無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「風立ちぬ」の喫煙場面の是非が話題になっているらしい。まず、あれが「ただの絵だ」という事を皆思い出してから議論して欲しいものだ。あそこには煙草なんて存在しない。煙草の絵とそれを吸っている人の絵が描かれているだけだ。当たり前のそんな事をふまえてから話を始めよう。

そして私はその話を始めない。面倒なので。で、ふと思ったのだがならばピンク・フロイドの名曲「葉巻はいかが?(Have A Sigar?)」は、最近欧米のラジオでは掛からなくなっているのだろうか。うぅむ、ならばゆゆ式事態、もとい、由々しき事態だ。

ロック・クラシックスの名曲がそんな理由で聴けなくなってしまうのは少し寂しい。まぁラジオで掛からなくても、聴きたいと思った人が聴ける状況さえあるのなら最低限いいだろう。あたしゃ葉巻も煙草も吸わないが、同曲が収められた「炎(あなたがここにいてほしい)―Wish You Were Here―」は20世紀を代表する名盤のひとつなので(フロイドのアルバムはみんなそう)、その高い作品性にケチやキズがつかないようにはして欲しい。今の若い子たちが興味を持つかどうかわからないけれど。


そういえば、2009年に書いたっきりのハズなのでここでもう一度記しておこう。ピンクフロイドとUtada絡みの話である。今やGoogleさんはパーソナルカスタマイズされているので検索の順位に普遍性はないのだろうが、恐らく、"In The Flesh Tour"という言葉で検索するとピンク・フロイドによる77年の欧米ツアーが先に引っ掛かる筈だ。2番目が、そのフロイドの元ブレイン、ロジャー・ウォーターズのソロ・ツアー、そして、3番目がUtadaの2010年のツアーになるのではないか。

フロイドは20世紀最も巨大なロックバンドの1つである。代表作「狂気―The Dark Side Of The Moon―」はビルボードTop200チャートに通算で750回以上、即ち15年分(連続じゃないよ)チャートインしている文字通りの化け物アルバム。超々有名なロックバンドの1つである。20世紀を代表するロックバンドを10挙げよと言われてフロイドを外す評論家は1人も居ないだろう。


それだけ巨大なバンドとツアー名がカブっているのは不遜というべきか恐れ知らずというべきか。Utadaの方はただ単に自曲"Dirty Desire"の歌詞の一節『To see me in the flesh』からとったに過ぎないのだが、結果的にモンスターバンドの横で「(曖昧さ回避)」を添えられてその名を主張するハメになった。まさかここまでリリースが遅れたのはそのタイトル名のせいじゃあるまいな。いや、なくはないか。

兎も角、Utada In The Flesh 2010をリリースしてしまうと、今後はフロイド&ウォーターズ目当てで検索してきた人たちがUtadaの名を目にする事になる。一体、どんな感想を持たれるかはわからないが、その中にひとりでも、気に入って買ってくれる人が出てきたら儲けモンである。世界中探したらきっと何処かに居るはず。そんな意味でもリリースが待ち遠しくて堪らないのでした。まる。

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毎月15日を過ぎて21日までは緊張する。Kuma Power Hourを聴き過ごしていないかが気になるのだ。いや勿論その月毎に何日放送かはアタマに入ってはいるのだが、第3火曜日という日付が不定な設定である為どうにも気になって仕方がない。気にやみ過ぎというより、まだかなまだかな感が行き過ぎているせい、かもしれない。正直自分でもどっちかわからない。逆に、火曜日以外は緊張しなくて済んではいる訳で、いや、録音準備するとしたら前日月曜日夜か火曜日の朝だから結構事前から準備しとかなきゃなのよね、それに停電対策で録音機に先に充電しとかなきゃならないしそうすると…

…いや別に聞き逃してもWebのどこか探せばあるんだし人から貰ったっていい訳でありまして、気にしなければ済む話…をわざわざわさわさしてるのは、そうしてるのが楽しいからだろうか。最近は何でも録音録画しておけるし逃してもWebに転がってるしでリアルタイムで接したいと思えるケースが少なくなってはいるが、熊淡は例外というかそういうのとは違うのだろうな。一刻も早く聴きたい…というか、聴ける状態になったのなら聴きたい、というべきか。1ヶ月に1時間なのに、なんという支配力か。なので、前の週の週末あたりからそわそわし始めて今ココ。

次は何の特集なのか、予想してみたいような、考えずに臨みたいような。選曲を、事前に予習しておきたいような、やっぱりいいような。前回が「ちょっとマニアック」だっただけに、次はもっとわかりやすい側に振れるのがパターンだよな、でもパターンって言われるのイヤそうだからそこは外してくるのかな、とか、中途半端な気持ちで思いが巡る。これが生放送だったらまた違うのだろうが、収録放送だと、もう出来上がった、もう変えられない状態の完パケがある数日間は何となく不思議な面もちだ。

生放送ではなくとも、本人によるリアルタイムツイートがあるケース。これは生放送の臨場感に近く、ラジオのオーディオ(文字だけど)コメンタリーというちょっと新しいアナクロを見せてくれている。もっとアピールしていいような気もするが、本人としてはラジオに集中して欲しいような、ラジオが聞けない人たちにもツイートが届く事も気にしてるような…こちらも何やら中途半端な感触がある。何とも、不可思議な番組になりつつある。

古くて新しい。ひたすら曲をかける昔気質の音楽番組。しかし、総て宅録で済んだりリアルタイムコメンタリーをしたりと現代のテクノロジーと不可分なシステム。何とも"いい中途半端"が、心地よく身体を蝕む。このストレンジなエネルギーが、KUMA POWERの一面なのかもしれない。

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