さてUtadaの話題で盛り上がっている(主に私が)けれど、9年前の今頃というのは"Easy Breezy"が先行シングルカットされた時期なのだ。お陰で何とも"夏"のイメージが強い曲である。配信開始日が2004年8月2日なのでこの日が一応Utadaのデビュー日になるんだっけか。Devil Insideとダブル・リード・トラック扱いだから年表を確認するのも難しい。Wikipediaを見ると日本語版英語版ともに配信開始日が"8月3日"になっているのは何故なんだ。フラゲの概念もないし謎である。
で、同曲といえばあのPVだ。一応水着姿を拝めたので歴史的な役割は果たしたのだが(それに較べてビッグコミックスピリッツの体たらくときたら!(無理言うなよ))、プロモーションとしてはどうだったかというとまぁよくわからない。あんまりにもPVとして普通過ぎて"一応作りました"という感じしかせず。何しろ宇多田ヒカルのPVといえば天井が低いのから始まって話題作ばかりだったから、とかく印象に残らない作品をわざわざ全米デビュー作品で作らんでも、というのが正直な所だった。直前の日本語曲のPVなんて前フリだけで2時間もあるんだぜ…だなんていう当時言ってた冗談はさておき、まぁ無難なスタートには違いなかった。
…次どうすんだろね?
毎度々々宇多田光が監督をやるわけではない。現に桜流しはやらなかった。ケース・バイ・ケースで行くとは思うのだが、ひとつ考えておきたいのは、アメリカ人のアドバイスは大抵的外れであるという事だ。何しろ、彼らは日本人が出るプロモーション・ビデオをまともにヒットさせた事がないのだから。そんな人たちの言う事を聞くのは…いや、お話として聞いておくのは大事だな、うん。そのあとあっさり却下すればいい。
いやしかし。Come Back To Meの成功をどう捉えるか、という方が難しいか。あの曲は、今度出るITF2010で観客の反応を確認できると思うが、Utada最大のヒット曲である。ラジオのオンエア回数は…あれ結局何回くらいになったんだっけ、1000回以上だったよなぁ確か…。なので、曲は有名だとして、PVはどんな印象を残しているのやら。そういえばラジオと違って、MTVでのオンエア情報って当時あんまりなかったような。ラジオが主体だったのかな。
と、記憶が色々曖昧なままあーだこーだと書くのは気が引けるのだが、何度も繰り返し言ってきている通り、今の時代視覚体験を重視せんとならんのだ音楽コンテンツも。その為には…次回に続く。
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