たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ヤマアラシのジレンマ

2010-09-23 03:15:24 | Weblog
 頭だけを使って動いているシーンは大事だ。
 何かをシステマティックに考えてる時や一人で実験してる時や、ヒドイと、ゲームしてる時にも使う。どれも気持ちとしては、ASAPの心がとても強くなってるかも。理路整然としながらも、確実に、そして、他人に認められやすいように、って思うと、心をギュッと凍らせて、頭だけで動く自分が、いつの間にか、いる。

 これはこれで楽しいんだけど、やっぱり、心は多様性があってこそだよね。1つの想いにとらわれて、それに対して、何が何でも、ってやるのが、冷酷だと思うから、自分の中で心を1つの言葉に押し固めないように注意しなきゃいけない。

 だけど、人が複数になって、お互いに協調性を保ちながら頑張らなきゃいけない時は、そうも言ってられなくなる。
 人間がコンピュータ化され、その人の能力だけを利用して、チームワークを組むことだって、沢山ある。能力由来のみでチームワークを発揮することはできるんだろうか。

 おそらく、答えは、ノーだ。
 2人以上になった時こそ、いま一度、心に多様性を持たせて、頭と心の使用率を半々くらいにしないといけない。

 誰かのことを、能力由来のみで、信用なんてできない。信頼関係って、そういう風にできるもんじゃないし、もっと違う部分で判断しなきゃなんだと思う。どんな超優秀な人間でも、ちゃんと血の通っている人間なんだ、って思ってから、信頼するじゃん??

 仲良くなるキッカケは、能力でも良いかもしれない。
 でも、ゆっくり時間が経って、相手のことを近しいと思えば思うほど、発言でも、第三者に対する行動でも、欠点や自分との相違点ばかりが見えてきて不安になる。
 なら、いっそ、遠ざかってみた方がイイ??

 きっと、ホンモノの発現は、Work以外の、その人の自分に対する行動に依るところが大きいんだと思う。そこに感情が表れやすい。
 本気でムカつくこともあるけど、いつも自分と話をしてくれているとか、ダメ出しばっかり、否定されてばっかりだけど、自分のために頑張って走りまわってくれることがある、とか。

 だから、言葉に振り回されないで、言葉を言わないことにも振り回されないでいたいし、俺の周りの人も、そうであって欲しい。ちゃんとした判断基準を持ちたいし、持っていて欲しい。
 したら、遠ざかる必要はなくなる。

 逆に言えば、言葉に想いを託し過ぎてもいけないということだ。
 ただし、「ありがとう」は除く。理由は無いけど。

 『~~してくれて、ありがとう。』

 ちゃんと確認して、言葉に出しておきたくなる。

 そういうことを、お互いに、、みんなで、繰り返して行けば、このジレンマは解かれていき、針の痛みがなんでもなくなるのだと思う。

 Reference;「何とかなるさ! 」山崎直子著
コメント
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