ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

広島戦跡てくてくさんぽ3

2016年03月26日 | てくてくさんぽ・取材紀行
広島視察での楽しみは、オプショナルで地元の人のみぞ知る「ディープヒロシマ」を案内してもらえること。平和公園周辺だけでない戦争の記憶を、今回もじっくり案内していただいた。

最初に訪れたのが、比治山公園にある陸軍墓地。比治山は広島駅の南側にそびえる小高い丘で、原爆が投下された際に東の市街の被害が浅かったのは、ここが遮蔽役となったからといわれる。公園の北寄りは広島市現代美術館やマンガ図書館の文化施設が建ち、花見の名所である市民の憩いの場だが、南には放射線影響研究所に並ぶ古びた蒲鉾型の建物が、立入禁止かつ窓を閉ざした物々しい雰囲気を漂わせる。

比治山陸軍墓地はその向かいにあり、拝所の建屋の先に無数の石墓がびっしり立ち並んでいる。氏名の分かる上級士官ほか、名前の分からぬ無縁仏は県別や師団別に墓標が刻まれる。日本人のみならず、ドイツ人や中国人、フランス人の墓標もあり、間に立つとえもしれぬ重い威圧感に押される。ラッパ兵・木口小平の名も刻まれており、解説板に「敵の弾に当たったが死んでもラッパを口から離さなかった」との逸話があるのが、何とも物悲しい。

この墓所、古くは西南戦争の頃から太平洋戦争までの、軍の戦士兵を弔っている。かつては放射線影響研究所の敷地まで墓地だったが、移転および砲台の設置により整理され、さらに原爆や枕崎台風の被害もあり、ひところはかなり荒れていたという。お国のために戦い非業の死を遂げながら、政府や米軍などから非情な扱いを受けていた、悲しい戦争遺産でもある。

墓地の奥からは市街をはじめ、宇品や似島や宮島や瀬戸内を見渡せる。訪れる人のない好展望が、眠るものへのせめてもの慰めか。

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