ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

【朝カルおさんぽ講座】大橋〜中目黒編4

2018年03月17日 | おさんぽ講座・介護レクの記録

編集長と歩くおさんぽ講座・大橋~中目黒編、高台の旧山手通をから再び目黒川へと下る。喧騒と静けさが繰り返す、変化に富む散策の締めは

 

朝倉家住宅

   東京府議会議長を務めた朝倉虎治郎宅で、広大な敷地の中に大規模な和の邸宅が建つ。大正8年築の文字通り大正レトロの建物は、真ん中に会議室、まわりに応接、食堂、茶室などを配したレイアウト。斜面に臨むガラス窓が大きくとられ明るく、二階から富士山も望める。

   西郷邸と同様に目黒川に落ち込む斜面を使っており、見どころはこの斜面に広がる庭園。いわば崖線の回遊庭園で、飛び石をたどり歩けば自然のままの造形美が素晴らしい。商業施設・代官山ヒルサイドテラスの真裏ながら、表通りの喧騒がウソのような凛とした静けさ。まさに時間が大正期のまま止まったような、エアポケットのような一角である。

 

目黒元富士・目切坂

   1812年、目黒の熱烈な富士講員が設置した富士塚で、区内にもう一つあった富士塚に対して「元富士」「西富士」と呼ばれていた。富士山の溶岩を使った塚は高さ12メートル、リアルなつづら折の登山道も設けられていたという。氷川神社に移る前にはここにあり、当時は山頂から富士山が見えたろうが今は正面をマンションが塞ぐ。

   ここから目黒川へと下る「目切り坂」は、あたりに石臼の目を切る職人がいたから名がついたとされる。大樹が歩道に被るしっとり静かな坂で、ここもまた喧騒から離れた散歩道である。

 

目黒川の桜はまだ早かったので、一年前の満開時の写真を見てもらい、沿道のおしゃれな店をランチスポット案内しつつ、中目黒駅にゴール。


【朝カルおさんぽ講座】大橋〜中目黒編3

2018年03月17日 | おさんぽ講座・介護レクの記録

朝カル「編集長と歩くおさんぽ講座」大橋~中目黒編、続いて目黒川沿いから目黒川崖線を登り、代官山へも足を伸ばします。

 

菅刈公園

    もとは旧岡藩(大分県)の下屋敷で、池や滝が配された江戸の名所的庭園があった。明治7年から西郷隆盛の弟・従道の屋敷地となり、洋館や書院などが建てられた和洋折衷、東都一の名園と呼ばれていた。

   広さは14万坪で麦、桑、野菜などの畑が多く、当時はまだ珍しいトマトも作っていたとか。隣接の菅刈小学校は牧場で、牛乳は自給していたそう。公園内には当時からの樹木が残り、アラカシ、クスノキは温暖な地の樹木なので、鹿児島から持ってきたものかもしれない。

 

西郷従道邸

   公園の奥に庭園の一部が復元され、崖線の斜面に茂る樹林、崖上の高台を流れていた三田用水を引いた滝など、高低差を生かした回遊庭園だったことが伺える。邸宅からは当時、渋谷側の山を背に西側の森と田、遠くに山々が広がる、素晴らしい光景が拝めたという。

   従道はこの邸宅に隆盛を迎えたかったのだが、隆盛は西南戦争で命を落とし叶わなかった。戦後は国鉄所有となり、プロ野球スワローズの合宿所だったこともあるとか。

 

西郷山公園

   旧西郷邸北東の丘陵部は、地元で「西郷山」と呼ばれていたエリアで、傾斜を生かした公園が整備されている。落差20メートルの滝と展望台が見どころで、ところどころには桜島から運んだ溶岩の大岩も配されている。

  上まで登ると息が上がるが、市街を見下ろす眺めは素晴らしいの一言。空気が澄んだ冬場の富士山の眺めが、じつに見事だそうだ。頂上付近の広場の小高い丘の上には河津桜が咲いており、バックに空が抜けた眺めから「インスタ映えする」撮影スポットになっている。

 

もう少し続きます。



【朝カルおさんぽ講座】大橋〜中目黒編2

2018年03月17日 | おさんぽ講座・介護レクの記録

朝カル「編集長と歩くおさんぽ講座」大橋~中目黒編、実業之日本社のあるクロスエアタワーと隣接の目黒天空庭園もご案内。以下、説明にて。

 

目黒天空庭園

   首都高大橋ジャンクション屋上を整備した庭園で、第13回屋上・壁面・特殊緑化コンクールで国土交通大臣賞受賞するなど、屋上緑化の優良モデルとなっている。ループ状に登る園地は、四季の花の段々畑「四季の庭」、日本庭園風「くつろぎの広場」、雑木林の「潤いの森」、特産だったタケノコをイメージした「もてなしの庭」、石や陶板の枯山水の「奥の庭」など、10のゾーンに分かれている。

   まさに未来都市の庭園で、季節の花、灯篭、築山、水の音を楽しみながらの緩い登りが心地よい。庭園最高部の東口広場では、デッキからアカマツ越しに富士山の頭がチラリ。右下に見下ろせる「おおはし里の杜」は、小川、田んぼが配され小魚やカニが生息するなど、目黒川周辺の自然を再現したクローズゾーン。

 

大橋ジャンクション

   4層構造・高低差70メートルを、一周400メートルのループ2周でつなぐJCT。施設はコロッセオをイメージしたデザインで、国立競技場が入るサイズ。

   敷地はもとは路面電車「玉電」の車庫、後に東急バスの車庫だったところで、土地利用の見返りで都が主体となり周辺を整備。プリズムタワー、クロスエアタワーの2つのビルが一体化し、公園、住居、オフィスが集まる再開発エリアとなっている。クロスエアタワーは42階建てで、上層階は賃貸・分譲マンション。分譲の販売価格はワンルームで3800万~高層階160平米で27000万!

 

では、目黒川沿いに出て続きます。


【朝カルおさんぽ講座】大橋〜中目黒編1

2018年03月17日 | おさんぽ講座・介護レクの記録

3月の朝日カルチャー「編集長と歩くおさんぽ講座」は、会社のある大橋から中目黒まで。駅と社屋の往復ばかりで意外と周囲を歩いたことがなく、いい地元再発見となった。何度か分けてネタ披露させてもらいます。

 

目黒川

  世田谷区三宿の合流点から品川までの7.8キロ中、4キロを山手通り沿いに目黒区内を流れる。現在はほぼ暗渠の下水の幹線だが、かつては飲用と灌漑に用いられ、水遊びや魚とり、ホタル鑑賞などが楽しめた。製粉の水車や友禅流しも見られたという。

   昔はかなり蛇行していたが、大正期に運河とした際に流れをまっすぐにしたそうで、中目黒駅そばにはかつての船着場を模した公園が残っている。

 

富士塚(目黒富士)

    目黒区にはかつて富士塚が2つあり、ここ氷川神社境内のは目切坂上にあった「元富士」が、明治11年に取り壊された際に移された。昭和21年に登山道が設けられ、この頃から「目黒富士」と呼ばれ賑わったという。登山口は交番の脇を入ったところで見つけづらく、途中までは雑居ビルの階段。鳥居をくぐれば土の山肌を巻いた登りとなり、号目の標柱を見ながら登山気分が楽しめる。

   境内には浅間神社が置かれ、今も7/1には山開きが行われるそう。あたりは今は高速の高架とビル群に囲まれているが、昭和60年ごろまでは富士山が見えたらしい。

 

目黒氷川神社 

   旧上目黒村の鎮守。稲荷社、浅間神社、北野神社が末社としてそろい、素戔嗚命、天照大神、菅原道真が祭神。おもに厄除けの神様で、サラリーマンの参拝が多い。

   目の前を横切る玉川通りは、かつて大山詣で(阿夫利神社へ)の往来客で賑わった。参道の石段のたもとに、当時の道標も残っている。石段が急な登りなのは、玉川通りの拡幅で追い込まれたためだとか。

   境内の奥で目を惹く鮮やかな大漁旗は、氏子が三陸の山田町出身の縁で、初詣の際に震災義援金募集で掲げたもの。社務所のお守りや絵馬には、目黒川ゆかりなのか桜の柄が配されており、御朱印帳は黒ベースの夜桜バージョンもある。

 

以下、続きます。


広島商店街てくてくさんぽ2

2018年03月03日 | てくてくさんぽ・取材紀行

広島さんぽは中振連の商店街視察の後は、タカノ橋商店街を訪れた。平和公園から元安川沿いを下って10分ちょっと、地元客の利用が多いアーケード商店街で、近隣の千田地区にタワーマンションができたり、周辺に単身者向けマンションが増えてくるなどのプラス面がある一方、広島大学の移転や大規模小売店の進出など集客に苦戦。物販店が減り飲食店が増える傾向にあるなど、課題も少なくないという。

ひと通り歩いてみるとチェーン系の店はほぼなく、地元に根付いた店舗がほとんどなのがなかなか濃い。健康メニューの定食屋、テレビに出た激辛ラーメン屋、地元客御用達のたこ焼き屋、歩いていたら店主が愛想よく話しかけてくれた花屋、店がおもちゃ箱みたいな玩具店、格式ありげな写真館、モーニング発祥の地?とあるパン屋など。中心には公設市場があり、青果に肉に鮮魚に惣菜と生活感あふれる店舗構成がいい。細い路地の市場風情の中、店頭のワゴンに並ぶ品々を歩くだけでも、何ともワクワクする。

商店街では「アーケード祭り」というイベントを定期的に行なっているほか、飲み歩きイベント「はしご酒祭り」は近隣の千田街商店街との連携も進めているなど、様々な仕掛けに積極的だ。それらを進める上で、個々の商店の個性付けも必要となる。専門性を持った店舗が「プロ」として、お客との繋がりを持つ。イベントを出発点にお店、ひいては商店街のファンをつくることで、大規模小売店との差別化ができれば面白そうだ。

ここの展開で興味深いのが、外国人客を意識していること。MICEと連携したユニークべニュー(特別な会場でのレセプション)の実績があり、各国の国際会議参加者に来てもらい市民とともに商店街でふれあいイベントを開催。以後も外国人と地元の人との交流の場、特に子供との生きた語学教育の場となるような施策を考えているそうである。平和公園から外国人の導流にもつながり、当地らしいストーリーづくりが期待される。 

空き店舗を利用して、ゲストハウスを兼ねた英会話教室を設ける。商店に外国人客を民泊してもらい、店の手伝いをしてもらう「体験ツーリズム」を仕掛ける。個性を押し出しての商店の紹介に平和公園からの導線づくりとくれば、「おさんぽ」の提案もできそうだ。歩くほどにジャストアイデアがいろいろ浮かぶ、アクティブな商店街である。