無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルの『あなた』がエンディングテーマ曲として使われている漫画原作の映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観てきた。いやはや、前評判も高くなかったし封切り日だというのに160席(初日からまぁ小さいスクリーンだこと)の半分も埋まらずガラガラで非常にゆったり観させてもらったが、これが実によく出来ている。残業続きで土曜出勤も重なりクタクタでつつけば今にも寝落ちしそうな私が一睡もせず二時間強の映画を観終えたのだから大したものだ。普段30分アニメですらすぐ途中で寝てしまうのにな。

放映前の宣伝はアイドル役者たちを中心とした実写映画のものばかりで、「鎌倉ものがたり」もそういう客層を当て込んだ作品なのかなと一瞬思ったが、中身を観てみたら完全なるミスマッチと判明した。舞台が鎌倉で実写なだけで、中身は完全にアニメ映画である。日本人の役者さんに抵抗のないアニメ映画ファン、とりわけディズニー&ピクサーやジブリといった「丁寧に作り込んだ作風」が好きな人はきっと気に入るだろう。

いや、歴史に残る傑作や名作という訳ではない。舞台に鎌倉を選んだという以外はオリジナリティの欠片もない、よくある内容でストーリーも別にどってことはないありふれたものだ。山崎貴監督の他の作品を知らないから勝手な事を言うが、「DESTINY 鎌倉ものがたり」を作った人は、全く世にも新しい事を発明・発見する能力はないが、既にあるよい作品を研究して自分の作品に応用する能力は非常に高い人なのではないだろうか。よって映画通からは特に高い評価は得られないだろうが、こちとらただ目の前の2時間を存分に楽しませてもらえればそれでOKな一般市民なので、この2時間がよく出来ていれば満足なのだ。よって満足である。

あとは役者さんを気に入るかどうかだわな、アニメ映画ファンからすれば。キャスティングのノリは完全に内輪な感じの、流石テレビ局制作だなと思わせる国際感覚皆無のソレなのだが、私としては「高畑充希が可愛かった」だけでもう頗る首肯反復だ。恐らく、原作漫画(私はまだ読んでいない)でのキャラ造形とは若干違う印象でありそれ故原作ファンからは難癖をつけられるかもしれないが、原作を知らない身からすれば目の前の高畑充希が魅力的であってそれで万事大丈夫である。いや〜、元々お芝居は上手な子だが、やっぱり前髪おろしてる方が似合うね。「とと姉ちゃん」よりよかったよ。彼女の顔は前面にくっきりはっきりしたパーツが冗談みたいに綺麗に並んでいるタイプなので、徹頭徹尾茶番臭しかしないこの映画にはピッタリの人選だ。

そして堺雅人。彼も随分と偏った人種を演じる時に威力を発揮するタイプなのだろうが、いやぁ笑った。間違いなく原作通りである。全く原作を読んでいなくてもわかる、キャラ造形にブレやズレを感じない。ある種作者の分身的存在なのだろうな。試写を観たヒカルの感想そのまんまである。これには高畑充希に不満の残る原作ファンも溜飲を下げるだろう。


そしてエンディングテーマの『あなた』である。もうこれがバッチリ。本編のディズニーのサウンドトラックみたいな音楽も相当よかったが、まさに真打ち登場という感じ。一番の歌詞が映画そのまんまで徐々にスタッフロールの中で『宇多田ヒカルの世界』を聴かせこんでいく手腕は圧巻の一言。ちょっと映画のエンディングテーマ作りっぷりがこなれすぎていて小癪に感じる位だ。楽曲自体への私の評価は変わらないが、映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の主題歌としての『あなた』の立ち位置は満点に近い。原作を流し読みしただけでこの曲を作ったのならやっぱヒカルは天才。嗚呼よかった。

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読者の皆さんは薄々感じていたと思うが、私の『あなた』に対する評価は余り芳しい感じではない。わかりやすく言えば、今までヒカルの新曲がリリースされたほぼ総ての楽曲は「仮に宇多田ヒカルという看板がなくとも、ラジオで流れてきたら購入を即断するレベル」のものばかりだったのだが、今回ほぼ初めて「もしこの曲が誰の曲とも知らずにラジオから流れてきたとしてもスルーしたかも」と感じたのだった。いや別に250円を出す価値がないとかではなく、毎日何十曲と新しい曲を聴いていく中で手元に残しておきたいと感じる曲はそのうち1、2曲くらいの割合なんだけどもだからといってその他の何十曲が駄目という訳でもないんだな。ただ残るか残らないかの差があるかどうかなんだ。

そんな感触だったので『あなた』の評価はフルで聴けるまで保留するつもりで昨日まで来た。果たして、フルで聴いてみると、やはり『大空で抱きしめて』と『Forevermore』に引き続く楽曲という事で楽曲全体の構成、特にエンディングのアイデアには秀逸なものがあり、フルで聴くまで待った甲斐があったと唸らされるものだったが、結局最初に感じたサビの"中途半端"な印象は変わらないままだった。爾後私の印象と評価も中途半端なままだ。

ポップスにおいて"中途半端"は決してネガティブな話ではない。大衆を相手にする以上、八方美人やどっちつかずを極めていって終局「万民に愛される」存在になっていくのは寧ろ王道であろう。であるからには、『あなた』はもしかしたら、この中途半端さを押し進めていけば最終的には大ヒット曲を生む"未来への種が巻かれた"タイプの楽曲であるかもしれず、とすれば、曲調は全く異なるものの、作曲者やリスナーに与える機能としては例えば『Passion』のように、売れなかったけれど後々どんどん影響力を増していくようになるやもしれぬ。未来はわからない。

しかし、さしあたって、今目の前にあるひとつの楽曲としては、私の印象は"中途半端"なままである。シビアだが本音だろうしこの状況説明は事実である。嘘ではない。

取り敢えず、映画を観てみないとヒカルの"意図"はわからない。エンディングで流れて初めて"ピタッとハマる"何かがあるかもわからないし。そこで私の評価にも変化が起こるかもしれない。でも、そうなったとしてもポップスの楽曲としての評価は変わらない。やはりポップソングはラジオから流れてきた時に「ん?」と反応できるかが肝要だろうからだ。それとは別に、ヒカルのキャリアへの影響力の強さについての認識や理解は日々深まっていくかもしれなく、それについてはこの日記で日々更新されていく事だろうからお楽しみに。

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