ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

中津てくてくさんぽ2

2017年08月05日 | てくてくさんぽ・取材紀行
大分・中津の夜さんぽ、中津の城下町は要塞都市で、街中には中津城の遺構が随所に残っている。寺町から城郭へ向かって歩くと、商人町との境である堀が残る御用屋敷跡を見て、大手門跡で三ノ丸へと入り、黒御門跡から二ノ丸、さらに椎木御門跡を経て天守のある本丸へと至る。それぞれの跡地には案内板が整備され、大手門は武者を多数配置できる枡形が設けられていたとあり、当時の石垣も残っている。防御機能を備える城下町に、こうした二重三重の関門が設けらた城郭と、さすがは官兵衛の守りの城と言える。

椎木御門を過ぎると、内堀の薬研堀沿いに進み、堀端に漆黒の二重櫓と天守が、夜の闇の中に浮かぶ様が見えてきた。どちらも昭和39年に造られたもので、記録では中津城に天守があったか定かでない。模擬天守はかつて隅櫓があった場所に建ち、五層の勇壮さながら石垣の土台からはみだし、ちとアンバランスなような。下見板張りのブラックなフォルムは山口の萩城を模したのだとか。

中津城は日本三大水城に数えられ、潮の干満を利用して堀に水を引き込んでいる。北側の石垣に面して中津川が流れており、平城ながら防御は万全の様相だ。天守からは中津川と、河口の豊前海も一望。対岸の中州には漁師町の小祝があり、中津の地魚の水揚げ拠点となっている。小祝は黒田官兵衛の後に当地を治めた、細川忠興が整備したとされ、中津の地魚であるハモを水揚げすべく、腕利きの漁師を引き抜いて集めたとの所以がある。

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