たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

みんなでステップアップ

2010-09-22 01:58:09 | Weblog
 言葉に騙されないで、自分の夢を、やりたいことを、直向きに目指し、「今できること」をきちんとしている、子達を見ると、本当に元気がもらえる。
 これからの社会は、きっと、そっちで正解だと思うし、いくら言葉を持っている大人たちから、バカだなー、っと、誰もがよく言うキレイゴトを言われても、それは心にもない言葉で、俺も含め、彼らは感受性が強いから、伝わらない。

 しかし、この板挟みである俺は、言葉を持っていない辛さを、きちんと伝える必要はあると思う。それでも、言葉がいらず、自分のやりたいことを貫く、っというなら、ホンモノだと思うし、それで言葉に揺らいじゃうなら、それはそれで良い。
 だって、夢を追うことばかりが、人生でやることじゃないわけだし(俺はそれじゃつまらないと思うけど)、別のことで楽しければイイんじゃん?!

 そもそも、言葉を得ないと、こういった経験ができず、ステップアップにならない、なんて言うっと、ちょっと薄っぺらいよね。
 海外に行けば分かる!、とか、こういう研究機関に行けば大きくなれる、とか、何か突発的にみえることをしたら、すさまじい経験が得られて、プラスになる、っと考えるのは、間違いなんじゃないだろうか(ある種、俺が言うのも、なんだけど)。

 『流行ってるらしいじゃん?どう??』
 「うーん、、そもそも、それくらいの経験で、人生観が変わった、なんて言うヤツは、もともとの人生観が、薄っぺら過ぎるんじゃね?」
 『確かに。笑』

 経験は、表の顔と裏の顔がある。
 その経験をしたというだけで、アドバンテージになるんだよー、って微笑んでくる表の顔と、それを良い事に、思考停止になってしまうダークサイドな裏の顔。
 その1つの経験から、どれだけ学びとれるかが勝負なのに、経験したという事実のみで終わっちゃったら、経験する意味もない。

 誰かをなくすという経験をしなければ、信頼関係の大切さを学べない可哀相な人もいれば、誰かが表情をちょっと暗くしたのを偶然見つけたという経験だけで、同じ事を学びとれる優秀な人もいる。
 他人の不幸を目の当たりにしたときに、自分じゃなくて良かったと思考を停止させてしまう人もいれば、自分のことのように受け止め、その当人よりも学び取ってしまうスゴイ人もいる。

 あまりに、経験したかしないか、に依存しているんだったら、ちょっと立ち止まってみた方が良いかもしれない。特に、自然科学を専攻している人間は、そうであってはいけない。
 自然科学を味方にしている人間のアドバンテージは、自分が経験したこともない、見たこともないことを、予測し、まるで実体験したかのように語れてしまう能力なのだから。

 だとしたら、経験した、というような言葉を取りに行くために、漠然と成功するために、頑張らないほうがイイかも。
 本当に何がしたいのか。何をし続けたいのか。言葉がまったく得られないとしても、それをやる価値があるのか?、それがやりたいことなのか?、楽しいのか?、っと、ちゃんと悩まないといけないかな。

 例えば、教員免許なんか持ってなくても、俺よりも、もっとずっと、先生らしいことをして、救える限り、人を救い続けている高校生は、沢山いる。
 そういうほーが、自分よりも単に言葉を持っている人たちよりも、素直に、尊敬してしまう…、、困ったことに(笑)。

 そういうのを、総括して、ステップアップと定義するなら、俺は是非とも、ステップアップしたい。
 言葉に踊らされるんじゃなくて、みんなで、ステップアップしたい。そっちのが、例えば、自分の論文が単にネイチャーとかサイエンスとかに載り、言葉が得られるだけよりも、楽しそうだし、ホンモノである気がしてならない。

 もちろん、両方とれればサイコーだけど、優先順位を間違えないで。
コメント
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