小祝の漁港は、中津城の対岸に位置する中州の北端、中津川の河口付近に位置しており、城から河岸を歩いて行くことができる。城下町めぐりの翌朝は漁港さんぽとばかり、土手をのんびり豊前海方面に歩いてみた。史実からして江戸期の漁師町風情をイメージしたら、到着してみると広い敷地にゆったりとした係留護岸が整備され、なかなか近代的だ。中津の近海は古くから遠浅で、干満差が大きいため干潮時には干上がってしまい、漁船の係留に支障をきたしていた。そこで昭和48年から10年がかりで整備したのが、現在の小祝漁港である。
日曜だから水揚げ作業や競りはないのか、荷捌き場は稼働しておらず、漁師がパラパラと漁具の手入れをしている程度と、広さも相まってガランとしている。係留されている漁船は屋根のない小型船が中心で、かご網や底引き網を載せ、小型の巻上げ機も備えていた。中津川の河口近海は砂底のため、網漁の操業がしやすく、タコやイカ、ワタリガニを狙ったカゴ漁や建網漁、やや沖合では昨日いただいたキスや鯛を狙った船曳網漁、ハモやシタビラメを狙った底引き網が主流という。シタビラメはフランス料理にも用いられる高級魚介で、地元では「ベタ」と呼ばれ一夜干しが人気とか。第三日曜にここで開かれる「漁師さんの朝市」でも、売れ行き上々の品だそうだ。
漁港に隣接する「小祝新町」は、この漁港が整備された際にできた新興住宅地で、細川時代に漁師を集めたところでない。「小祝」の町名が残るエリアは、中州の中津城の対岸付近に広がっている。小祝漁港からの帰りに回ると、小祝神社の小さな社が構え、隣接して古来の製法を守る醤油醸造元なども。集落に入り込むと、木造で瓦屋根の重厚な家並みが続く。細い路地越しに中津城を臨めるところもあり、まさに城下の漁師町といったたたずまいだ。小祝は江戸期には、漁業をはじめ廻船業の拠点としても賑わい、運上場や御用船の係留場が設けられるなど、中津の経済や物流の中心地だったようである。
駅へと戻るとちょうど昼前だが、こちらも日曜のためやっているお店が少なく、駅の周辺だと日の出町商店街の中程にある「日の出寿司」しか店を開けていない。商店街のアーケードもレトロだが、この店の年季も相当で、店頭の大量多種すぎる品書きや、食欲喚起を意識してないすすぼけたサンプルが、一抹の不安を呼ぶ。とはいえ品書きには「ハモ」「地魚」の文字もあり、ほかの店の選択肢は皆無のためえいっ、と扉を開けた。中は営業してるか訝しんでしまう薄暗さで、カウンターや座敷の隅には皿やら調度やらが無造作に積まれており、庶民的という次元を超えたラフな様相である。
すると客の気配を感じたらしく、無人の店内の奥から、おばあちゃんがパタパタと出てきた。どこからいらしたの? 中津に来たならハモがおすすめよ、と愛想は良く、まずはひと安心。ハモ料理は刺身、湯引き、天ぷらなど各種あるものの、昨夜のあんかけのインパクトが強く、どうも新たに食指が動かない。ハモは昨日食べたので、とローカル色の濃い魚を聞くと、おばあちゃんは思案の上で「ベタならありますよ」。値段を聞いたらしばらく外した後、鮮魚のパックを片手に戻ってきた。何と、いま魚屋で買ってきてくれたのだ。尾頭付きで600円なので商談成立、「結構高い魚だけど、サービスよ」とおばあちゃんが笑う。
待ちながら、今朝小祝漁港まで行ってきたと伝えたところ、船がみんな停まってたでしょう、と。今日はシケで出漁できなかったようで、自分の注文にわざわざ「仕入れに」行ってくれたおばあちゃんに、改めて感謝である。つれづれに小祝の昔話をしてくれ、今は小舟ばかりだがかつては大型の漁船が出入りし、白さエビや車エビやゆでたシャコを築地に出していた、海苔漁師は1年分の売上を短期で楽々上げていた、など、当時から日本三大干潟に挙げられる、優良な漁場であるのが伺える。かなり沖まで遠浅のため、自身も随分遠くまでアサリを採りに行ったと、干潟が盛況だった頃をしきりに懐かしんでいる。
シケで今日の魚はよそ物ばかりだけど、ベタとハモは小祝の地物ですよ、と強い推しのおばあちゃん。特にハモは上物だそうで、せっかくだから湯引きを一人前いただいた。口に入れたとたん、キュッと締まった身が実に芳醇。ポン酢と梅でさっぱりいただけ、酸味のおかげで後味がすっぱりと潔い、これぞまさに夏の魚である。ちなみに付近でハモが棲息する海域は、中津の近海の砂地のみだそう。漁場がちょっとずれて、国東半島寄りや福岡県寄りになると揚がらないらしく、「中津沿岸は住み心地がいいんでしょうね」との言葉に思わず納得してしまう。
そして待望のベタは、砂糖を使わず醤油とみりんのみでサッと煮付て出された。寄り目のユニークな見た目に対し、舌触りが実に上品。ねっとりとした食感から、じっとり白身の旨味がまとわり後をひく。味付けは感じない程度で、白身の味だけ純粋に味わえるのもいい。昨夜に続く白身の食べ比べは、若々しいハツラツさのハモ、妙齢の円熟味のベタといった評価だろうか。小骨が多く、ハモのように骨を切ったりしないから、ビールのグラスを片手にじっくりと相手をする。これは煮付けでいけるギリギリの大きさで、大きいともっと食べやすいけど、とおばあちゃんは恐縮しきりだが、わざわざ用意くださっただけで充分満足である。
午後は当地出身の偉人、福沢諭吉先生の記念館に行こうか。はたまた日本遺産登録の耶馬渓に足をのばし、渓谷のサイクリングといこうか。思案していたら突如、アーケードの屋根を叩きつけるような轟音が、響き始めた。この季節特有の通り雨らしく、軍師の街攻めも藩主お抱えの漁港攻めもしたことだし、散策はもういいか、と腰が重くなる。馴染めば心地よい超庶民的な店にて、新たな「軍師」にアテを委ねる午後もまたよし、と沈みゆく、中津のローカル魚探訪である。