たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ブラックとホワイト

2010-09-15 00:06:40 | Weblog
 っという、ポケモンの新作、2つがでる。ちなみにブラックを買う予定です(笑)。
 今まで俺は、金、銀までしかやってなくて、それが中学の頃だったけ。

 『あー、そういや、一昨日でたんだっけ?ポケモン。』
 「そうだよー。」
 『結局、何匹増えたの?』
 「100匹増えて、250匹。」
 『多いなー。』
 ≪っていうか、こいつ、もうクリアしちゃったんだぜ?≫
 『マジで?』
 「2日でクリア。まぁ、育成ゲームだし。」

 ってことは、このまま順調に増えてるなら、今回で550匹ってことになるな。いやー、俺的には、250匹がポケモンであって、あとはモンスターなんだけどなぁ。

 小学生の頃、本当にこの世界があればイイのに、っと、夢にまで見たポケットモンスター。

 「なぜ、まけたのかわかるか?………おまえがポケモンたちへの、しんらいと、あいじょうを、わすれとるからだ!それでは、どんなにがんばっても、トップにはたてんぞ!」

 オーキドがライバルにそう言った時、四天王とライバルに挑んだ、この6匹に対して、俺には確かに愛情があることを確認させられた。そして、それは、俺だけではなく、全国のポケモンリーグに勝った当時の小中学生達もそうであったと思う。
 ゲームの中で、ポケモンは、ある意味、自分の手であり足でもある。必要なときに、出てきてもらって、敵を倒してもらったり、いあいぎりで木を切り倒してもらったり、空を飛んで別の町に行ったり、海を渡ったりする、手段の1つだ。

 もっともっと、ひどい扱いの時だって沢山ある。手持ちの一番弱いポケモンを出しておいて、その間に勝てそうなヤツの回復をしたり、コイキングの経験値上げの手伝いをさせたり、テキトウに捕まえてきたポケモンを交換に使ったり。
 しかし、いくら相手が電子機器でも、何かしらの想いみたいなのが出てきてしまって、そういうことは、なるべくならしたくないな、って思い始める。それが通常の人間の感情なのだ。
 『ああ、当ったり前だ。ひとりのちからではないことを、おれは、わかっている。』

 ポケモンリーグの頂点に立つなんてことは、2の次なはずで、それは、もっと大事なことに比べれば、どうでもいいことなんじゃない??
 そこに気がつかない限り、トップに立ってもトップじゃないし、トップに立つこと自体も難しくなる。

 信頼と愛情を大切にすることは、難しい事じゃない。自分が、それを大事にしたいって気持ちを持っていて、素直になれば、勝手に表現されてしまうもんだしね。…って、どんどん、ポケモンの話から外れてますけど。

 『はーい、じゃぁ、回路の4番目も、作成できた人から、この辺に並んで、僕らのチェックを受けてくださーい!!また、スタンプ押しますから。』
 『…っお、早いね。(えーっと、ゼニガメ、ミュウ、ピチューで、きてるな。)ごめん、また、ミュウのでイイ??』
 「えーー!そこのピカチュウのが良いんですけどー!!!(やや怒)」
 『お前、18、超えてるんだろうがっ!(笑)、、はいはい、ピカチュウね。』

 演技して曖昧になるより全然イイ。そこまで白黒はっきりつけちゃってイイ。気持ちスゲーわかるし、すべての感情、そのものは、全部正しいんだから、素直でオッケー。
 本当の自分をさらけだしたほうが、後悔がないしね。
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惚れたもん勝ち

2010-09-14 01:28:35 | Weblog
 ここで手を打っておこう。そう思ったら、それからの心の負担の方が、大きかったり??

 言葉を得た後にも人生は続く。ドラマと違って、ちゃんと連続的に存在するし、その先も、生活し続けなくてはならない。だから、あまりにも自分の心を無視して、この辺で決めておこうって思うと、手を打つまでの間、イライラする率が高まる。そして、ついに、手を打ったら、もっと、かも。

 手を打ってやったのに、なんで、そんなモノに対して、こんなにも自分が本気みたいな振る舞いをしなきゃいけないの?ってなる。相手やその制度に怒っているのか、言葉に怒っているのか、それとも、こんな風に冷酷に言葉だけを取りに行った自分自身に怒っているのか、状況を整理して、鏡を見ながら考えてみても、答えは出ない。
 期待してない分、負けてないはずなのに、なんで、負けてるみたいになってるの??ってね。

 だから、進路や就職を決める時期は辛いのだ。
 本当に自分が好きなモノに対してだったら、どんなに向こうが無理難題を要求してきても、がむしゃらにやってやれるけど、大して好きでもないのに、ただ言葉を得るため、学生証や社員証が欲しいだけなのに、向こうから偉そうに、我慢ばかりを強いられたら、やってられっかよ、ってなる。

 惚れたもん負け?馬鹿が。ダメになっても、惚れたもん勝ちだろ、むしろ。

 いつだって、気持ちの重ね合わせ次第。
 勇気なんていらない。気持ちの重ね合わせが凄まじく強ければ、勇気とか、そういうことじゃなくなってくるし、大抵、大事なことは、恐ろしいほどの偶然が助けてくれる。
 偶然、命綱無しで渡らされるつり橋ばかりをチャレンジしてきてしまったつもりだけど、それが勇気だと思った事は、一度も無い。飛び込まなきゃ、仕方ないな、って感じ。落ちても、通れても、後悔がいっさい無いのが、唯一の、最大の、利点。

 ただし、時間依存性には注意しないといけない。制度や気持ちの緩和時間≒タイムリミットを忘れないようにしないと。
 でも、っま、これも、どうでもイイっちゃ良いんですけどね。

 最初っから、なんてーのは、ただの即物的な事柄が多いだろうけど、、
 そうじゃないなら、時間なんて、ホンモノには関係ねーから。
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5、地学 - モノサトリ、バケマナビ、ナマモノ、チマナビのIntroduction

2010-09-13 02:08:04 | Weblog
 (1年以上ぶりに、このシリーズを更新します。こういうの、このブログ中に、何個残ってるのか把握してませんが(笑)、思いだしたら、随時ね。だいたい、ほとんどの内容、書くと、書いた内容忘れちゃうんだよね。。だから、ブログ開始当初(5年前?)にも言いましたが、絶対無いと思いますが、もし、マジで「もし」、書いて欲しい内容があったら、コメントください。)

 高校理科4つのなかで、最も、直感的には、一番知りたい内容は、この「地学」だと思う。直感で、理科をやり続けるなら、地学が一番、夢がある。誰が何と言おうが。

 あくまで、最初のイメージの話をしてる。一番最初に、それぞれの分野について、どういう印象をもったか、思い出してみて欲しい。その印象やイメージで、理系のどの分野で研究したいか?を考えてみて欲しい。
 物理は数式ばっかでよくわからないし、何をしてんのかもイマイチ。別に、物の運動の仕方なんて知りたくねーし(注1;俺、物理学科卒(笑))。化学は試験管振ってる感じでしょ?わかりやすいけど、何混ぜてんだろうね。生物は、楽しそうだけど、名前覚えるのメンドクサイし、研究するんだとして、どういうことやんの?イメージとしては、アフリカとかのジャングルで、何日間もライオンとか見続けて、記録つける感じ?そんなん、やりたくなーい。

 これらのイメージは、本当にその世界に踏み入れると、まったく違ってくる。物理は最初は力学のイメージしかないけど、それは理学系ではほとんど出てこないし、化学だって、めんどくさい化学式を扱わないといけないので、テキトーに混ぜてるわけじゃないよ?
 それに、俺は、今、生命系の大学院生だけど、アフリカに行った事はない。いや、これはわからんけどね、未熟だからアフリカに行けてないのかもね(笑)。

 しかし、地学は、もとのイメージが、割とそのままあっているのだ。確かに、データ解析や物理的な素養がないとできないけど、でも、本当に望遠鏡を使って遠くの星を見るし、火山とかに行って、実験をする場合もある。毎日、空を見上げて観測したりもする。他の分野に比べれば、最初のイメージそのまんまなのだ。

 これにプラスして、さらに夢があることに、みんなが小さい頃から持っている疑問に立ち向かう学問でもある。
 幼稚園生の頃、「この世界は本当は丸い!」と知って、ビックリしたのと同時に、『あー、なんか、っぽい。』っと妙にしっくり来たのを、今でもよく覚えている。地学を選べば、そういう部分に触れにいくことができるし、その後に、『じゃぁ、その外はどうなっているんだろう?』っという疑問を抱いた、その疑問を解決するために、研究することができる。

 自然科学ファンの一番の疑問は「宇宙の果てやその外側はどうなってるの?」じゃないだろうか。この根本に一番近い学問が、地学なんだと思う。

 っと、夢見なお話をしてみましたが、一気に現実に引き戻してあげましょう。地学は、一番、金にならないし、金かかる、そして、就職に不利。やっぱり、夢ばかりを追い続けると、現実は冷たいのでしょうか。。
 それに、地学の最初の方に書いてあるのって、宇宙とかの話じゃなくて、基本、地球の話で、岩石圏、水圏、大気圏の、どれもそれに近そうじゃないよね。岩石の名前、覚えんのたるーい。(注2;アホなこと言ってますけど、一応、高校の理科と数学の教員免許持ってますから、勉強しましたよ、試験前は(笑)。)

 だけど、そんな現実を引き離すくらい、凄まじい、夢を持っているのが、高校理科の中の地学だと思う。
 最終目標からどうしてこんなに遠いのかというと、たぶん、宇宙のことを知るためには、まず、手っ取り早い、地球のことを散策するのが先決だから、なんだと思う。深海のことよりも月についてのがよく知っている、という名言もあるくらいだし、それくらい、まだまだ地球について、わかってないのだろう。

 ちなみに、「宇宙の果てやその外側はどうなってるのか?」という問題は、直観的(直感ではない)に、非常に生命科学の最終目標に近いんじゃないかって思っている。例外にこそ、真実があるはずだから。
 だから、大学2年生までは天文学や地球惑星科学の研究をしてみたいと思っていたのに、簡単に生物系にしよう、って思ったのだ(それだけじゃないけど)。そういう意味で、俺は一回も、変わってはいないんだぜ?

 それが正しかったのか正しくないか。。正確な議論はできないけど、どんな場所ででも、正確で確実な議論ばかりをしていたいわけじゃないから。
 っというのが、ある種、ヒントだったり。
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BABY BABY

2010-09-12 01:42:12 | Weblog
 いつかの自分達と同じようなシーンを外から見ていると、俺らとは違って、ちゃんと上手くいって欲しいな、って本当に思う。そんなんじゃ、消えて失くなりそうだ、から、気をつけて。

 少しでもズレたら繋がらない、そのタイミングを達成させるためには、エネルギーを与えてあげなきゃ。って他人のことよりも…。
 イルミネーションでもイリュージョンでも無いのに、何もかもが輝いて、手を振って、、そんな気持ちを、どうぞ、大切に、していって欲しい。

 そんな類いの気持ちから生まれた、死闘を受け継ぎながら、むしろ、こっちが、その経験をもとに、助けて欲しいくらいな時でも、選択肢がこっちにあった分、そうするわけにはいかなくって、俺が受け継いでいることすら教えない。

 でも、かけがえのない、シュプリームが、すぐ傍の、届くところにあるから、きっと大丈夫。
 もっと、きちんとヘルプしたら、永遠に。。

 (GOING STEADYの「BABY BABY」。こういう曲は、メロコアとか青春パンクとかに分類されると思うんだけど(この辺の議論は知らん)、とっても、純粋で良い感じ。
 サビの「君を抱きしめていたいー」のとこで、すごく心に来るもんがある。やはり、これくらいメロディラインがキレイな曲は、ピアノソロで弾き上げたり、丁寧にアカペラで歌ってみたりしたほうが、曲も喜ぶんじゃないかな、って思ったり。でも、この曲のドラムが、好きだったりする(わがまま(笑))。)
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大好きなら削って伝えて

2010-09-11 01:30:45 | Weblog
 卒研のテーマはなんだったの?、って聞かれた時に、『光格子+調和振動子型ポテンシャル中のフェルミ原子気体にスピン不安定性を与えたときの挙動をシミュレーションする研究』って言ったら、Cold Atomの研究者にしか伝わらないだろう。
 それじゃイヤだから、理工学をある程度知っている人に答えるときには、ちょっと悪ノリをしながら、『えーっと、最終目標としてはー、ちゃんと計算すると、常温超伝動の実験研究が進むかもな、シミュレーションの研究。』、と答えたりする。

 こういう風に、本当に大変だった部分や、本当の苦労を削って、最終目標というアウトラインを喋ると、興味を持ってくれる人が増えて、悪ノリの中でも、話が広がるもんだ。俺自身は、あんまり腑に落ちないけど、表現、っていうのは、こんなもんで、それはそれで大事なんだと思う。
 だって、どんなに面白い話で、役に立つ話であったとしても、長い時間かけて、みんながみんな、聞いてくれるわけじゃないわけで、なるべく、端的に、短い時間で、っぽん!、って、しかも面白く、言えなきゃじゃない?
 だから、一般大衆に認められるためには、それなりの表現と、それなりの手法をもってして、アプローチしないといけない。

 そういうことが、インパクトファクターの高い論文に掲載する際には、割と大切だ、というだけの話を、長い時間かけて、横で話されると、矛盾だな、って思っちゃう。今まさに、お前が一般大衆に降りてこれて無いやんけ!、ってね。
 どんな時でも、ちゃんと、自分の言葉を自分の心のカラムに通してから喋らないと、薄っぺらいなぁ、って思ってしまうのだ。

 そんなわけで、皆さん、いつも、こんな文章を読んでくれて、まことに、ありがとうございます。笑

 『どーも、自分の研究の最終目標が見えなくて。。』
 「うーん、そうねぇ。例えばさ、けいちゃんがやっているような理論構築を、電子系に移したとしたら、温度は、かなり高くて、常温超伝導の範疇に入ってくるんだよ。」
 『へー。』
 「そうすると、実験がしやすい!」
 『なんでですかー??』
 「私は実験のことはよく知らないけど、そういう実験っていうのは、お金がかかるわけ。んで、理論構築や数値計算が出来てれば、お金取りやすいでしょ?」
 『あー、ちょっと、モチベーション貰った気がします!』
 「だ・か・ら、この論文で、実際に、原子番号どれくらいの原子をシミュレーションしてるか、ちゃんと計算しといてね。」
 『はーい。』

 前も今も、こういう俺の勝手なわがままに、最後までかまってくれる先輩や先生が、いるからこそ。そういう部分について、心から感謝している。

 さて、困ったことに、こんな、弱い、表現方法では、理工学を、ある程度知っている人、特に、物理学に教養がある人にしか、伝わらない。
 さぁ、自分の卒研テーマを、中高校生や小学生に、伝えることができるか?
 決して、奴らにはわからねー、って見切っちゃダメだ。その時点で、こっちの負け。こういうことを考えないと、表現力は養われないし、研究がどーこーよりも、人として、大事になってくるのだと思っている。

 【先生は、研究室で、どういうことしてるんですかー??】
 『パソコンでプログラミング。』
 【なんの?】
 『うーんとね、超伝導ってやつ。知ってる?』
 【なにそれ?】
 『巨視的な量子状態で、本来は、ちょー冷やさないと、起きないんだけど、俺のが上手くいくと、ある程度、温度上げても、起きるかも、みたいなんだってー、俺の先輩が言うには。』
 【全然、わかんなーい。笑】

 諦めちゃダメだし、逃げちゃダメだ。

 『すげー、簡単に言うと、各家庭に来てる電気を、もっと安い価格で、供給できるようになるかも!、みたいな、研究。』(電気抵抗ゼロだからね)

 うわー、わかりやすいっちゃわかりやすいけど、超、不正確。っま、いっか。

 【それだったらさー、他のエネルギー源を探した方が、早くない?】

 流石に、イラっときた(笑)。だけど、これは、非常に素晴らしい本質をついている。こういう瞬間、教えられてるな、って思うのだ。誰でも最初は、くだらない分野の研究なんてしたくない、って思ってたはずだ。
 こういうところで、「研究はそういうもんじゃない」とか「役に立つかどうかだけじゃないからね」なんて、心にもない正論を言うのは、簡単。そんな言葉で、思考を停止させるなら意味が無い。

 『そうかも。水素エネルギーでも、光合成でも、もっともっとイイもんは、いっぱいあるな。っま、でも、今のは、あくまで、わかりやすくしたつもりのお話であってさ、研究で、なかなか、そういう面白い部分まで到着するのは、難しいんかもねー。』

 っと本音を言った方が、言葉をちゃんと心に飲み込んでる分、伝わる。
 それに、こんなんで、イライラしてたら、小学生は、もっともっとすごいからね。

 ≪この不きょうで、よく、しゅう職できたね。≫
 『え…?まぁね。笑』
 ≪ねぇね、あなたの下は、だーれ?いないんでしょー?≫
 『…。俺の下は、おめーだ!』と指で作った銃を打ってみる。
 ≪えへへへ。≫

 素直に、知らないことを恥ずかしいとも思わず、そのまま言葉にする手法を、彼らはよく知っている。

 何かを表現するときに、伝えるときに、一番大切なのは、徹底的に相手の立場を想像し、その立場に立つことだ。
 それをしあうことこそが、すべてのコミュニケーションの基本であり、それを怠っていたら、いつまでもホンモノは掴めない。大切なのは自然現象の真実ではなくって、自分や他人にどういう感情があるのか?なのだから。

 の割に、今日、また、特に、読み手を無視した、長い文章だって~?
 それは、分かりにくくして、これを、ちゃんと読む人数を減らして、バリケードを作っていたり。。(笑)
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明日へのマイクチェックワンツー

2010-09-10 02:38:38 | Weblog
 そろそろ、また、新しい事を考えないといけない。
 自分が、どうしたいのか、何をし続け、どのように楽しみたいのか、それを真剣に悩まないといけないし、逐一、答えを出し続けないといけない。誰かが決めるわけでもなく、かといって、自分が決めるわけでもない。ただ、支配されることは、絶対に無いと思うけど。

 こういう状態の時は、いつも、同時に、違う系の同じ事を悩んでいる。それは、ある種、「人生のレッスン」なのかもしれない。
 夏休み後の高校3年生みたいに、峠を越えたらスーパーマンになれると勘違いした頃の自分を懐かしんだりしたくはないから、頑張らないと。言葉を得られても、時間が過ぎ去っても、日々の生活は連続的であり、その先に将来や明日があるわけで、その一瞬一瞬を大切にしなきゃいけないのだ。

 現状の中で、いつもいつも、失敗をして、それが多くなってくると、失敗することのほうが当たり前になってきて、失敗したほうが、しっくり来るようになってしまう。
 失敗することは、仕方がない事だけど、当たり前の事じゃない。失敗することの方がしっくり来ちゃダメだ。失敗して、しっくり来ないからこそ、次、頑張ろうって思えるし、次、やろう、って思える。

 だから、努力だけは、認めてください、、ってね。

 どういう風にやっても、楽しくなくなっちゃったなら、2人で、、3人で、4人で、みんなで、なんとかしよう!
 その先は、きっと、絶対に、さらに楽しいから。
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2010-09-09 00:26:41 | Weblog
 『結局、学問は、裕福な人たちの娯楽でしかない。』
 形あるものだけが評価されるような、つまらない現実の中で、そんな考え方を善としてしまう、冷めた目を精一杯に持っていたのに、確実に、冷徹な心を溶かしていった酵素は、ほんの少しだけその温度を下回る感情だった。見つめれば見つめるほど、for文で回せば回すほど、冷たいモノに触れているのに、暖かくなっていくのを感じてしまった。
 なんでもかんでも、自然科学と同じような系が形作られるわけではないんだね。

 これだけの時間が過ぎ去って、新生活にどっぷりつかっている今、ふっとした瞬間に心が昔に戻りそうになる。特に、場所が変わり過ぎると、時間で変わらないモノやその時のホンモノを映し出すことになるのかもしれない。
 もう、そういう想いを、扱っていた対象とする系にぶつけるつもりは、さらさら無い。ただ、新しいモノ達に、還元するのみで、だから声にして、叫び続ける意味があるのだ。

 夢は夜空に描くだけでは消えてしまう。だから、描き続けながら、実際に、周りにエネルギーを与えて、自分自身で行動しなきゃいけない。
 そういうことをしていきながら、誰かにとってはただの景色でも、いつか誰かが、悲しい笑顔を、嬉しい涙を、見破って欲しい。それで、救われるし、救えるようになる。

 私は此処にいるから…、って。

 (中島美嘉の5枚目のアルバム「VOICE」に入っている最後の曲「声」。
 あまりそういう感じ方はしないんだけど、歌詞を主軸として考えた時に、非常にメロディがマッチしている。作詞と作曲が同じ人だと、こういうのもアリかな、って思う。
 この曲は、誰が誰で、っていうのを、ちゃんと追っていかないと、本当に言いたいことを解釈することはできない気がする。ちょっと難解な曲ですね。)
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初海外へ

2010-09-05 03:16:33 | Weblog
 今日から旅行でーす。初めて海外の地を踏んできまーす!
 道路とか細かいところが、きっと違うんだろうと思います。北海道行っても、沖縄行っても、町の基本体系は、結局は、同じだからね。そういう意味では、海外は新鮮かも。

 性格的に海外とか好きそう、って、なんか、よく勘違いされるんですけど、実はそこまで、、むしろ、あんまり好きじゃないかもです。
 だって、怖いじゃん。なので、ドキドキしながら行くのでありますが、色々楽しみなのは間違いないっす。

 飛行機もそんなに長い時間乗ったこと無いな。沖縄までの2時間が最高記録。機内食とかって、美味しいのか?

 日本は、きっと、国を挙げて、食文化の貢献を目指しているはずで(だって、5年くらい前より、総体的に、いろいろ、おいしくなってると思わん?)、あんまり海外の食を期待はしてないですけど、それでも、食だって、楽しみ。

 気分転換には、もってこいなのかもしれんな、旅行はっ!
 俺自身については、それが本質になっちゃいけないけどさ。

 っというわけで、3~4日ほど更新をしませんが、実は毎日ココに来てくれている皆さんは、ちゃんと毎日来てください。笑
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アドバンテージ、俺ら!

2010-09-04 04:44:19 | Weblog
 『それは、大丈夫なの??』
 「別に…。」
 『(おめーは、沢尻か。笑)』
 「だって、結局、そういう人間関係とかを学ぶもんだって、割り切ってるから。」

 言葉を心の中に飲み込むってのは、難しい。
 「割り切る」という言葉を使っているうちは、完全には割り切れてねーってこった。本当に割り切れてるんだったら「学ぶもんでしょー?」の語尾になるはずだし、言葉をちゃんと心の中に飲み込んでるなら「割り切れたらイイのにね。」って言うはず。
 本当の感情は、言葉の端端に表現される。心に飲み込んでない、聞こえのイイ理想的な言葉や思考しただけの言葉を、いくら吐き出しても、俺には届かねーぜ?

 キレイゴトやその系の理想モデルの話をしているのと、現状を考えた上での改善点を語っているのと、きちんと分けていない人は、とても多い。

 「だって、彼は先生なんだよ?そんなこと思ってるはずないじゃん?!」

 そう思わないことは、先生と呼ばれる立場上、確かに、理想ではある。だけど、現実として、そう思ってしまうようなダメなヤツだとしても、先生になれちゃうじゃんか。
 みたいなね。

 それはただの理想であって、言葉に騙され、そんなこと心に飲み込めてないくせに、こっちに押し付けようとしてくると、、ごめんね、、めんどくせー、本当に馬鹿なんだな、って思っちゃうのは仕方がないっしょ。

 当たり前だけど、理想だって、本当に飲み込んで、発言しているんだったら、構わない。理想だと、最初に断って、話し始めるのも良い。
 言葉にしてしまうと、飲み込んでなくても、っぽいっしょー、みたいな感じで、騙されてしまう人達が多いから、いけないんですかね。
 って、これ自体も、理想的な話なのですが。笑

 ただ、そんな言葉を浴び続けても、少なくとも、きちんと解析しようとはしていたのに、純粋さのカケラを集めることができないのは、不甲斐ないですね。
 そこにだけ、感情ではない、手法や思考が絡んでくる。誰かとのインタラクションを考えない限り、感情だけでは、決して超えられない領域を、感じとることはできない。

 『うーん、なんか、その時、俺も一緒にやらなきゃな、って感じた。』
 「えー?!どうして?」
 『なんかだよ、なんか。もし、あの時、んじゃー、やってみればー?、みたいな感じだったら、むしろやる気にならないと思うけど、俺にその仕事をやられちゃうことが、すごくイヤみたいだったから、なんかね。』
 「なるほど。誰がやっても同じ仕事のはずなのに、、だから、なんかある、と、思ったわけか。」

 解析ってのは、誰かとのインタラクションが絡まない限りは、意味が無いのかもしれませんね。
 アドバンテージに立ちたいなら特に。
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手っ取り早いオリジナリティ

2010-09-03 06:12:08 | Weblog
 俺は、歌うときに、フェイクを入れたり、アドリブを入れたりするのが好きだ。
 そういうときに何よりも大切なことは、微妙にしない、ってこと。下手でも、もともとの方が良かったと多くの人に思われたとしても、その瞬間、やるんだったら、ちゃんとやる、やらないんだったら、やらない。メリハリをつける、ってのとは全然違くって、きちんと責任を持つ、ってほうが近い。

 どうしても、特異なことをすると、怖いから、あとでなんか言われるのもイヤだから、だから、特異なことをしたいけど、でも微妙に、みたいな発想が生まれてくる。それで巧くやろうとしちゃうこともあるけど、そういう手法で、納得したことって、無い。
 前に出れば出るほど、どういう出方かにも依るけど、基本的には、風当たりが強いのは当たり前で、それを選ばないのなら、誰かの後ろからテキトウな何かを主張したり、何も言わないサイドにいれば良いのだ。
 だから、出るんだったら、自信を持ったフリをして、思い切って、が、原則。

 この部分が特に大切になってくるのが、研究だと思う。「新しいことをする≒研究」なんだから、当然、特異なことをしたり、それを紹介するために前に出なきゃいけないわけで、風当たりが強いのは当然。他の分野よりはマシだけど、自然科学の領域だって、くだらないことでのいちゃもんは、きっとどこでも、絶えない。
 そんなんを打破できる、とっても簡単な手法の1つが、誤差論だ。この誤差という、どの分野にも割と通じる基本ツールを用いれば、適切に真実を語ることができる(という暗黙のルールがある)。

 っま、っていうか、音楽だって、そうなんですけどね。だって、誰に変わってやったとしても、誰かの曲なんだとしたら、2番煎じ以外の何物でもないわけで、少しでも改善したりオリジナリティを出そうって想えよ、って話ですよね。
 そこに、最低限のマスターはいるけど、基本のマスターは、むしろ、いらない。自然科学だってそうなんだから、音楽なんか、もっとだ。

 すべてについて、楽しみ、楽しませることが、目的なら。

 しっかし、フェイクに誤差論。どっちも、誰でも、すぐにできる代物。
 俺も、結局、手っ取り早いもんが、好きなんかなー。…んなわけも、ねーか。
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情熱至上主義

2010-09-02 04:07:23 | Weblog
 理性と感情は違う。
 人をブラックボックスとして考えた時に、理性と感情、どちらを使っているのか?、自分自身についても考えないといけないし、他人についても考えないといけない。

 理性は、長引かせることだけは異常に得意だ。それに付属する、権利でも、法律でも、方程式でも、グループ名でも、言葉に帰着させることによって、長引かせる手助けをする。言葉はそれだけで一種のエネルギーがあるからだ。
 感情は「一時の感情に流される」と言われるように、一瞬だけ、である可能性が高い。この一瞬にすべての想いをこめて、全身全霊、全財産を、つぎ込めるような人は、きっと、この文章を、たったここまででも、読み通せるわけがない。

 理想とかけ離れた現実ばかりを見てきてしまうと、マシ、ってだけで、満足してしまう時がある。そういう時に、理性を使って、これで手を打っておこう、っと、自分に対して見切りをつけたり。だから、真実が垣間見えると、そこで一気に、夢から冷める。
 かといって、自分自身が、誰かの楽しさの欲望の対象になるだけ、ってのは、耐えられることじゃない。そこに何も介在させず、むしろそっち側に踏みこめてしまう瞬間、矛盾するように、そうじゃなくなってしまう時間依存性、つまり、自分の賞味期限を恐れたり。

 じゃぁ、その部分の境界線がいいのか?、って考えると、それはそれで違うような気がする。
 自分に対しては、情熱があるからって実際に行動を起こすわけじゃない、極端な話、情熱があるからこそ行動は起こさない、とまで思ってるくせに、誰かに対しては、情熱があるなら行動を起こすべきでしょ、極端な話、行動こそが情熱の証、って思ってる。その逆も当然成り立つわけで、とっても複雑。

 っていうか、そもそも、情熱があることは、必ずしも、善なのか?!

 ただ、最終ラインに戻らなきゃいけなくなればなるほど、それはホンモノじゃない、って、理性で解釈した方が良い事は、間違っていないと思う。
 だって、時間依存性が無いものこそホンモノなんだったら、賞味期限切れでも、大丈夫なはずじゃない??

 たいていのことは、いつからだって、やり直せる。23から、言葉を得ながら、本当に生物に転向できちゃったんだから。
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運命と意志の境界線

2010-09-01 01:32:01 | Weblog
 運命を信じるか?
 これに、Yesと答える人の半分以上が、ただ頑張りたくないだけ、ってことを、よく知っているつもりだ。運命を信じることは、頑張らないことじゃない。意志や意欲が無いことじゃないから、そこまで運命を矮小化しないで。

 レベルは低くても、能力が達してなくても、そんなこと関係ねー、って、頑張って頑張って、どんどん前に進もうとしている加速度、みたいなもんを、きちんと持ってる人だけが、おそろしい確率をかいくぐって、本当の意味での運命を感じとることが出来るんだと思う。

 正統的に頑張っても無いくせに、運命などを感じてるヤツがいたら、マジうぜー。

 ただ、どんなに正統派な頑張り方をしていても、最後、そこを感じて、決定づけてしまいがちだと、意志が弱くなりがちだ。
 だから、運命と意志の境界線くらいにスタンバるのが良いのかな??

 っま、そんなこと、どうでもイイっちゃイイんですけどね。
 誰もが、非常に高いレベルの中での優劣をつけたがっていることを知れば、たいていのことは、どうでもよくなるもんだ。どうでもよくなると、超強くなれる。基本的にどうでもイイんだから、最高の振る舞いで、試してみたくなるじゃん?!
 
 だから、本当の強敵は、その非常に高いレベルから落ちてしまうような、物理現象なのだ。
 ごく普通の我々日本人は、思考力が無くても、純粋な直観力を貫き、2つの最低ラインさえ守っていれば、誰でも楽しくなれる。

 っていうか、それが、運命と意志の境界線に立つということだ。
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