今日はわずかに春を感じさせる陽気に恵まれました。
私はそれを寿いで、独り、分けもなく近所を歩き回りました。
これも休日の贅沢と言うべきでしょう。
散歩は頭を冴えさせる効能があるようで、気持ちの良いものです。
しかし、苦い散歩もありました。
もう10年以上前のことになりますが、私はうつ病を患い、自宅療養を余儀なくされていました。
精神科医に散歩を勧められ、根が真面目な私のこととて、嫌々ながら毎日1万歩、歩きまわりました。
その時の精神状態は、散歩を楽しいと感じさせるような、呑気なものではありませんでした。
とはいえ、私は約8か月の療養を経て、見事に復活を遂げました。
あれから10年。
ちょうど、冬から春に向かう頃、リワークプログラムで、同じ病から脱しつつある人々と出会い、私は完治できると、心強く思うようになったことを、懐かしく思い出します。
今も、時折、それら同病人と酒を酌み交すことがあります。
10年、感慨深いものがあります。
あの頃は、人と会うのも億劫で、見舞の客にも無礼を働きました。
梅いけて 礼者ことわる 病かな
正岡子規の句です。
正岡子規は35歳の若さで亡くなっていますが、晩年は病との闘いであったと聞き及びます。
礼者とは、年賀に訪れる人のこと。
私には礼者などおりませんが、礼者を客と考えれば、病中は客を迎えるのも面倒くさいものです。
もちろん、非情な肉体的痛みに襲われた正岡子規と、精神を病んだ私とでは異なるのでしょうけれど。
晩年の正岡子規は、口を開けば痛い痛いと言っていたそうですが、私は病気休暇の間、毎日泣いていました。
泣くと言って、比喩なんぞではありません。
夕日を見ると、我が身の不幸を思い、ただ悲しくなり、涙をこぼしていたのです。
うつ病は別名泣き病と言うほど、よく泣くものだと知ったのは、大分後のこと。
その頃は、己に起きた精神上の危機から、訳もなく泣き暮らす自分を、ただ嘆いていたのです。
今も大量の薬を毎日飲んでいますが、薬を飲めば、憂鬱感に苦しみながらも働ける今を思えば、精神医学の進歩に感謝しつつ、じゃんじゃん薬を飲んでやろうと思っています。
しかし薬だけが私を癒したのではありません。
精神科医、同居人、親や兄弟、リワークプログラムで出会ったお仲間、様々な人々の援助を受けて、立ち直ることが出来ました。
それは有難いことだと実感しています。
そうして、職場復帰して感じたのは、精神病差別。
肉体の病気なら同情されるところ、精神上の病となると、直接的な差別的言動は受けなくても、被差別感は尋常ではありませんでした。
世の中は厳しいと痛感させられました。
現に、私は復帰して丸十年、昇任することもなく、厄介人として扱われました。
10年経って、やっと認められた感じです。
来客を厭うていた私ですが、今は客を嫌がることもありませんし、人と会うことは楽しいことだと感じられるまでに快復しました。
うつ病を病んでよかったとはかけらも思いませんが、精神上の一大事を脱することが出来たこと、そしてそれには多くの人の支援があったことを思えば、病中の過去を全否定することはできないし、それもまた、私の心を強くしたきっかけであると考えれば、半分くらいは役立ったと思わないと罰当たりなのかもしれませんね。
立春を間近にひかえた今、春の訪れの頃に回復した過去を思い、今日も安い焼酎で、感慨を新たにしたいと思っています。