一年纏めの時期に入ってきたがまぁ宇多田ファンは浮ついたもので(笑)、来年の新作とツアーに完全に関心が移っていて2017年なんてとっとと終わって欲しいと言わんばかりの勢いだ。いやそれは言い過ぎだな。今年は『Ray Of Hope』や『あなたが待ってる」から『あなた』に至るまでコンスタントに活動してくれたお陰で2017年に愛着がないと言ったら完全に嘘になるし。ローカルな話題だが最後にはコラボカフェまで登場していよいよ2018年に向けて…ってやっぱり意識がもう来年に向いてるか。誰の事も言えんわ。
足元をみよう。前回からの続き。
ヒカルの音楽的趣味興味が年々変わっているかもしれないと思いを馳せる時に決まって浮かぶフレーズがある。『傷つきやすいまま大人になったって いいじゃないか』―そう、『タイム・リミット』の最後尾手前の一文だ。果たしてヒカルはこの歌詞の通り、傷つきやすいまま大人になったのだろうか。
「きずつきやすさ」はそのまま「きづきやすさ」に繋がる。大人になると取るに足らない事として最初からハナにもかけないような事にまで気をかける、気になる、気にしてしまう。色んな事にきづいてしまうからきずついてしまう。そんな繊細でセンシティブな感性がヒカルの持ち味であり魅力である。
「きづくおとな」になっているいちばんの証左は「ものひろい」である。プジョーのホイールまで行くと何事かと思うが小さな人形のパーツまでひろってしまえるとは大人になって日々せかせかと動いている人間には出来ない芸当だ。今でもヒカルは、大人が見向きもしない事まで視野に入れて、気を揉み、きがつき、もしかしたらきずついているかもしれない。
しかし一方で、随分図太くなったなぁというのも印象だ。子育てを始めて更に拍車がかかっているだろう。肝っ玉かあちゃんというヤツである。母は強しとよく言うが、強くならないと母なんてやっていられないのだ。
しかしそれは、「鈍くなった」という事ではないだろう。今のヒカルはもう思春期のような"実存的不安"に苛まれる事はないかもしれず、従って彼らと同じ気持ちになって寄り添う事が出来なくなっているかもしれない。しかし、一度は通ってきた道だ、"理解を示す"事は出来るだろう。今のヒカルの歌を10代のファンがリアリティをもって聴けるかというのが分かれ目である。ここは、つぶさに眺めていなくてはなるまい。
10代の頃は大人の恋愛を歌う為にはその役をある程度演じなければならなかった。幾ら大人の感覚や感情を理解していようと、本当の自分からの距離はどうしようもなかった。20代のヒカルは大人になって、大人の恋の歌を等身大で歌えるようになった。30代になった今、10代遠くになりにけり。今その頃の切なさや孤独やどうしようもなさを歌うにはヒカルもある程度演じなければならないのだろうか。それとも未だに現役か。それは例えば次のツアーで『For You』なんかを歌った時にわかるかもしれない。『Forevermore』も歌うだろうから、その差は如実にわかるだろう。
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