正直自分でもどっちかわからない。逆に、火曜日以外は緊張しなくて済んではいる訳で、いや、録音準備するとしたら前日月曜日夜か火曜日の朝だから結構事前から準備しとかなきゃなのよね、それに停電対策で録音機に先に充電しとかなきゃならないしそうすると…

…いや別に聞き逃してもWebのどこか探せばあるんだし人から貰ったっていい訳でありまして、気にしなければ済む話…をわざわざわさわさしてるのは、そうしてるのが楽しいからだろうか。最近は何でも録音録画しておけるし逃してもWebに転がってるしでリアルタイムで接したいと思えるケースが少なくなってはいるが、熊淡は例外というかそういうのとは違うのだろうな。一刻も早く聴きたい…というか、聴ける状態になったのなら聴きたい、というべきか。1ヶ月に1時間なのに、なんという支配力か。なので、前の週の週末あたりからそわそわし始めて今ココ。

次は何の特集なのか、予想してみたいような、考えずに臨みたいような。選曲を、事前に予習しておきたいような、やっぱりいいような。前回が「ちょっとマニアック」だっただけに、次はもっとわかりやすい側に振れるのがパターンだよな、でもパターンって言われるのイヤそうだからそこは外してくるのかな、とか、中途半端な気持ちで思いが巡る。これが生放送だったらまた違うのだろうが、収録放送だと、もう出来上がった、もう変えられない状態の完パケがある数日間は何となく不思議な面もちだ。

生放送ではなくとも、本人によるリアルタイムツイートがあるケース。これは生放送の臨場感に近く、ラジオのオーディオ(文字だけど)コメンタリーというちょっと新しいアナクロを見せてくれている。もっとアピールしていいような気もするが、本人としてはラジオに集中して欲しいような、ラジオが聞けない人たちにもツイートが届く事も気にしてるような…こちらも何やら中途半端な感触がある。何とも、不可思議な番組になりつつある。

古くて新しい。ひたすら曲をかける昔気質の音楽番組。しかし、総て宅録で済んだりリアルタイムコメンタリーをしたりと現代のテクノロジーと不可分なシステム。何とも"いい中途半端"が、心地よく身体を蝕む。このストレンジなエネルギーが、KUMA POWERの一面なのかもしれない。

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今日は終戦記念日か。Hikaruも言いたい事はやまほどあるように見受けられるが、今までは最低限の発言しかしていない。くまちゃんが千円を手にしておかしくなるサマなどは痛烈な批評精神の表れだとは思うが、そういう風にみられない為の工夫であるのだから、、、大したものだ。

こういう話は、確かに面倒だ。そして、そうやって冷静に疲れられる人間は、いつも単純明快に突っ走れるレイヤーの暴走を許す。この国の場合、、、いいや、面倒臭い。

情報洗脳合戦の本質は、情報を情報として扱えるかどうかにかかっている。本を読むのが好きな人間は、大抵、字を見ているのではなく、そこに広がる世界を見ている。皮肉な事に、即ち、本を読むのが好きであればあるほど、字を読むのが好きであればあるほど、それがただの本であること、それがただの字でしかないこと、それが純粋な、本当か嘘かもわからないただの「情報」であることから、離れる。字でしか読んでない事を、まるで見てきた事であるかのように語れてしまう。

お陰で、一度も会った事のない人間を好きになってしまったり、顔すら知らない人間に対して人生を投げ打って憎悪をぶつけ続けたりする。お疲れ様。嗚呼、面倒。

虚構は虚構のままに楽しめればよいのだが、現実から完全に離れてしまってはそもそも言語は言語として機能しない。太陽という言葉は、現実の太陽がそこになければ何の意味も持たせられない。そう思って現実から一切離れて言語を構築しようとしたのが現代数学だが、これまた皮肉な事に、現実を最も正確に描写できる言語はその極度に抽象化された現代数学だったりする。嗚呼、また話が逸れたな。面倒臭い。

Hikaruは1年前の今日、誰かの願いが叶うころの歌詞を引用して心境を綴った。話が大きすぎる以上祈る位しかすぐ出来る事はないのだけれど、有名人という存在は、一言々々に影響力があるようにみえて、現状をすぐ変えられる訳でもない。ただ火を点けるキッカケにはなれる、という程度の事。点いた火がどこにどう飛び火するかは、一人一人がどういう人間であるかにかかっている。なので、一人一人の心を、毎日少しずつ耕していくしかない。長い長い道のりである。そんな先の事まで考えるのは憂鬱だ。ひとまず目先の事、例えば次の収録を頑張る、とかそういう所から始めなくては。伝わるものも伝わらない。『全人類を救って幸せにする方法をみつけたって、それをみんなに伝えることができなかったらな~んも意味ないもんな!』

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そういえば、来週放送する熊淡第4回で、In The Flesh 2010 footageの宣伝はするのだろうか。番組の性質上特定のアーティストの商品の発売を告知・宣伝するのはそぐわない気がするのだけれど、わざわざ周波数を合わせるリスナーの殆ど全員がUtada Hikaruのファンである事は間違いがなく、その上そのうちの何割かはUtadaの作品にも興味があるだろう。放送局がInterFMという事で、寧ろ、「へぇ、Utada Hikaruが英語で歌ってるんだ」みたいな風に興味をもってくれるかもしれない。いずれにせよ、ITF10の告知・宣伝をするのは必要というか義務というか。皆が皆@u3musicをフォローしてる訳でもなし。商売云々の前にリスナーのニーズを考えると何も言わないのはどうなんだろうとなる。

そこらへんの段取りはどうなっているのだろう。何しろHikaruがひとりで完パケにまで持っていく番組なので、照實さんが予め発売の事を伝えていないと録音のしようもないし。

8月末に何らかのアナウンスがある予定とはいえそれが何なのかはまだ判然としていない。配信限定であればいきなりその日に配信可能だ。ソフト自体はとっくの昔にマスタリングが終わっているのだから。円盤発売もあるとなると正式な発売日の発表か。ならば熊淡で触れるのは来月の第5回でもいいかもしれない。

いずれにせよ、何だかあんまりにも想定外の事態に戸惑っているのは事実です。まさか、ねぇ、HikaruがラジオのDJを務めていて、その放送中にニュー・マテリアルの発売が決まるだなんて、去年の今頃は思いもよらなかった。"今現在のスタンス"がどういうものなのかがハッキリしていないと、対処も反応もぎこちなくなってしまいそうだ。

パッケージとしては、例えば円盤のジャケットなどは新しいデザイン、新しい写真かもしれないがベースは2010年のUtadaだろうからHikaruの近影が拝める、とはならないだろう。そもそも、どこで誰がどんな風にどれくらい宣伝・告知する商品なのかも不明だ。ひっそりこっそり売って、それこそ@u3musicをフォローしている人でないとその存在すら知る由もない"知る人ぞ知る"コンテンツとなるのか、それとも、レコード会社もある程度プロモーションを行うのか。そうなると梶さんがUtadaの宣伝をするという奇妙な状況が出現するなぁ。流石にそれは無い気がするが、ツイッター・アカウント名は@hikki_staffなので、中の人は幾らでも交代出来る。新しい担当者さんが出てきても何の不思議もない筈だ。


こうして考えると、In The Flesh 2010 footageの発売は色んな論点を孕んでいる。もう少し整理して臨まないといけないかもしれないな。差し当たっては、来週の熊淡を聴いてから、か。多分何事もないかのようにスルーしている公算がいちばん高いけれど。

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By ピンク・フロイド。

クレイジー・ダイアモンドといえばジョジョの奇妙な冒険のスタンド名だが、元ネタは当然これ。20世紀を代表する名曲のひとつ。詳しくはググれ。

ヒカルはブルー・ナイルを溺愛していると思われるが、同じドモホルンリンクルタイプの音楽(註:無駄を徹底的に濾してエキスだけを抽出したかのような音楽を私が勝手にそう呼んでいる)なら私はピンク・フロイドを崇拝している。ブルーとピンク、青と桃。ナイル川と風呂&井戸。最後のは冗談だが、両グループの名前に色が入っているのは偶然ではないと思う。音楽を聴いて色を思い浮かべる作用。イマジネーション。その象徴が"色"なのだろう。

エリザベス・テイラーの歌声を聴いてHikaruは種々の風景を呼び起こされると語っていたが(熊淡弐)、この、音が何かを齎す、何かを生み出す作用を強引にイマジネーションとただ呼んでしまえば、ピンク・フロイドは最もイマジネイティヴな音楽を奏でるグループだと思う。ただ、フロイドが好きと言うのは、野球選手ならイチローが好き、というと野球ファンから「そらせやろ」と返されてしまうのと同じように、音楽ファンからは「当たり前じゃん」と言われてしまう位にそのステータスは高い。


あら話が逸れすぎてる。長くなるから全て端折ろう。

イマジネーションで素晴らしいのがフロイドなら、全く逆に、音楽そのものが魅力的なグループの代表がザ・ビートルズである。彼らのメロディーは20世紀No.1となった。もっとも口ずさまれたメロディーは彼らの数々の名曲たちである。「誰かの鼻歌になる」。これが端的に音楽そのものに魅力があることの証明だ。イエスタデイやヘイ・ジュードをハナモゲラ語でも歌う人はあとを絶たないが、クレイジーダイアモンドを鼻歌で歌おうにも難しい。開始8分間歌がないんだから。まぁそれはいいか。

Hikaruの書いた歌の中で最も鼻歌向けなのが「ぼくはくま」である。一応スタジオバージョンには色々と楽器が入っているが、別にあんなのは要らない。ベッドでくまちゃんと戯れながら「ぼくはくま~♪」と歌えばいいだけである。極めてシンプル。ある意味、最もビートルズ的な魅力を持ったレパートリーといえるだろう。

一方、最もイマジネーションに訴えかける曲は、ヒカルのレパートリーの中ではどれだろう。抽象的で、口遊み難く、捉え所はないが、どうにも視覚を刺激する曲。こちらはぼくはくまと異なり、様々な候補が考えられるが、私は、前々から主張しているように、"Gentle Beast Interlude"だと思う。あそこまでヒカルが感覚で作りきった曲も珍しいのではないか。初めて聴いた時フロイドの"虚空のスキャット"を思い出したものだ。その意味で、私の中では同曲がいちばん"フロイドっぽい"レパートリーとなっている。

で、だ。この、ヒカルのレパートリーの中でも両極端の楽曲2つ、両方「くま」だよね。Gentle Beastって何なのか、これも人によって解釈は違うだろうが私の中ではひたすらにくまである。最も具体的でシンプルで親しみやすい歌にも、最も抽象的で捉え所がない曲にも、同じくまの称号を与えている所が、ちょっと気になったのだ。わかりやすさの方にくまを持ってくるのは当然としても、ヒカルの中でもわかりにくく、曖昧模糊としていて、アーティスティックな面もまたヒカHikaruにとっては「くま」なのだろうか。くまちゃんはHikaruにとって「絶対的存在」だと思うが、一方で「得体の知れなさ」みたいなものも、感じていたりするのかもしれない。いや、だからくまと呼ばずに"Gentle Beast"と言っているのかもしれない。いずれにせよ、フロイドを聴きながらそんな事を考えた、という点は日記としてここに記しておくことにするよ。嗚呼、またフロイドに浸ろう…。

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妖精といってもひとりひとり少しずつイメージが違っていて、ちっちゃいおじさんだったり羽生えたロリ女子だったり色々だろうが、まぁあんまり存在に現実味がない点は共通してるか。そんな時はMCで「ついさっき生理がきました」と叫んでやればみんな現実に気付くだろう。まるで俺がデリカシーないみたいだけどこれ本当に本人言った事あるからね?十代だったのに…もう30だけど…。

という訳でこのタイミングでのツイートは熊淡第4回が無事納品完了、或いは大体の目処がついた、といった所だろうか。別にこちらは気にしてないのに脳内で「そんなくだらんツイートしてる暇あったら早よ番組録れよ」とツッコミを入れられてついつい自重してしまっているのだろうか。いやまぁ確かにInterFMには迷惑を掛けるかもしれないがそれはそういうもんだろうに。有り難いボーナスと思って聴いているこっちはまた落とされてもそれはそれで…って書くと楽しみにしてないみたいに聞こえちゃうか。ありゃま難しい。

スネア特集については私もあんまり書いていない。というのも理由は単純で、音色について語るのは難しいから。それに、ポイントは大体Hikaruが解説してくれている通りだし、まぁ聴けよ、としか言いようがない。それに、最初に述べたように、楽器・音色そのものの話が多くて、「スネアは人が叩くもの」と思って生きてきたこちらとしては、少し認識のズレを感じる。SLAYERのドラマサウンドはデイヴ・ロンバードとポール・ボスタフでこんなに違う、みたいな話し方になってしまう私なので、ちと語るボキャブラリーが少ない。でもまぁなんかコツを掴んだらその時に書くとするか。

…と言ってる間にもう後一週間なのだ。早いなぁ、というのか何なのか、何度聴いても味わい尽くす前に次が来ている感覚がある。それだけ番組が濃厚だという事でもあり、この人がなんだかんだで奥深いというのもあるが、多分、今創作している某かについての情報を意図的に遮断している為だろう。それが公表する類のものであるかどうかはわからないが、何かを創作中である人間は、その時最も興味を持っているのはその創作物なのであるから、それについて話せないとなると、何となく弾け切れない所が出てくる。つまり、何かを隠している感覚。別にそれはそうやって15年間来たんだからそれはそれで構わないけど、人間活動中のラジオ、という奇妙なバランスが生んだ情報の非対称性は、これはこれで今しか味わえないものであるから、あたふたしながら次回放送を毎月迎えるこの感覚も、楽しんで享受しておきたいと思う。もしかしたらこれが「大人の楽しみ方」なのかな。だとしたら老けたなぁお互い…。

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