たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

情熱至上主義

2010-09-02 04:07:23 | Weblog
 理性と感情は違う。
 人をブラックボックスとして考えた時に、理性と感情、どちらを使っているのか?、自分自身についても考えないといけないし、他人についても考えないといけない。

 理性は、長引かせることだけは異常に得意だ。それに付属する、権利でも、法律でも、方程式でも、グループ名でも、言葉に帰着させることによって、長引かせる手助けをする。言葉はそれだけで一種のエネルギーがあるからだ。
 感情は「一時の感情に流される」と言われるように、一瞬だけ、である可能性が高い。この一瞬にすべての想いをこめて、全身全霊、全財産を、つぎ込めるような人は、きっと、この文章を、たったここまででも、読み通せるわけがない。

 理想とかけ離れた現実ばかりを見てきてしまうと、マシ、ってだけで、満足してしまう時がある。そういう時に、理性を使って、これで手を打っておこう、っと、自分に対して見切りをつけたり。だから、真実が垣間見えると、そこで一気に、夢から冷める。
 かといって、自分自身が、誰かの楽しさの欲望の対象になるだけ、ってのは、耐えられることじゃない。そこに何も介在させず、むしろそっち側に踏みこめてしまう瞬間、矛盾するように、そうじゃなくなってしまう時間依存性、つまり、自分の賞味期限を恐れたり。

 じゃぁ、その部分の境界線がいいのか?、って考えると、それはそれで違うような気がする。
 自分に対しては、情熱があるからって実際に行動を起こすわけじゃない、極端な話、情熱があるからこそ行動は起こさない、とまで思ってるくせに、誰かに対しては、情熱があるなら行動を起こすべきでしょ、極端な話、行動こそが情熱の証、って思ってる。その逆も当然成り立つわけで、とっても複雑。

 っていうか、そもそも、情熱があることは、必ずしも、善なのか?!

 ただ、最終ラインに戻らなきゃいけなくなればなるほど、それはホンモノじゃない、って、理性で解釈した方が良い事は、間違っていないと思う。
 だって、時間依存性が無いものこそホンモノなんだったら、賞味期限切れでも、大丈夫なはずじゃない??

 たいていのことは、いつからだって、やり直せる。23から、言葉を得ながら、本当に生物に転向できちゃったんだから。
コメント
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