ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

2022年10月08日 | 文学

 昨日は冷たい雨が一日中降り続いて、師走並みの寒さでした。
 今日は薄日が差して、秋らしい気温に戻りました。

 季節の変わり目のせいか、最近、喉の調子が良くありません。
 特に明け方から早朝にかけて、ひどく咳き込みます。
 私は寝ると体が温まるタイプなのですが、その熱が咳を誘発しているように思います。
 それが証拠に、起きだして少し冷えてくると、咳もだいぶ落ち着きます。

 咳をしても一人

 とは、尾崎放哉の代表作の自由律俳句です。

 この人、東京帝国大学出のエリートで、若くして保険会社の重役にまで上り詰めますが、流浪の暮らしに憧れて妻子を捨てて四国の寺に住み込み、線香を売っては酒に換える生活をして、ほどなく、亡くなったと聞き及びます。
 しかもひどい絡み酒で、住職から、与えられた寺域の小屋で呑むことは許しましたが、お店に行って呑むことを固く禁じました。
 それはそうでしょう。
 寺が面倒を見ている男が夜な夜な安酒場に現れて、客と言わず店員と言わず、誰彼なしに絡んでいたのでは、寺の面目も丸つぶれです。 

 この人と同時代を生き、並び称せられる種田山頭火は終始旅暮らしだったのに対し、寺に住み着いたせいで、静の放哉、動の山頭火とも呼ばれます。

 漂泊の思いやまず、と記して旅暮らしをした俳聖、松尾芭蕉にしても、京都に落ち着くまでは諸国を歩き回った与謝蕪村にしても、俳人には旅人のイメージが付きまといます。

 私は俳句をよくしませんが、時折、漂泊の思いに駆られることはあります。
 学生の頃は一人で2週間も東北の山中を歩き回ったり、タイやインドを流浪したこともあります。
 今ではすっかり落ち着いてしまいました。

 再び一人漂いだすような力が欲しいと願います。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする