ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカルベジタでヘルシーごはん…高崎 『高崎そだち』生産者探訪2

2015年12月07日 | ◆ローカルベジタでヘルシーごはん
高崎のブランド食材「高崎そだち」の生産者めぐり、若手の就農者の話にも出てきた「くらぶち草の会」の主催者の方に、続いて話をうかがった。農薬や化学肥料に頼らない、無農薬有機栽培に取り組んでいる生産者団体で、新規就農者を積極的に受け入れ取引先も確保し、事業としての農業がこの土地で展開できる支えとなっている。

この組織が立ち上がったのは、2005年のこと。就農家の高齢化が進み後継もなく、地域農業存亡の危機が目に見えてきたことが、大きな理由である。以来、会の新規就農者は21世帯で、年に1〜2組のペースで増えている。もっともこれだと離農する数に追いつかず、既存の農家の耕作規模に比べると新規就農者のそれは小さいため、なかなか生産量が上がらない苦労もある。

そんな中での会の強みは、契約栽培で販路が確保されていること。基準さえクリアできていれば一定の価格で買い取ってくれ、生産物の6割は決まった売り先を斡旋される。農協依存の流通だと、トップレベルの技術による規格対応が要求されるところ、新規就農者にはありがたい仕組みである。そのため売上基準は農業委員会制定の数字をクリアしており、年収で家族が充分暮らせるのも、安心して当地に就農できる基盤だろう。

倉渕地区は中山間地域のため、傾斜を切り開いた小規模の畑が多い。一般的に新規就農者の耕作規模は、5年で1ヘクタールに及ぶのがやっとだそうで、初めはこの大きさがかえって適してるとも。新規就農者は農業技術が未熟な反面、大卒や社会人経験者が多く、流通や経営をはじめ異業種の知識があるのも、当地にとってのメリットになっているという。会の方いわく、農業経験者や後継者は辛さや厳しさを知ってしまっているので、未経験者のほうが先入観がなくかえって良いとも。

ひと通りお話を伺った後に、所有の畑を見せていただいた。ターツァイ、水菜、白菜が主な産物で、ターツァイは9月に植えて、いまが収穫期だそう。深い緑の瑞々しい葉物が、冠雪を抱く浅間山の麓に萌える様は、当地の農業の未来を表しているかのように眺められた。

ローカルベジタでヘルシーごはん…高崎 『高崎そだち』生産者探訪1

2015年12月07日 | ◆ローカルベジタでヘルシーごはん

高崎ブランド食材「高崎そだち」の生産者めぐり、最初の訪問先は倉渕地区へ。合併で編入された旧倉渕村で、長野県に接する県境に位置する。ちなみに高崎市、南は埼玉県境にも接しており、合併による市域の拡大が伺える。

倉渕地区は「オーガニック」、すなわち有機農業が根付いた地域である。各地から農業家の方や就農希望者が学びに来ることも多く、中にはそのまま就農する若い農家も多いそうである。この日お会いした方は、そもそも食の安全への意識が高く、奥さんの希望もあり6年前にこの地に就農したとのことだった。

倉渕地区には「くらぶち草の会」という、無農薬・有機の先駆け的な組織が根付いており、新規就農者を積極的な受け入れる環境があった。この方によると、草の会で研修を終えると即、就農でき、らでぃっしゅぼーやや東都生協、大地を守る会などとの取引があるためすぐに出荷ができるなど、恵まれた環境にあるとという。他所からの就農は何かとハードルが高い中、すぐに事業が展開できるというのは、なかなか優れている。

ご自宅でお話を伺った後は、クルマで5分ほどの所有の畑を見せていただいた。中山間の土地柄、小規模の畑を数箇所に渡り提供されており、案内いただいたところも程々の広さの印象。経営作物としては小松菜や白菜をメインにやっており、小松菜は5〜6月に植えて10〜11月に収穫のサイクルで栽培しているそうである。ほかニンジンやホウレンソウ、カブ、キャベツあたりが、主力の経営作物なのだとか。

その隣の畑では、直売用の西洋野菜が栽培されていた。流行りのロマネスコをはじめ、プチベール、ケール、ルッコラ、さらに黒キャベツ、冬キャベツなど。いずれも冬場に旨味が増すそうで、特にキャベツは霜のおかげで甘みが出るという。この大きな寒暖差は、600〜850メートルと標高が高い土地柄ならではのメリットかも知れない。

ご主人によると、標高が高いことはほか、虫が少ないことにも繋がり、無農薬をやりやすい環境なのだという。一方で畑が小さいため、大規模化が難しいというデメリットもある。家族経営が適正規模の広さは、新規就農者の身の丈ではあるのだが、事業拡大を目指すには足かせになるのが、痛し痒しでもあるようだ。

販路が確保されているのも、安定収入が保証される一方で、様々な制約もある。各流通先からのオーダーが草の会に集約され、個々の生産者に年間の生産ノルマが割り当てられるのだが、そのリクエストへの対応がなかなかピタリとはいかないらしい。見せていただいた畑の小松菜は、今年は暖かかったため大きくなりすぎ、規格外になってしまったとか。そんな想定外もあるため、常にオーダーより多めの生産量を確保する必要があるという。「自然が相手なので、経験が浅いとなかなか気候の変化を読みきれません。つくづく、古い営農者の勘の凄さを実感します」とは、若い就農者の本音だろう。

商品価値のある作物を展開したいです、とのご主人のところでは、食用ほおづきを推しているそう。新規参入の就農者から、利益を生む農業経営者へ。倉渕地区の有機農業は、日本の若い農業家にとって求める未来予想図が描ける環境なことを、彼らの言葉の端々から感じ取れた思いがする。

高崎そだち生産者探訪

2015年12月07日 | てくてくさんぽ・取材紀行
以前に高崎に行く際に、最寄りの大船駅から湘南新宿ラインで行ったことがある。思えば大船も高崎も、巨大な観音様つながりの縁がある。大船観音は肩から上だけだが、高崎は全身像。高台の慈眼院にそびえる、高さ41メートルの白衣の巨像だ。建立は宗教がらみではなく、井上工業という企業製で、地元への恩返しとして昭和11年に建てられたもの。この会社、若き頃の田中角栄も務めていたそうだ。

高崎と聞いて一般的に思い浮かびそうなのが、観音様のほかにはダルマでは。少林山だるま寺で知られ、もとは養蚕農家の冬場の稼ぎが所以である。これら2つと関東屈指の開運パワスポとされる榛名神社も合わせ、高崎は「縁起のいい街」で売り出していたとか。

で、このたびのミッション、高崎の生産者めぐりである。高崎はそもそもは商工業の街だが、倉渕と榛名と合併してからは農業を意識。東京に近いので、生産物は日用品的な位置づけだった中、このところは商品価値をあげるためブランド化に力を入れており、「高崎そだち」を名乗り展開している。

縁起のいい街での生産者めぐり、果たしてどんな出会いが待っているのだろうか?

※画像はホテルのフロントに鎮座していた、ミニチュア観音さま。