無意識日記
宇多田光 word:i_
 



先日、2017年の「ブックオフランキング」が発表された。もう定位置であるかのように『Single Collection Vol.1』が第1位を飾ったのにも感嘆するが、並み居る歴史的なベストアルバム群に混ざって『Fantome』が第3位だったのが真の驚きか。間にあるのはMr.Childrenの92年から95年にかけてのベストアルバム。ダブルミリオンヒットシングルを立て続けに繰り出していた破竹の勢いの頃の一枚だ。毎年それにあっさり勝ってしまう『SCv1』も凄まじいが、出たばかりのオリジナルアルバムである『Fantome』がそれに肉薄するとは、いやはや、溜め息しか出ないわ。

他にもヒカルはTop20に『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』の3枚のオリジナルアルバムをねじ込んでいる。何という力強さか。

確かに、これらのアルバムは過去に余りにも売れたからそもそも中古市場に出回る絶対数が違う。故にランキング上位に顔を出すのは順当といえば順当なのだが、それにしても売れている。なお、昔と違って今は家庭で気軽に音質劣化無しでコピーがとれる時代だ。ブックレットだってスマートフォンのカメラで撮っておけば高精細、後から幾らでも読める。なので中古市場にモノが溢れているからといって「話題になっているから買ってみたけど聴いたらつまらなかった」のが理由であるとはいえなくなっている。どれだけ中身を気に入っていても今は簡単に売ってしまっても何ら問題はないのだから。つまり、このランキングは素直に中古市場での人気を反映しているとみて差し支えないだろう。

にしたって驚きだ。これをみると、やはり日本人は宇多田ヒカルを未だにナンバーワンアーティストだと捉えていると言えるのかもしれない。確かにセルCD市場は縮小したが、レンタルCD市場と中古CD市場は未だに元気である。有名タイトルであれば程なくして店頭に並ぶしダウンロードで買うより安い。流石に定額聴き放題サービスが押し寄せてきたら難しいかもしれないが、今の所そこまではいっていない。CDを買う層より恐らく遥かに多くの人々がレンタルやCDを利用している。その中での"女王"認定なのだから、日本人に"薄く広く"浸透している真実だと言っていい―この「宇多田ヒカルがナンバーワンだ」という結論が。

「あなた」のダウンロードも好調で、ビルボードジャパンでは2週連続で1位らしい。セルCDも売れ、中古CDもレンタルCDも売れ、レンタルも好調となると何だろう、次に出すシングル(アルバムからの先行カットになるだろうか)の当たり具合によっては更に凄い結果になるかもしれない。ヒカルのCDが売れようが売れまいが「その時々で歌に向き合うだけ」のこちらの態度に変化はないが、お喋りの材料としては興が乗る。半分茶化す位のつもりで、引き続き来年もランキングを追う事としよう。

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まー朝も早よから英語でツイートしてもーてからに。日本に帰ってきてるという記事があったが果たして。まぁそっちは置いておいて、アメリカだと夕方、イギリスだと夜だろうから欧米の時間帯に合わせて英語でツイートしたって事か。リツイート元の庄司さんも英語で呟くアカウントだし、『世界でも好きなミュージシャンのうちの一人』として紹介している事からも、彼女の日本にとどまらない立ち位置と、「別に同郷だからというのではなく、国籍関係なく世界的に活躍されていて、人間的にも素晴らしい知人が」というところを考慮に入れたツイートだな。そういう事情(だと私が解釈した)から日本語訳では「世界でも」の部分は外しておいた。日本語訳を読む人にとってこの一文は疎外感外様感を与え、元ツイートの与えるものとは真逆の効果を齎すからだ。それを狙うのも翻訳だったりするのだが、直訳が好きな人はごめんなさい。

そんな訳で本来なら邦訳を広めるのは躊躇われるのだが、まぁいいかな。日本語圏人に伝わって欲しかったら日本語で呟く訳で、そこはある程度汲み取られるだろう。それよりたまたまいつもよりほんのちょっと早起きしてよかった。そういう日もある。

庄司さんとヒカルは17年来の付き合いで、知り合った当時のヒカルはクラシックのコンサート自体が新鮮だったらしく、そんな人が楽屋を訪ねてくるなんて庄司さんも新鮮だったろう。今や(恐らく)お互い世界を飛び回る音楽家としての歓喜や苦労をシェアし合ってるんではなかろうか。

さて引用した哲学者の一言。このインドからの方について私は存じ上げないので特に何を言えばいいのかわからない。思想的にも馴染み深いというか(我々にとっての)王道というべきか。王道と言っても皮肉を交えた比喩である。(本来の)王道ましてや覇道などといった思想は真逆のものであろう。

私なりに解釈すると「肩の力を抜け」という事か。肩肘張らずにありのままを受け止め、作為的恣意的に世界を改変しようとするな、と。何百年にもわたる東西の思想の相克を思い浮かべるが、西洋には最強の思想(を飛び越えて科学的真理ですらある)「自然淘汰」即ち「自然選択」がある。選択は迷いだと喝破しても悟って死ぬ奴はそれまで、迷いながらも生き残ったものが次を得るのだ。ここで東側には輪廻転生を繰り出す。死もまた輪の縁だと。ここから先はご存知泥仕合だから面倒なので、私はもう一度肩の力を抜くとしよう。恐らく西側(変な表現)は真理すら相対的な価値の一つとして飲み込むつもりだから。

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