市の資料館の次は県ということで、新潟県立歴史博物館へも足を延ばした。信濃川を挟んだ対岸にあり、県内全域の歴史を総合的に扱うだけに、かなりの規模。雪国関連の見せ方が特化しており、高田の雁木商店街を再現したジオラマが見ものだ。雑貨屋と駄菓子屋の前の道が2メートル以上の積雪になっており、雪をキューブに区切って屋根から雪下ろしする様子や、積雪の上に設けた道と下をくぐるトンネル通路も再現。豪雪地帯ならではの凄まじさが、リアルに分かる。ほか佐渡金山の金荷の行列模型、新潟に存在していた油田の掘削筒など、模型や復元展示は地縁のあるものが中心となっている。
関心のある食に目を向けると、サケの展示がちらほら目につく。新潟沿岸では1000年以上前の縄文期からサケ漁が行われているとあり、網の錘に使った土垂やサケ漁を示す木簡が出土した記録が残る。中世では室町期の国人領主の色部氏の食卓に塩引き鮭、鮭のいずし、はらこが季節ごとに供された模型があった。面白いのが江戸後期の「越後産物比べ」番付で、サケは関脇大関クラスかと思いきやなぜか行司扱い。村上ほか糸魚川、酒屋、横越、五反田といった産地が、番付から読み取れた。
もうひとつの特産食材の米については、信濃川河口域の低湿地帯の開発にまつまる展示が興味深い。潟だらけの土地の水の通りをよくして、「悪水」を日本海へ抜くための治水に苦労したとあり、西川の下を樋で通して新川で抜く工程が紹介されていた(今は水路橋で川をまたいでいる)。古来から米どころかと思いきや、米作に適する土地にするために、かなりの苦難があったようである。
あとこの博物館、縄文期の展示が充実しており、四季それぞれの暮らしのジオラマがリアルだ。食生活のパネル紹介では製塩や酒造が行われており、土器を使った煮込みや蒸し焼きが調理の主流。アク抜きなどきちんと下ごしらえもされており、だんごやハンバーグ、かりんとう状にして食されていたとの記録があった。サケも常食されており、塩漬けやくんせい、天日干しにされ保存食にも用いられていたという。