会津最後の晩はニシンの山椒漬けを肴に一献。会津は原発の直接的被害はなく、風評との対応で大変だから、福島でひとくくりにされることとから離れての展開を考えていかなければいけないと思った。が、翌日いわきを視察して、そうした考えや見方が一変することになるとは。以下続きにて。
足を延ばして飯盛山にも行ってみた。登山口の売店街は結構な人で駐車場も8割ほどの入りだが、地元の方いわくこれまでの平日程度で連休中日としてはさびしいそうだ。隊士の墓、水路をくぐって城の様子を見に来たという戸の口堰など、白虎隊ゆかりの地の中でも、心に響くのはこの自決の地。この高台から炎を上げる鶴ケ城を見て自決した、齢ほとんど十代の隊士を思えば涙なしではいられない。「ならぬものはならぬ」、道理が通らぬものは認められないとの藩校・日進館の教えすなわち会津の志は、こんな時代だからこそ重要なのかもしれない。
会津復興モニターツアーから離団して、市街を観光してみた。会津若松は年間およそ300〜350万人の観光客が訪れていたが、鶴ヶ城は前年比7割減。しかも前年は鶴ヶ城はリニューアル工事で天守閣にカバーをかけていて、さらにその前年の3割減だったから減少率は甚大だ。ようやく夏前に前年比の5割程度に回復したが、修学旅行は9割以上のキャンセルという。この日は9月の3連休の中日らしく城内はかなり賑わっていて、茶屋と売店があるところは立ち客が出るほどでちょっと安心。でも地元の案内の方いわく、観光客は多いが市街や近県、あるいは被災者のこともあり、県外客の回復にはまだまだかかるそうだ。城はリニューアル後に瓦がやや赤っぽい色になり、これまでの印象からより優美で女性らしくなった印象。