たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

おなかペコペコ事件

2010-09-18 01:29:17 | Weblog
 誰も、これ以上、精神的に、強くなる必要なんて無い。
 俺以外、今より、もっと、強くならなきゃいけない人間なんて、いない。

 逆に、誰かに、もっと精神的に強くなることが必要だ、なんて言う人間は、それだけで、自分の弱さを露呈してしまったようなもんだ。権威的な言葉を持っている人間なら、なおさらね。
 いつまでも精神的に弱いままでイイし、夢を追いかけたり、真実を追い求めたりするだけが、人生の目的じゃないし、むしろそれは付属的なことなのだから、楽しいことが、なにより、一番、大事。

 こんなにnaturalな感覚が間違ってるわけないのに。。
 自分は実は弱いっと、素直になることが、そんなにも権威を傷つけることなのだろうか…?
 そういう瞬間、その権威者に対してまで、憐れみを感じてしまう。薄っぺらい信頼関係をホンモノだと勘違いしているところを見ると、こんな歳になってまで、まだ、本当の信頼や愛や優しさに触れたことがないんじゃないかって。そして、この先も、ずっと。
 この、いらない優しさを捨てれば、もっと冷酷に徹せれるのだけど。。

 自分が仕切らないといけないときに、いかに優しい気持ちを保っていられるかは、頭に依るところが大きいかもしれない。
 一日一日、この集団のすぺての人に話しかけよう。一日に、必ず3回は、褒めるようにしよう。良いところだけを見つけてあげる、悪いところは今日はまだ見ない。
 頭で考えて、それで実行に移す。気持ち由来だけど、思考に通してから、実行に移す。こういうことをしなきゃだから、優しさを表現するのは難しい。好きじゃない人にも優しくする平均場的な優しさは、とっても、忍耐力が必要なのです。

 だけど、上手く表現できなかったとしても、気持ちがあれば良い、ってなることもあると思う。
 頑張って、良かれと思って、教育しようと思って、相手にしたことでも、残酷な物理現象によって、逆手になっちゃうこともあるし、相手をイヤーな気持ちにさせたり、楽しくなくなったり。だから、ずっと言ってるじゃないか、敵は残忍な物理現象そのものだって。
 (そういう部分で、俺は、タフになり、強くなり、もっと慧眼になり、さらに演技力を高める、必要がある。精神的にも、実質的にも。)

 こういう見地に立つと、能力なんて、本当にどうでもイイことのように感じる。そして、それは、すべからく、正しくするべきだ。
 プログラミングが出来ることも、英語の論文が読めることも、上からサーブが打てることでも、何か楽器が弾けることでも、音が人よりも取れることでも、暗記力が優れていることでも、フランス料理が形式通りに食べられることだって、そういったことは、どうでもイイ。
 そんな、くだらない、たかが、能力に想いをかけて、自分を誇らしげに思っているのなら、勘違いも甚だしいのだ。第一、それは、自分だけの努力じゃないからさ。

 だから、基本的に、能力に惚れるのはナシでしょ。
 俺だったら、能力だけが認められている状況なんて、いかにも、ホンモノじゃなさそうで、怖くって仕方無いけどなー。

 ただし、全般として、誰かを助けたり、本当の意味での信頼関係を築こうとする能力に関してだけは、別、なのかもしれない。その能力が、たとえ実質的に低くても、心由来が大きいし、身をもって当たりに行かないと、絶対に掴めない部分だしね。

 そして、この、きちんとした信頼関係を築こうとする能力がとても大事だ、という部分が無い人間を、弱い、と定義すると思うし、ここが無いと、どんなキレイゴトを言っても、薄っぺらくなってしまう。

 精神的に強くなる必要はないけど、強さが欲しいと思うのは勝手。
 本当の強さを得るには、きっと、この部分をちゃーんと留意する必要がある。

 あとは、今だけでなく、いつまでも、、みんなで、楽しいことこそ、すべてだって、忘れなければ、きっと。
コメント
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