アールブリュット作家 犬塚弘さんを訪ねて。二日目は犬塚さんとのお付き合いが深い南島原市の「吉田屋」へ、酒蔵めぐりに同行することになった。清酒「萬勝」の醸造元で、犬塚さんは年に3〜4回ほどこちらを訪ねては、ラベルを入手したり酒瓶を眺めたりして過ごしている。グループホームのある雲仙市西郷地区から、有明海や普賢岳を眺めつつクルマで1時間ほど。有家地区の古い民家街の路地をやや行ったところに、白壁に瓦葺きの建物群と煉瓦の煙突が見えてきた。
吉田屋の創業は大正6年、島原半島でも屈指の古い酒蔵で、ご主人の嘉明さんは四代目になる。仕込み蔵へと足を運ぶと、巨大な天秤棒のような装置が圧巻だ。「撥ね木(はねぎ)」という、創業時に使われていた搾り器である。左下の「槽(ふね)」にもろみを詰めた酒袋を積み、「阿弥陀車」という滑車を用いて、長さ8mあるこの木を下ろして圧を掛ける。梃子の原理で搾るこのやり方は、手間はかかり繊細な作業だが、それが味に出ると嘉明さん。今では長崎ではここだけ、全国で6カ所ほどしかないという。毎年11月から半年ほど、仕込みと搾りを繰り返し、現在は4月に搾る分の仕込みの最中なのだそうだ。
非常に珍しい醸造方法につい聞き入ってしまったが、犬塚さんの関心はむしろ売り場の方に向いている。場所を移すと犬塚さんは帳場に直行、嘉明さんからラベルがたくさん入った袋を手渡され、代金10円を支払った。いただくのではなく購入にしているのは犬塚さんの意向で、「商取引」だからちゃんと発注もされている。訪問前に送られてくる「注文書」に合わせてラベルを揃えています、と嘉明さん。見せてもらうと細かく指示された銘柄とともに、いついつに行くので用意して欲しいと添えられた「依頼状」が、礼節あり丁寧な分、微笑ましくもある。
このようなやりとりで、いつも犬塚さんを温かく迎える嘉明さんだが、お付き合いが始まった30年ほど前は先代が応対していたのを見つつ、自身はどう接するべきか戸惑っていた時期もあったという。犬塚さんから欲しいラベルを一方的に要求する電話があっては、驚いて返事に窮する。それに対して南高愛隣会の職員からよこされるお詫びの連絡に、恐縮して迷う。自然体のあるがままで接するのがよいとの嘉明さんなりの答えは、そんなやりとりの積み重ねから導き出されたところも大きいようである。
ラベルを購入して、売り場の酒瓶を撮影して、さらに持参の升で少しだけ試飲もして、と忙しなく移動する犬塚さん。吉田屋でのルーティンでもう一つ必須なのが、空き瓶の観察だ。屋外に積まれたケースの山に寄っては離れ、瓶を回しては戻しをしながら、あまたあるラベルを刻み込むかのように、ひたすら凝視する。とても嬉しそうなその様子を見守りつつ、人として一番の喜びを見せてもらっており、こちらも嬉しくなると嘉明さんが話す。
いつも酒蔵にやってきて、このように過ごしていく犬塚さんが、作家として長崎県美術館で個展を開催するまでになった。好きなことを続けて実ってよかった、まわりの人たちの努力も報われた、と語る嘉明さんに、個展を契機に変化があったか尋ねてみたところ、「犬塚さん自身は何も変わりません。だから、こちらも自然体のまま。来てくれたら迎え、望むことをお好きにしていただいています」。その一方で、作家としての犬塚さんにエールも送る。同じ境遇や才能を持つ人でも、誰もが同じ道を歩めるわけではない。なので彼がそのきっかけになってほしいと。「自由に生き、まわりの人を幸せにする、山下清さんみたいな画家になってもらいたいですね」。
嘉明さんとお話をしている間も、たくさんの酒瓶とひたすら対峙し続ける犬塚さん。その姿も想いも、彼が描く酒瓶画のルーツがある、近所の酒屋でラベルを見ていた伊江島での幼少期から、ずっと変わらないのかもしれない。
吉田屋の創業は大正6年、島原半島でも屈指の古い酒蔵で、ご主人の嘉明さんは四代目になる。仕込み蔵へと足を運ぶと、巨大な天秤棒のような装置が圧巻だ。「撥ね木(はねぎ)」という、創業時に使われていた搾り器である。左下の「槽(ふね)」にもろみを詰めた酒袋を積み、「阿弥陀車」という滑車を用いて、長さ8mあるこの木を下ろして圧を掛ける。梃子の原理で搾るこのやり方は、手間はかかり繊細な作業だが、それが味に出ると嘉明さん。今では長崎ではここだけ、全国で6カ所ほどしかないという。毎年11月から半年ほど、仕込みと搾りを繰り返し、現在は4月に搾る分の仕込みの最中なのだそうだ。
非常に珍しい醸造方法につい聞き入ってしまったが、犬塚さんの関心はむしろ売り場の方に向いている。場所を移すと犬塚さんは帳場に直行、嘉明さんからラベルがたくさん入った袋を手渡され、代金10円を支払った。いただくのではなく購入にしているのは犬塚さんの意向で、「商取引」だからちゃんと発注もされている。訪問前に送られてくる「注文書」に合わせてラベルを揃えています、と嘉明さん。見せてもらうと細かく指示された銘柄とともに、いついつに行くので用意して欲しいと添えられた「依頼状」が、礼節あり丁寧な分、微笑ましくもある。
このようなやりとりで、いつも犬塚さんを温かく迎える嘉明さんだが、お付き合いが始まった30年ほど前は先代が応対していたのを見つつ、自身はどう接するべきか戸惑っていた時期もあったという。犬塚さんから欲しいラベルを一方的に要求する電話があっては、驚いて返事に窮する。それに対して南高愛隣会の職員からよこされるお詫びの連絡に、恐縮して迷う。自然体のあるがままで接するのがよいとの嘉明さんなりの答えは、そんなやりとりの積み重ねから導き出されたところも大きいようである。
ラベルを購入して、売り場の酒瓶を撮影して、さらに持参の升で少しだけ試飲もして、と忙しなく移動する犬塚さん。吉田屋でのルーティンでもう一つ必須なのが、空き瓶の観察だ。屋外に積まれたケースの山に寄っては離れ、瓶を回しては戻しをしながら、あまたあるラベルを刻み込むかのように、ひたすら凝視する。とても嬉しそうなその様子を見守りつつ、人として一番の喜びを見せてもらっており、こちらも嬉しくなると嘉明さんが話す。
いつも酒蔵にやってきて、このように過ごしていく犬塚さんが、作家として長崎県美術館で個展を開催するまでになった。好きなことを続けて実ってよかった、まわりの人たちの努力も報われた、と語る嘉明さんに、個展を契機に変化があったか尋ねてみたところ、「犬塚さん自身は何も変わりません。だから、こちらも自然体のまま。来てくれたら迎え、望むことをお好きにしていただいています」。その一方で、作家としての犬塚さんにエールも送る。同じ境遇や才能を持つ人でも、誰もが同じ道を歩めるわけではない。なので彼がそのきっかけになってほしいと。「自由に生き、まわりの人を幸せにする、山下清さんみたいな画家になってもらいたいですね」。
嘉明さんとお話をしている間も、たくさんの酒瓶とひたすら対峙し続ける犬塚さん。その姿も想いも、彼が描く酒瓶画のルーツがある、近所の酒屋でラベルを見ていた伊江島での幼少期から、ずっと変わらないのかもしれない。