ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん…奈良・餅飯殿 『魚万』の、揚げかまぼこ三種

2016年12月03日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
格子造りの民家や白壁土蔵の商家が密集する奈良町は、かつては興福寺に比していた大寺・元興寺の寺域だったという。界隈を歩くと飛鳥期の屋根瓦積みを残す極楽坊、礎石のみが残る五重塔跡など、当時の名残を留める史跡も数多い。別院だった十輪院の境内には小さな古墳が現存しており、説明書きには「魚養」との文字。古来の養魚業と所以があるかと参拝したがあいにく無関係で、寺の開祖が朝野魚養なる名と説明にあった。街並みさんぽの道中から、ローカル魚との関わりの糸口が見つかるか期待したのだが、奈良県は内陸の海なし県ゆえになかなか難しい。

水揚げ地でもなく、水産加工が盛んでもない奈良県だが、その立地や歴史に即した魚食文化が、いくつか形成されている。熊野灘沿岸の魚介を用いたサンマ寿司や、吉野の郷土寿司・柿の葉寿司などは、熟れや酢締めや葉の殺菌効果により遠路を運搬できるよう、発達した寿司文化だ。また新鮮な魚が手に入りづらいということは、魚が特別な食材に位置付けられることにもつながる。県内には秋祭りでエソを焼いて食べたり、正月にエイの煮こごりや棒ダラ煮付けを供する風習が伝承される地域があり、魚がいわゆる「ハレ」の食材だったことが伺える。こうした背景を意識しつつ、奈良のいまのローカル魚事情を、街を歩いて見出してみたいものだ。

奈良町から餅飯殿のアーケード商店街「もちいどのセンター街」へと足を向け、沿道の飲食物販店を眺めながら歩いてみる。すると通りの中ほどで、店頭にかまぼこやさつま揚げを並べる店に出くわした。どれも串を打ってあり、テイクアウトして食べ歩きできるらしい。奈良町方面を散策する客を意識してのしつらえなようだ。店内を覗くと、ほかにも様々なタネを使った揚げかまぼこが揃っており、練り製品は魚繋がり、といくつか選んでみることにした。エビやゲソやタコなどのほか、チーズやキムチにポテトといった今風のもあり、ローカル魚縛りを意識しつつもちょっと浮気心が湧いたりして。

白壁商家風の店構えには「魚万」とあり、先ほどの魚養のようなことはなく、れっきとした水産加工店の屋号である。しかもこの店、思いのほか奈良の町とのゆかりが深い。創業は1901(明治34)年と、餅飯殿の界隈では老舗の部類に入る。以来、海のない奈良に魚を提供すべく、薩摩揚げや天ぷらなど揚げかまぼこを扱い続けて110年あまり。観光客にとって便利な立地ながら、界隈の普段使いの客を中心とした、町の揚げかまぼこ屋として根付いている。店の由緒書きによると、鮮魚を練り製品の形や味に変えることで「魚の命を移し替える」とあり、魚を特別な食材と捉える当地の思いが伝わってくるようにも思える。

目移りする中からオーソドックスなイワシ団子にジャコ天の魚系と、古都らしくゆば巻の三種を選び、路地から猿沢池に出てベンチでかじりついてみる。ジャコ天は小魚のすり身を揚げた宇和島のとは違い、中からやや大振りのジャコがたっぷり顔を出した。イワシの形になるぐらい成長した「かえりちりめん」が練り込まれており、弾力あるすり身の甘さとジャコの香ばしい塩っ気が、いかにも魚の天ぷららしい。イワシ団子はすり身がフワリ柔らかく、ゴボウの土の香りが強靭。こちらは野菜どころの奈良らしい、大地に根差したような安定感がある。湯葉巻は流行りの代わりかまぼこっぽく、パリッ、シコッとの歯応え二重奏からグリーンピースがハイカラな、和洋の折衷感が楽しい。

池越しには興福寺の五重塔がそびえるのが望め、かじり眺めながら先ほどの由緒書きを思い返してみる。鮮魚を練り物に加工することは殺生の業を背負うことではなく、人の命となる美味で栄養ある形へと転生させること、なんて説法が浮かべば、普通の揚げかまぼこがいかにも仏教都市らしいローカル魚に思えてきたりして。

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