ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

銚子てくてくさんぽ3

2021年04月10日 | てくてくさんぽ・取材紀行
圓福寺の最寄りで駅名にもなっている観音駅はスイス風のつくりで、かつては鯛焼きが有名だったが現在は無人駅に。ここから銚子電鉄に4駅ほど乗って、海鹿島という駅で降りる。犬吠埼はさらに2つ先の犬吠駅が最寄りだが、正面に犬吠埼灯台を見ながら君ヶ浜の海岸を歩いてアプローチすることに。巨大な海鹿島礫岩に刻まれた国木田独歩、海鹿島海岸に咲く宵待草を歌った竹久夢二それぞれの歌碑を見て、漁師町っぽい集落を抜けたところで、正面にこぢんまりした海鹿島の砂浜、鉄砲台と呼ばれ日本画家の小川芋銭碑が立つ岩の岬を経て、犬吠埼灯台へと至る君ヶ浜海岸を歩く。

君ヶ浜海岸は日本の渚100選にも選ばれた、白砂青松の美しい浜。外海に面していて波が強く、高めの白波が連なる中をサーファーが挑む姿が見られる。右手には防風林が続き、まさに青と緑と白の色の中を行く感じだ。防潮堤のコンクリートが整備されて足場はよく、ときおりすぐ下まで荒波が寄せることも。左先の犬吠埼灯台が次第に近づき、直下に至ったところで石段で断崖を登ると、ちょうど灯台の敷地の正面入口へと至る。300円で上部へ登れるほか、関連施設や資料館も見られるのがありがたい。

犬吠埼灯台の高さは地上から塔頂まで31m、水面から灯まで52m。全国で16しかない内部に登れる灯台の一つで、番号が途中に振ってあるコンクリートの螺旋階段を登り、最後に鉄階段を登ると上部の外へ出られる。歩いてきた君ヶ浜から海鹿島、直下の岬先端から外川方面まで、まさにとっぱずれの海のパノラマが素晴らしい。それとしてこの灯台、観光施設ではないため登る階段が急で狭い上、上部で出られる場所もえらく狭く囲む手すりが頼りない。加えてものすごい風のため、結構な度胸がいる展望スポットである。

施設にはほか、横浜の街づくりにも貢献したお雇い外国人のブランドン像とか、犬吠埼灯台で使われているのと同じ直径3.03mの一等レンズが展示された資料館。あと灯台よりさらに海側にある霧笛舎というのが面白く、かまぼこ型の建屋の中に霧笛の音響装置が配されていた。スイッチを押すとかつての霧笛の音が再生されるのも面白く、これぞ海の守りの設備、といった感じである。

銚子てくてくさんぽ2

2021年04月10日 | てくてくさんぽ・取材紀行
銚子第一魚市場から市街へ入り、かつての廻船問屋の建物を残す磯角商店から、飯沼町のロータリーの先の路地へ。道祖神社にお参りして舟見坂を登っていくと、飯沼観音圓福寺の境内へと裏側から入る。日本百観音の坂東33観音霊場第27番札所で、本堂には本尊の十一面観音像が祀られ、江戸期から参拝客が絶えない名刹だ。観音様は秘仏だが、本堂には悪いところを撫でると治るおびんずる様や、坂東西国四国の札所の仏様が描かれた天井画があり、まとめて参拝できた気分に。

ほかにも高さ33.35mで千葉県唯一の五重塔、高さ5.4mの阿弥陀如来「銚子大仏」ほか、トイレには入り口にトイレの神様の烏枢沙摩明王が紹介され、ご利益にあふれた寺だ。烏枢沙摩明王はこの後で見かけた寺のトイレでも推しており、銚子の特徴なのかも? 日本の河川測量の原点となる「飯沼水準元標石」も境内にあり、貴重な土木遺産として注目されている。

仁王門から出て、飛行機やレトロ模型がウインドウに並ぶみそら模型店を過ぎ、馬場町交差点の先にある、圓福寺のもうひとつの境内へ。ここには「ほととぎす 銚子は國のとっ外れ」の、江戸小網町古帳庵の有名な句碑が立つ。銚子っぱずれとの言葉の所以と思えば、銚子の知名度を上げた有名な句と言えるかも。

銚子てくてくさんぽ1

2021年04月10日 | てくてくさんぽ・取材紀行
銚子駅前からのびるシンボルロードは、商店街の中にレトロ洋館風の商店も点在。ヤマサ醤油の事務所や染め物屋など、銚子らしい店舗も見られる。直進すると、利根川に面した河岸公園へ。ここは平成8年まで、対岸の茨城県波崎を結んだ渡し船の発着所で、現在は斜張橋の銚子大橋が平成25年に掛け替えられた際に歩道がつけられ、歩いて渡れるようになっている。銚子大橋の長さは1450mで、川にかかる橋では日本最長とか。園内には河童の母子像が立ち、海難から人々を見守っている。

利根川沿いに進むと銚子漁港の船着場で、さらに進むと3つある魚市場の一つ、銚子漁港第一魚市場に着く。10年ほど前に訪れた時は、老朽化して朽ち果てそうな荷捌き場があった程度だったが、2015年にリニューアルして近代的な施設に変貌していた。建屋にシャッターをつけた閉鎖型で中に入れなくなったが、敷地が狭いせいか搬出口が市場に面した通り側のため、鮮魚店や魚料理の店が並ぶ通りを歩いていると、荷捌き場や搬出される品々が、ちらりと見える。

しかも第一魚市場の主な取扱い魚種はマグロなど大型魚のため、9時過ぎぐらいだとギリギリ、並んでいたりフォークリフトで運ばれたりするマグロを目にすることができるのが嬉しい。内部には2階に通路が設けられ、8〜11時ごろは一般の見学もできるようだ。建物前には、かつて荷捌き場の前にあった第一魚市場の碑も移設されていた。船だまりに停泊していたり、荷捌き場に着岸する漁船を眺め、時間的に数少ないながら往来するフォークリフトを見ていると、漁業の街っぽい気分に浸れるさんぽが楽しめる。

名古屋てくてくさんぽ11

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
大須は江戸時代の大須観音の門前町として栄え、戦時中には多くの演芸場や芝居小屋、映画館が並ぶ名古屋最大の興業街だった。周辺には縦横無尽に10あまりのアーケードが錯綜、新旧の名物店の他、古着や雑貨、ディスカウントショップ、電器店など、さまざまなジャンルの店が集まっている、東京でいえば浅草のような歓楽エリアだ。

大須観音から続く仁王門通りの沿道には、昔風のおもちゃ、おはじきやめんこ、古本や衣料品など、レトロムードな店舗が軒を連ねる。老舗やレトロな店が中心で、他におもちゃ屋、ブリキの玩具店などが。大須ういろや青柳ういろ、きしめんなど、名古屋名物の味の店も見られる。コメ兵は1階にアクセサリーがずらりと並び、新品とUSEDそれぞれが販売。1本隣の通りである万松寺通りは、ファッションや雑貨の店が集中する若者の町。ストリート系やパンクの格好をした若者が多く、沿道にもファッションやアクセサリーなどのショップが集中している。

最奥に鎮座する大須観音は、日本三大観音の1つとされる観音霊場。本尊は聖観音で、なごや七福神の一つである布袋像も安置している。こちらに参拝して、名古屋さんぽは終了。

コンパルのエビフライサンド@栄

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
栄地下街の喫茶店「コンパル」は、地元で知られたモーニングと名古屋メシサンドイッチの店。小倉トーストのみならず、味噌カツやハンバーグ、海老フライのサンドまであり、洋食出身の料理人による揚げ具合はもちろん、ソースやタルタルの本格的味わいも含め、地元でも人気を博している。

エビフライサンドは太めのフライにキャベツとオムレツも挟まれ、口に入らないほどの厚さ。一本ひと口の単位で大口でいただいた。エビがジューシーな揚げ加減で、実にうまい。またこちらのアイスコーヒーは、ホットを氷のグラスに移し替えて冷やす仕組みで、一瞬で冷やすことで香りと苦味を逃さないのも売り。濃厚のクリームを加えると穏やかな味わいにあり、喫茶店はコーヒーのうまさありきというのを実感できる。

ここのほか、金山駅や名古屋駅にも店舗があり、地元客が多くローカル喫茶として根付いている様子。次回はぜひ、名古屋モーニングにチャレンジしたいところだ。

名古屋てくてくさんぽ10

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
大津通から再び外堀通りに出て、久屋大通公園の北のはずれへ。三井不動産による指定管理により「RAYARD Hisaya-odori Park」というショッピングモールになっていて、ファッションや洒落た雑貨、レストランの店舗が緑地に出店している。園内は4つのゾーンに分かれ、芝生広場があるゾーン1、起伏があり橋がかかるなど立体的なゾーン2、テレビ塔直下でイベント広場のあるゾーン3、水盤を中心とした水辺が広がるゾーン4と続き、錦通りへと至る。

錦のそばにあるオアシス21は、観光案内所や商業施設、バスターミナルなどが集まる複合施設。屋上の「水の宇宙船」という大屋根には散策路が巡らされており、地上14メートルの空中散歩が楽しめる。ガラス屋根の上に水をたたえており、ゆらめく水面の直下に吹き抜けの地下広場がぼんやりと見下ろせるのが神秘的だ。

錦通りから南は緑地が広がる公園エリアで、右手には三越やラシック、松坂屋と続く百貨店が集中するエリア。南外れの先には花のテーマパーク「フラリエ」があり、ヨーロッパ風の施設内には池を中心に花壇があしらわれている。イベント広場の性格が強いようで、この日も園芸マルシェで賑わっていた。

矢場町からは一転、下町ゾーンに。名古屋の浅草的街並みで散策を締めましょう。

名古屋てくてくさんぽ9

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
名古屋城の外堀には、かつて瀬戸から焼き物を運んだ「瀬戸電」の電車が運行。今も廃線跡が残っていて、大津通の大津橋の下には「大津町」駅へと降った階段と手すりが残っている。ここは名古屋城から栄に向けて歩く際に、何度か通っているので知っていたが、東寄りの堀川沿いにも「堀川」駅の遺構が残っていた。瀬戸電はここが終点で、ここから堀川の水運で焼物を名古屋港へ運んでいたそうだ。

もう廃止になって何十年にもなるが、都市の真ん中に遺構が残っているのは、城郭の中だからだろうか。

名古屋てくてくさんぽ8

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
名古屋城へは外堀通りから本町橋で外堀を渡り、本町通り沿いの官庁街を見ながら歩いていく。二之丸交差点の突き当たりが内堀で、右に行くとニノ門から二之丸へと入れる。天守のある本丸へは内堀沿いに左へ、正門から先が有料エリアになる。基本、有料施設へはこれぞというところしか行かないのと、ものすごい混雑なのでスルー。内堀沿いにぐるっと天守を眺めるさんぽとした。

正門から堀端をひとまわりして、二之丸へは30分弱と、広い城郭だけに距離がある。幅広く水をたたえている堀は涼感があり、出入りのある石垣の眺めも飽きさせない。途中には堀の水を逃す大樋や、堀の水に臨む西北隅櫓も見られる。名城公園の入り口あたりが天守のビューポイントで、正門と真裏から見るため見慣れてるのとは違う姿なのが、なかなかレアな眺めだ。水に映る逆さ天守も、こちら側からならでらではである。

大津通を上り切ると、二之丸東鉄門跡の石垣をくぐり二之丸へ。こちらも有料の二之丸史跡庭園のほかは体育館のドルフィンズアリーナがあるだけなので、名古屋城見物はここまで。立派な洋館の県庁と市役所を見て、繁華街へ行きましょう。

名古屋てくてくさんぽ7

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
明道町から名古屋城方面へは、外堀に沿って歩いていく。途中で通った古那古野神社は、読みは「なごや神社」。もとは名古屋城内にあり、文字通り城の総鎮守で名古屋の氏神様の、由緒ある古社である。東照宮も隣接しており、この時期は桜の名所として参拝客が絶えない。

ちなみに「那古野」は名古屋より古い地名表記で、「なごや」「なごの」それぞれ読まれていたという。漢字表記も名古屋のほか名護屋、那古屋、名護屋など複数あり江戸時代に名古屋に統一されたものの、この社名や先程の円頓寺商店街近くの那古野のように、現在にも残っているところも見られる。様々な表記の「なごや」をチェックしながら、街を歩くのも面白い。

では、「なごやじょう」へ参りましょう。

名古屋てくてくさんぽ6

2021年03月27日 | てくてくさんぽ・取材紀行
明道町菓子問屋街は江戸期に下級武士が内職で菓子作りをしていたのが起源で、2000年までは中京菓子玩具卸市場があった。そのまわりに駄菓子やおもちゃの問屋が集まり、往時の名残をとどめている。沿道には懐かしい駄菓子をはじめ、珍味、包装用品、くじ、おもちゃ、文具、花火などを扱う店がズラリ。どの店も小売もやっているから、文字通り駄菓子の夢の大人買いも可能だ。

中心的な店舗の「たつや」の店頭には、大箱のクッピーラムネに数十本売りの麩菓子、うまい棒30本入りセットが味別に山積みされた一角、コンソメパンチやわさビーフのでかすぎるビックバック、プラケース売りのしいかやカツなど、眺めるだけでもワクワクもの。スケールはでかいものの単価が数十円なので、ひとロット買っても1000円いかないのがほのぼのしてる。子供の会合の景品とあるほか、祝い用袋菓子とあるのは、豪勢で名高い名古屋の嫁入りで屋根から撒く「嫁菓子」のこと。袋詰めのセットを受注して用意するそうで、撒くのは今ではあまり見られなくなったが、縁起物としての贈答品とされてはいるらしい。

通りを渡ると子供向け玩具に包装品問屋が並び、問屋街の氏神だった隅田神社を抜けると文具の松栄堂。小売もしますの看板に惹かれ、中を覗くと筆記用具に帳面に定規類などがあるわあるわ。ジャポニカ学習帳も、人気の花表紙のがカラフル。ボールペンやキャンパスノートを衝動買いして、先へ向かいましょう。