オリンピックでは連日熱戦が繰り広げられ、その美しい演技や力強い試合ぶりは目を楽しませてくれます。
それにつけても思うのは、勝ち負けを決するということの非情さです。
誰もが勝ちたいのは同じこと。
しかし金メダルを取る選手がいれば、その陰にはあまたの敗れていった選手たちがいます。
私は勝負の世界に身を置いたことは無いし、勝ちたいという気持ちがどれほど切実なのかは分かりません。
人はなぜ、これほどまでに勝ちたいのでしょうね。
それは何もスポーツや勝負事に限ったことではなく、出世にしても試験の順位にしても、多くの人が、他人よりも上に立ちたいと願います。
それは執着であるに違いなく、執着は醜いものですが、その執着がなければ世の中の進歩発展が無いこともまた確か。
執着を捨てよとお釈迦様は説き、それこそが幸福に、また涅槃に至る道なのでしょうが、それがとても難しいからこそ、お釈迦さはそれを繰り返したのでしょうね。
私も精神障害を発症するまでは人並みに出世欲もあったし、出世欲以上に著述業で身を立てたいという野心もありましたが、あの長い闘病生活の果てに、そういった執着はほとんど無くなりました。
ただ淡々と日を生きるばかりです。
それは気楽ではありますが、なんとも味気ないもので、涅槃とか悟りとか言う境地とは無縁の、経験による諦めがあるに過ぎません。
出世欲や野心というほど大それたものでなくて良いから、ささやかでいいから、もう一度、何か目標を立てて努力するという快感を取り戻してみたいと切に願います。
目標に向かって努力することほど、日々を輝かせてくれるものは無いのでしょうから。