ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル祭りのハレごはん…岸和田・だんじり祭り/『歩っ歩や』の、かんとだき

2018年06月30日 | ◆旅で出会ったローカルごはん
だんじり祭りと並ぶ岸和田のシンボルといえば、市街にそびえる岸和田城だ。楠木正成の一族・和田高家が築いた城で、そもそも「岸」という地名の場所を「和田」氏が治めたことが、市名の由来という。白亜の眩しい天守は周囲を堀に囲まれており、この外周がだんじり祭りのラストを飾る「宮入」のルートになっている。紀州街道から難所の「こなから坂」を駆け上がり、堀に沿って西〜南〜東と城を4分の3周して、隣接する岸城神社の境内へと入っていく。豪壮な天守を巡り廻る、装飾が満載の勇壮なだんじりは、さぞかし絵になるシーンだろう。

こちらも天守を見ながら堀を半周して、岸城神社の境内へと足を向けた。岸和田城三の丸に鎮座しており、もともとこの地にあった稲荷社に五穀豊穣を祈願した祭りのため、一説ではだんじり祭り発祥の地ともされている。9月の例祭の際には、市街を曳き廻されただんじりが15台、宮入して勢ぞろいする様が壮観だが、今の境内は夏の装い。七夕の竹飾りや夏越の祓えの茅の輪が据えられ、輪を八の字に潜り無病息災祈願してしばし佇むと、あたりには軽く響く風鈴の音しか聞こえてこない。鳥居越しに城から入ってくるだんじりの宮入の熱気を、想像するのが難しいほどの静寂さである。

祭のルーツである社、臨場感ある映像を見られる資料館、城から旧街道への巡行ルート。由縁のある場所にひととおり場所に足を運んだら、だんじり祭りへの理解が深まったのと合わせ、印象もずいぶん変わったような。最後はだんじりも走行する岸和田駅前商店街のアーケードで、ハレごはんをいただいて締めくくりとしたいところだ。祭の地の商店街らしく、一般の商店に混じり提灯屋や足袋や晒しを売る店が混じる中を歩くと、駅のそばでカウンターのみの小さな飲み屋に出くわした。店頭の「年がら年中『かんとだき』」の貼り紙にやった、とばかり、この「歩っ歩や」に腰を据えることにした。

扉をくぐるとまだ16時のせいか、店のおばちゃんと常連らしい親父さんがひとり、カウンターを挟んで談笑していた。隅に留まって生ビール、そしてさっそく「かんとだき。ちくわとダイコンとゴボ天と厚揚げ、あと玉子もね」。すぐにおばちゃんは手際よく、奥の鍋から各種盛って出してくれた。どれも汁の色が程よく染みて、いい味が出ているよう。長いちくわはほんのりダシの香りが漂い、ゴボ天はゴボウの土の香りがどっしり根をおろす。ダイコンは箸をかけただけで切れる柔らかさで、煮崩れないギリギリの締まり加減がいい。

概ねの想像通り、かんとだきとはいわゆる「おでん」のことだ。期間中には各家庭でつくられ、祭りを観に町へ来た親戚一同に供されるほか、各町の曳行の本部、町中の屋台など、あちこちで味わわれる。まさにだんじり祭の際のもてなし食、かつ参加する者の食でもあり、くるみ餅とこの時期が旬のワタリガニと並ぶハレごはんなのだ。ちなみに漢字で書くと「関東炊き」で関東から伝わった料理、との説があるが、「広東(かんとん)炊き」であり中国伝来を主張する派もいる。ともあれこの店で「年がら年中」供されているような、関西に根付き親しまれている料理なのは、間違いないのではなかろうか。

町歩きの後だからか昼酒がまわったからか、5品のかんとだきをさっと平らげたら、沢の鶴の冷酒を追加して、地ダコのつくりに明太ポテサラと止まらない。続くは泉州のローカル地魚・ガッチョ(ネズミゴチ)の唐揚げに、泉州水ナスのお浸しも控えている。だんじり祭りゆかりのアテに、杯を傾け続ける一夜。ふと窓越しのアーケード通りに目をやれば、だんじり会館で見た火入れ巡行の灯りが、酔うほどに揺れて見えてきたような気がした。

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