無意識日記
宇多田光 word:i_
 



特別なライブコンサート体験に対して優越感を持たない私も、『In The Flesh 2010』への参加だけは積極的に自慢するように心掛けている。当時海外公演という事で二の足を踏んだファンが何人も居たであろう事を知っている。彼らに今後後悔して欲しくはないのだ。「行けばよかった」「行ったらよかった」と漏らしても後の祭り。ライブは一期一会である以上、二度と同じ体験は出来ない。具体的には、そのツアーでしか歌わなかった歌というのが常に存在する訳で、確かに今のところそれらは総てビデオ化されている(「博多祝い歌」などもあるが…)けれども、やはり生で最初に聴いた時の驚きは人生の体験として代え難いものがある。例えば、『In The Flesh 2010』での『Passion』は『- opening version -』から『Sanctuary』に移り『- single version -』で締めるという超豪華なバージョンだった。何も知らない状態でそんなものが演奏された時の驚きを想像してみるといい。まさに"身の毛も弥立つ"とはこの事だった。びっく
らこいた。

もしこれを読んでいる中に「来年宇多田ヒカルがツアーだって。どうしよう?」と悩んでいる人が居るなら行くべきだ。行けないなら仕方がないが、行かないのにこんな所に滞在していても仕方がない。こんな日記一生読んでくれなくてもいいからヒカルのライブだけは逃さないで欲しい、というのがこちらの切なる願いである。

もっとも、「スタジオバージョンは素晴らしいがライブビデオを観る限りこの人の生のパフォーマンスにそんなに価値があるとは思えない」といった判断でライブに行かないという見解もまた、私としては尊重されるべきだと思っている。決して安くはないチケット代に場合によっては交通費に宿泊費。休みをとるとなると普段の生活にまで支障が出てくる。ライブコンサートへの参加というのはかなりハードルの高いイベントだ。わざわざ遠出して人混みにまみれて落ち着かない環境で大してよくもないサウンドで2時間同じ場所に拘束される位なら自宅でゆっくりコーヒーでも飲みながらハイレゾサウンドを楽しむ方が好きだ、と言われたらなるほどごもっともである。

そこまで自らのスタンスが明確であれば何の問題もない。声を掛けたいのは逡巡している人々だ。どうしようかと悩んでいるなら行くべきだと繰り返そう。極端な話、行ってみてやっぱり私はライブコンサートってイベントには合わないんだなと実感できればそれは人生の大きなアドバンテージである。宇多田ヒカルのコンサートに行ってもなおそう感じるのならば本当にどうしようもない。以後どんなコンサートをパスしようとも後悔する可能性はなくなる。人生の選択コストの削減に大きく貢献するだろう。何十年分と思えば、数千円のチケット代も十分元は取れるだろう。

学生で財力がないとお嘆きの方はまずは働いてみればと言いたいが、苦学生でお金がないというのなら私がチケット代と交通費位は払ってあげるからコンサートに行きなさい。これ何人かに言った事あるんだけど「流石に怖くて受け取れない」と言われた。まぁ常識的に考えたらそーだよねー。でも私と友達になったら何の遠慮も要らないよ。出世払いだろうが何だろうが構わない。そう躊躇いなく言える位にUtada Hikaruのライブコンサートには価値がある。確信している。

まぁだからってじゃあ私はツアーとなったら何十回と行くのかというとまた別の話。基本的にツアーは同じセットリストなので、たった一晩だけというのも魅力的だなぁと昔からぼんやり考えている。記憶も混ざらないし。まぁそこはその時になってみないとわからないし、当然1枚も当選できない未来も待っている。もし「まだ一度も観た事がないけど是非観たい」という人が現れたらあっさりチケット譲っちゃうしね。今まで散々自力で当ててヒカルの歌声を体験してきたので一度や二度パスしてもそこまで気にはしませんよ。まぁ、観れるんなら観るけれども。まずは、日程が出てからだな。来年は相当な事になりそうですわ。

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チケットの話を出したけれども、果たして今度はどれ位の倍率になるかわからない。12年前は別に完全ソールドアウトというニュースもきかなかったので、公演によっては売り切れていなかったのかもしれない。

私個人の価値観からすれば「そちらの方が望ましい」。売り切れとは「観たくても観れなかった人が居る」という事であって、望ましいとは思えない。ヒカルの歌を生で聴きたいと言ってるうちに人生が終わっては死んでも死にきれまい。私の知らないところでそうやって死んでいった例もあるかもわからない。7年前の『WILD LIFE』でペプシクリスマスの白Hikkiのコスプレをしてた人は来年のツアーに間に合わず力尽きた。日々人は死んでいる。「人は死ぬぞ」もまたモンキー・D・ルフィの名言のひとつだが、せっかく生き残っているのにチケットが買えなくて観れませんでしたではやるせない。

とはいえ、世の中には様々な価値観がある。完全ソールドアウト公演、倍率10倍20倍のコンサートを観たとなれば人に自慢できる。よく当たったね、どんな感じだったのと人々から注目を浴びる。人気の公演への参加は羨望の的であり、人の優越感を殊更満たしてくれる。そうやってチケットの価値を上げよう、というのは売る方買う方双方の認識の上に成り立っている。

世界は見渡せぬ程広い。色んな人が色んな事をする。ではヒカルはどうしたいか、だ。コンサートツアーはジレンマの塊だ。あちらを立てればこちらが立たずの連続である。作詞作曲ならヒカルはジレンマを「私には手が2つある」から「両方立たせる」と言って実際に立たせてしまえるが、ツアーのようなビッグ・プロジェクトでそれが出来るだろうか。

レアチケットならレアチケットでいい。今「MTV Unplugged 2」をやろうものなら倍率は凄まじいだろう。そういう企画をやるなと言っている訳ではなく、抽選制の価値はそれで尊重するとして、では何を考えるのかだ。沢山の人に来て貰おうとドームツアーを執り行えば音質は犠牲にせざるを得まい。だからといってホールツアーに限定すると一体何公演こなさないといけないかわからない。どこらへんを落としどころとするか。ヒカルのスタミナ、季節天候気温湿度、移動距離、公演間隔…幾らでもファクターはある。何とかうまくやってほしいです。

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