今日は冬至ですね。
一年で最も日が短い日。
逆に言えば、明日から少しづつお日様が長く拝めるようになるというわけで、それは嬉しいですねぇ。
でも本当に寒いのは年が明けてから。
1月・2月は首都圏でも尋常ならざる寒さになります。
それなのに、正月を新春と言うのはおかしなことです。
旧暦と新暦ではざっくり一か月半程度ずれています。
すると旧暦の正月は2月の後半になるわけで、その頃なら気温は低いながらも陽射しが強くなり始め、新春というのもうなづけます。
それは大寒にしても立春にしてもみなそうです。
石原慎太郎はかねてから、旧暦の日付に合うように新暦の日付を読み替え、例えば旧正月を新春と呼ぶなど、季節の実感に合った暦に直すべきだと主張しています。
全くそのとおりだと思います。
そうでなければ、季節感を大切にしてきたわが国の伝統文化が、おかしなことになってしまいます。
何も旧暦に戻せと言うつもりはありません。
グローバル化が進んだ世界をわが国も生きているわけですから、そんな時代に逆行するようなことが出来ようはずもありませんし。
ただ二十四節季などの暦を、日付の字面に捉われることなく、本来の日付に合うように読み替えてほしいと願うばかりです。
例えば冬至や夏至など、日の長さによって決めているものは、本来の日付で行っているわけです。
一方大寒や大暑など、気温によるものは、旧暦の日付を新暦に勘案することなく、ただあてはめています。
これはよろしくないでしょう。
古典文学などを読む際に、混乱すること必定です。
でもこんなこと、国会で議論するのも馬鹿馬鹿しいんでしょうか。
今となっては季節感と合わないため、「暦のうえでは」という枕詞がつくのが当たり前になり、新暦の二十四節季などは、その間抜けぶりを楽しむためにあるとしか思えません。
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