たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

もらった分以上を還そうとしてっ

2010-09-26 02:51:19 | Weblog
 PCやインターネットの登場によって、人間の能力はますます要らないモノになりつつある。

 コンピュータは、人間が到底できないような計算もわずか数秒でできるようにしてしまうし、プログラミングで、いくつかの方程式へ系をSelf-Consistentに解くことによって、人間が想像できないような、方程式の内在されるパワーを感じることだってできる。
 一番わかりやすいのはインターネットだ。それまでは、記憶力が高いことは、1つの大事な能力だったのに、今や、ググれば何だってでてくる。記憶力でさえも、受験などの特異なシーン以外では、重要じゃない。

 もちろん、まだまだ、コンピュータは、人間の複雑で繊細な能力には勝てない。人間の能力で一番優秀なのは、曖昧さだ。完璧を求めなくても、完璧にインプットしなくても、なんとなく、っというのを、とてつもなくイイ精度で算出することができる。
 しかし、いずれは、こういうこともPCで、できるようになるのだろうし、第一、能力なんて、いつの時代も、大したもんじゃない。コンピュータが無い時代だって、人間は、能力ではなく、違う部分で有意義かそうじゃないかが、下っていたんだと思う。今は、明るみに出やすいだけかもっ。

 だとしたら、あんまり自分の能力を自分で査定しないほうがイイ。ましてや、他人のなんて、どんなに頭が切れると言われている人間だって、絶対に、ダメ。
 成り行きや、未来や、まだ起こっていない出来事は、想定される範囲内で必ず起こるもんだ、という自信を貫き続けると、何も行動ができない。だとしたら、感情から、一度、思考(頭)のカラムに通してから、行動するのがスタイルだとしても、その解析を、ほとんど疑う瞬間も、必要かもしれない。
 よーわ、いーから、考えてないで、とりあえず、実験しちゃえ!、ってことです。考え、なんて、ある程度、くだらないもんなんだから。

 歳を重ねれば、長い時間同じ場所にいれば、知識は得られ、あまりにも無謀なことはしなくなるし、技術も習得できる。でも、気持ちだけで押し通してくるような若い力に、だんだん、、いや、どんどん、抵抗できなくなってくる。
 それをくだらない言葉で誤魔化して、気持ちの強さが大切であるということを、完全に無視してしまったら、本当に、歳を取ってしまう。

 長い時間、同じような場所や領域にいることは、ラクをするためじゃない。ただそこにいるだけで得られる知識を得るため、でもない。
 心に余裕ができやすい、同じような環境にずっと居続けている人間の存在意義は、自らが受けた優しさや褒められた想い分以上のそれらを、新しくこの場所にやってきた人達に還し続けることだ。プラマイゼロじゃダメ。
 (これは、それこそ、物理だとか、生物だとか、研究室だとか、そんな小さいレベルの話では無くて、もっと大きい「場所」や「領域」の話だ。例えば、学校なら、各学校の意ではなく、学校というモノ、そのもの、ということ。)

 そりゃ、どんな場所だって、イヤな目に合うだろうし、不条理なこともあるだろう。しかし、それを、優しくしてもらった数とカケヒキ計算をしちゃダメだ。イヤなことされた数は無視して、そういうことをしてきた人のその部分を、きちんと軽蔑して、きちんと「かわいそう」だと思って、自分が優しくされた絶対数以上の、優しさを、自分よりも新しい人間達に提供しないとっ。

 自らで、より沢山作りだして、何か無形なモノを、できるだけ多く、提供しようとする、サービス精神と、そこに誇りを持つことこそ、コンピュータじゃ絶対にできない、素晴らしい可能性の1つなのだと思う。
 これは、やっぱり、能力じゃなくて、気持ちの問題。

 極端な話、それさえ大事にしていれば、本当の意味で、コンピュータなどの誰かに負けることもないし、提供することが自分にフィードバックしてきて、自分も超楽しくなっていく気がする。
 …っという、頭の解析。。あれ、なんか、ムジュン?笑、、実体験に基づくんだから、いっか!
コメント
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