台風が去って、もはや晩夏の趣になってきました。
オリンピックももう終盤。
何事も過ぎ去っていくんですねぇ。
わが国では、何事も移ろっていくという、無常観が人々の頭を支配しているようです。
それは意識するとしないとに関わらず。
変わらないものなどない、と。
平家物語の冒頭の、諸行無常の響きあり、ではないですが。
私は30代前半くらいまで、何も変わらない、とぼんやり考えていました。
わが国の平和は永久に維持され、私は健康を損なうことなく一生を終える、と。
でもそんなことは大間違いでした。
精神の均衡は破られ、緑内障で視野が狭くなり、突発性難聴で右耳の聴力は落ちました。
疲れやすくなり、気力は衰えました。
今では、総てが変わっていく、ということを実感します。
特に40代半ばからは、衰えを実感するようになりました。
なるほど、世にアスリートと呼ばれる人々のほとんどが、30代で選手生命を終えるのは道理ですね。
衰えは隠しようがないこの世の真実。
いや、衰えだけが、この世の真実と言っても過言ではありますまい。
それでも、寿命が尽きるまでは、生きなければなりません。
これから加速度をつけて訪れるであろう衰えを、戦々恐々として待っているというのが、偽らざる心境です。
かつて人間の寿命はざっくり50年と考えられてきました。
その時代ならもうじき47歳になる私は老人ですが、人生80年の時代が到来しました。
稀に元気で健康なまま100歳までも生きる人がいますが、圧倒的多数は、少しづつ衰え、いくつもの病院に通いながら老いていくというのが実態ではないでしょうか。
肉体も精神も衰えていくのが人生の真実です。
そうであるならば私は、その衰え行く自分を、これから30年の長きにわたって、観察してみたいと思います。
衰え行くおのれを客観的に観察し、冷静に記録することが出来たなら、私は真実の瞬間を捉えることができるでしょう。