恥ずかしながらつい先日まで知らなかったのですが、戦後文壇の巨人、大西巨人先生が今年の3月に亡くなられていたそうです。
日頃このブログに親しんでおられる方々は、私の耽美主義的かつ浪漫主義的傾向から、先生のような理に勝った小説家を好まないのではないかと推測されるのではないかと邪推します。
さにあらず。
私はノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は大嫌いですが、大西先生は深く尊敬しています。
なぜか?
大西先生は嘘八百でしかない小説に生命を吹き込み、一方大江健三郎はそこに愚かな思想信条を託したからだと言う他ありません。
小説は読んで字の如く、小さな説です。
天下国家を論じるものではなく、色恋だとか、諍いだとか、友愛だとか、そんなくだらないようでいて、人間の本質を描く、人の性をわざわざ嘘をついてまであぶりだす、因果なものです。
大西先生の作品と言えば、何をおいても「神聖喜劇」は外せません。
野間宏が「真空地帯」で日本軍の世界を世俗とは離れた特殊な世界と描いたのに対し、大西先生は軍隊こそ日本社会の縮図であり本質であることを抉り出し、文壇は論争に包まれました。
長くサラリーマンをしていれば、軍隊が真空地帯などであるはずが無いことは誰でも分かること。
人間が寄り集まって上下関係を決めて仕事をすれば、必ず起こる馬鹿げた冗談みたいなものが、人の世です。
私はこの長大な「神聖喜劇」を読了した時、たかだか小説がこれほど赤の他人を動揺させてよいものかと、奇妙な反発を覚えたことを懐かしく思い出します。
耽美主義のみを良しとしていた、若かりし頃の強烈な読書体験です。
これに匹敵するのは、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」くらいでしょうか。
この作品は、第二次大戦下、比較的平和な対馬の守備隊に配属させられ帝大出のエリート兵士が、持ち前の記憶力や説得力を駆使しつつ、なお否定できない軍隊が持つ不条理さを、物語として描き出したもので、確かに長くて読みにくくはありますが、その迫力は圧倒的なものです。
文学のみならず、先生の2人のご子息が血友病を患っていたことから、某評論家との間に子孫を残す義務と自由に関し、いわゆる「神聖な義務」論争が澎湃として起こったことは、記憶に鮮明です。
先生はお金や名声には、確かに恵まれなかったかもしれません。
しかし、97歳の天寿を全うするまで常に問題提起を続け、私のごときおかしげな浪漫主義者をも魅了したことは、天晴れと言う他ありません。
いやむしろ、先生は浪漫主義の意匠をまとっていなかっただけで、この世ならぬ美や豪奢への憧れを隠し持っていたのかもしれません。
そうでなければ、私が惹かれるはずもありますまい。
大西巨人先生の冥福を、遅ればせながらお祈りいたします。
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