無意識日記
宇多田光 word:i_
 



毎月15日を過ぎて21日までは緊張する。Kuma Power Hourを聴き過ごしていないかが気になるのだ。いや勿論その月毎に何日放送かはアタマに入ってはいるのだが、第3火曜日という日付が不定な設定である為どうにも気になって仕方がない。気にやみ過ぎというより、まだかなまだかな感が行き過ぎているせい、かもしれない。正直自分でもどっちかわからない。逆に、火曜日以外は緊張しなくて済んではいる訳で、いや、録音準備するとしたら前日月曜日夜か火曜日の朝だから結構事前から準備しとかなきゃなのよね、それに停電対策で録音機に先に充電しとかなきゃならないしそうすると…

…いや別に聞き逃してもWebのどこか探せばあるんだし人から貰ったっていい訳でありまして、気にしなければ済む話…をわざわざわさわさしてるのは、そうしてるのが楽しいからだろうか。最近は何でも録音録画しておけるし逃してもWebに転がってるしでリアルタイムで接したいと思えるケースが少なくなってはいるが、熊淡は例外というかそういうのとは違うのだろうな。一刻も早く聴きたい…というか、聴ける状態になったのなら聴きたい、というべきか。1ヶ月に1時間なのに、なんという支配力か。なので、前の週の週末あたりからそわそわし始めて今ココ。

次は何の特集なのか、予想してみたいような、考えずに臨みたいような。選曲を、事前に予習しておきたいような、やっぱりいいような。前回が「ちょっとマニアック」だっただけに、次はもっとわかりやすい側に振れるのがパターンだよな、でもパターンって言われるのイヤそうだからそこは外してくるのかな、とか、中途半端な気持ちで思いが巡る。これが生放送だったらまた違うのだろうが、収録放送だと、もう出来上がった、もう変えられない状態の完パケがある数日間は何となく不思議な面もちだ。

生放送ではなくとも、本人によるリアルタイムツイートがあるケース。これは生放送の臨場感に近く、ラジオのオーディオ(文字だけど)コメンタリーというちょっと新しいアナクロを見せてくれている。もっとアピールしていいような気もするが、本人としてはラジオに集中して欲しいような、ラジオが聞けない人たちにもツイートが届く事も気にしてるような…こちらも何やら中途半端な感触がある。何とも、不可思議な番組になりつつある。

古くて新しい。ひたすら曲をかける昔気質の音楽番組。しかし、総て宅録で済んだりリアルタイムコメンタリーをしたりと現代のテクノロジーと不可分なシステム。何とも"いい中途半端"が、心地よく身体を蝕む。このストレンジなエネルギーが、KUMA POWERの一面なのかもしれない。

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