今日は太宰治の命日、桜桃忌ですね。
私もご多分にもれず、通過儀礼のようにこの作家の作品に中学生の頃心酔しました。
何しろ読みやすいのと、自己陶酔のようなセンチメンタリズムが中学生の心をとらえたのでしょうね。
高校生になると、もうそのセンチメンタリズムが鼻につき、離れて行きました。
26歳で変死した尾崎豊にも通じるような、犯罪奨励、自殺奨励めいたところがあり、18禁にしたほうが良いかもしれませんね。
そうしたら売上激減でしょうし、冗談ですが。
今も桜桃忌には、墓参りに訪れるファンが絶えないそうで、根強い人気があるんですねぇ。
何度も心中未遂を繰り返しては自分だけ生き残ったため、成功した心中では相手の女性が彼を殺害してから体を赤い紐でくくりつけ、玉川上水に飛び込んだとの俗説があります。
太宰治の遺体を調べたところ、ほとんど水を飲んでいなかったことから、そういう説が生まれたそうです。
真相は闇の中ですが、それが仮に本当であれ、そんな下世話な話には乗りたくないものです。
生きていれば今年105歳。
生きていても不思議ではありません。
あの色男がどんなおじいちゃんになったでしょうね。
ご冥福をお祈りします。
昨日、研修の帰りに夏の着物を着物の専門店で購入しました。
母からプレゼントされた秋冬の着物は、呉服屋いわく大層良い物だそうですが、私が購入したのは、半襦袢・着物・帯で総額2万円という格安の物。
しかし、かつて日本人は金持ちも貧乏人も老いも若きも普段から着物を着用して生活していたわけで、日常的にお着物生活を目論む私にそんな高級なものは必要ありません。
かつての日本の庶民が普段着にしていたものが、そんなに高価であるわけではありませんから。
よく中年を迎えると、日本回帰というか、先祖返りすると言います。
一番分かりやすいのは、食の好みが変わるということでしょうね。
ハンバーグやカレーばかりを食し、魚の煮付けなんて大嫌い、というのが子供や若者の大勢だと思います。
それが、年を重ねると、魚の煮付けもなかなか旨い、となり、和食ばかりを好むようになるというわけ。
また、欧米の文化や芸術ばかりを研究してきた学者が、突如わが国の古典に目覚めるというのも時折耳にします。
私の場合、幼いころから和食を好み、大学では国文学を学んだため、先祖返りするにも、着るものくらいしか見当たらなかったというのが真相かもしれません。
家では浴衣で過ごしています。
ちょっとした外出は着物。
さすがに宿泊を伴う旅行には洋装で出かけますが。
いつの間にやら、着物は特別な時に着るものになってしまいました。
嘆かわしいことです。
これを日常着として復権せしめねばなりません。