ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん…桑名 『三重人』の、ハマグリ料理

2015年08月01日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
揖斐川の流れに面した七里の渡し跡は、かつての桑名の玄関口である。名古屋市街の宮宿から、伊勢湾を経て船で4時間ほど。桑名城の蟠竜櫓に迎えられて到着したら、伊勢路の玄関口として一の鳥居がそびえ立つ。周辺には森林王だった諸戸清六の和洋混合の邸宅「六華苑」、藩主松平氏の居城だった桑名城跡「九華公園」などの史跡も集まり、まるでこちら側が市街の中心のように思えてしまう。

常夜灯のたもとで、かつての旅の様子にしばし思いを巡らしたら、市街を貫く旧東海道を経て駅へと戻る。途中、宗社の春日神社付近の路地に、装飾あでやかな祭車を発見。ちょうど「石取祭」の初日で、駅前では鉦太鼓を打ち鳴らす「試楽」も繰り広げられていた。天下の奇祭とか、日本一やかましい祭とか称されるだけに、大人も子供も混じり踊って囃してと実に賑やか。史跡を巡り祭の片鱗を眺めてと、桑名のいいとこどりの街歩きが楽しめた気分である。

とくれば晩飯も地場産品のいいとこどりで、桑名の実力をさらにとらえたいところ。訪れた「三重人」は桑名駅から3分ほど、透かし風の飾り塀がしゃれた外観で目をひく。お通しは松阪牛の角煮と県産ふくゆたかを使った自家製豆腐、サラダは錦爽鶏のシーザーサラダ、つくりはカンパチとヘダイが地物と、名の通り三重県産食材を用いた料理が目白押しだ。

そして知名度ナンバーワンの桑名名物といえば、ハマグリをおいて他にない。まずはハマグリの陶板焼きで、粒が中ぐらいのを陶板にゴロリと並べ、蓋をして5分ほど。開けたとたんに貝の香りが湯気とともにムワッと立ち登る。殻を持って身を外し、ツルリひと口。ハマグリの汁気だけで蒸されているので、ふっくりしなやかな歯ごたえのあと、滋味あふれる芳醇な旨味がもれなく堪能できるのがいい。殻に溜まったスープも、こぼさずにスッ。箸でつまんだ身に気持ちがいきながら、左手の殻を傾けずにいただくのが難儀ながら楽しいこと。

使われているハマグリは言うまでもなく、地元赤須賀漁港で水揚げされた天然ものである。木曽三川河口の、真水と海水が入り混じった汽水域が棲息地で、岐阜や長野の山々の栄養を含んだ水が伊勢湾と混じり合い、優れた生育環境が形成されている。チョウセンハマグリやシナハマグリといった外来種が、国内で漁獲・流通するハマグリのほとんどを占める中、桑名のはれっきとした固有の地ハマグリ。コロリと丸みを帯びたその形と大きさは、「浜栗」との語源がよく分かる。

殻が薄く身が厚いため、鍋料理にも向いているのも、桑名のハマグリの特徴だ。メインはハマグリのしゃぶしゃぶで、だし汁の中に野菜と一緒に放り込み一気に加熱すると、パカパカと開きすぐ食べごろに。だしも殻で一緒にすくっていただくと、昆布と貝の旨味の相乗で膨らみのあること。シコシコと弾力のある身とシャキシャキの野菜の、コントラストがたまらない。鍋の汁を使った雑炊も、おいしいとこどりの嬉しいオプション。茶碗蒸しまでハマグリ入りで、計何粒食べたかもはや覚えていない。

東海道中膝栗毛の作品中、先ほど訪れた七里の渡しにて、弥次喜多の二人が航海の無事を祝してハマグリで一杯という場面があった。桑名城の城主だった松平定信は、「ハマグリで茶々漬け」と民謡に歌われた殿様との説がある。このように当地の歴史と関わり深い名物と思えば、昼間の散策の記憶と相まって味がさらに深まること。そういえば石取祭の祭車の装飾、蒔絵や象嵌に螺鈿細工も施されてると聞いた…、と、螺鈿の材料はハマグリではなくサザエ。どうやら皿に転がる殻の数相当に、伊勢緑茶酎ハイが進み過ぎたか?

桑名石取祭てくてくさんぽ3

2015年08月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
このたびの名古屋・桑名の旅、主たる目的は桑名の「石取祭」の視察である。天下の奇祭とか、日本一やかましい祭とか称され、40台の祭車が金太鼓の響きとともに市中を練り回る、さながら桑名の祇園祭といえる祭である。

祭の起源は市街南部を流れる町屋川の石を、祭地を清めるために春日神社に収めたもので、運搬車を金太鼓で囃していたのが起こり。木曽三川の物流の要衝だった桑名で、問屋など商家が祭車を出し、従業員が金太鼓をたたいて盛り上げていた。いわゆる旦那衆の祭だけに、祭車の派手さを競い合い、流行りの先端の造作が見もの。蒔絵に螺鈿、象嵌、七宝、西陣織に高村光雲の透かし彫りなど、日本の伝統工芸の集大成たる造り込みが凄い。祭車はほとんどが昭和20年頃制で、当時の世代は自分の食よりこの装飾に力を入れていたほどとか。

祭は8月1〜2日を、ほぼフルに使って開催される。1日の0時に宮司の神楽太鼓を合図に鉦太鼓を叩き出すのがスタート。1日は前日祭的な「試楽」で、町内単位で編成された組の中を祭車が巡回する。叩き出しから明け方まで曳き廻された後、夕方から深夜にかけても巡回。2日が本楽で、午前2時の叩き出しを皮切りに明け方まで行われ、13時ごろから八間通に40台の祭車が並ぶ「祭車整列」が壮観だ。14時からは叩き出しが再開し、18時半に春日神社で開催される「渡祭」が祭事のクライマックス。七里の渡し跡を経て、祭車の曳き別れが22時に行われた後、23時半頃まで続く。

今日の夕方に市街を散策したら、すでに各所で祭車がスタンバイしていた。明日の本番、楽しみである。

桑名石取祭てくてくさんぽ2

2015年08月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
今日の午後から桑名へ移動。駅前のホテルにチェックしたらまだ日が高く、さっき訪れた七里の渡しの桑名側へ行ってみた。

名古屋の宮の渡しから時間を計ると、熱田駅まで徒歩20分、桑名駅へ電車で40分、さらに桑名駅から徒歩20分ほど。計1時間半弱だが、江戸当時は海路4時間がかりだったという。こちらには先月の遷宮で伊勢神宮の宇治橋たもとの鳥居を移した、新しい鳥居が立つ。ここからは伊勢路のため、「伊勢国一の鳥居」として重要なものらしい。

かつてはもっと川に近かったのだが、伊勢湾台風の際に立派な防潮堤が整備され、川からはやや離れてしまった。とはいえ水門を隔てて揖斐川の広大な河口を望め、隣接して航海の目標だった桑名城蟠竜櫓も復元。常夜灯もあり、名古屋側よりも渡し場らしい眺めに見える。

帰りには、桑名城跡の本丸と二の丸を利用した九華公園を経由。かつては徳川四天王のひとり、本多忠勝が築城した城で、赤い橋が堀に巡らされ河口と一体となった平城らしさが偲ばれる。改めて歩いてみたら、歴史的見どころに事欠かない街である。

桑名石取祭てくてくさんぽ1

2015年08月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
桑名は6月にも巡っているので、もう買って知ったる街。寺町のアーケードを抜け、桑名城跡の堀や水路を渡り、気持ちよく走れる。水や緑が多く、木陰もあり風も涼しい。明日は石取祭なので、もう山車のスタンバイも見られる。

広大な揖斐川の河口を眺め、堀が巡らされる九龍公園で折り返し。すると帰りは正面からの激烈な西陽に晒され逃げ場がない。暑さにからがらでホテル着、水シャワー直行だ。

名古屋猛暑てくてくさんぽ11

2015年08月01日 | てくてくさんぽ・取材紀行
名古屋さんぽのオプション、というか次の桑名のプロローグも兼ねて、七里の渡しの跡へ行ってみた。熱田神宮から徒歩10分ちょっと、堀川の岸に「宮の渡し公園」として整備され、時の鐘と常夜灯が復元されている。

かつて東海道はこの付近にあった宮宿から桑名宿まで、伊勢湾を4時間ほど渡し船で結ばれていた。やや下流には熱田魚河岸があったり、名古屋城を控え物資の水揚げ場としても賑わうなど、隆盛を極めたという。付近にはもと旅籠だった熱田荘の建物も残り、わずかながらだが当時の面影を残している。

今はあたりはレジャーボートが泊まっていたり造船所があったり、新幹線や国道の橋も目に入るなど、やや雑然とした眺めで海は見ることができない。整備された桟橋からは、不定期ながら桑名の赤須賀港までのクルーズもあるとか。あいにく今日は運休で、猛暑の中20分歩いて駅に戻り、ぐるり伊勢湾岸を電車で回って行きましょう。