「面影」
1年余り前。篠は、京の地蔵院の庫裏で療養していた。しかし、私の命は長くないのではないか、そう思うと、新兵衛のことが案じられてきた。
采女との縁組が破談になり、すぐに新兵衛との縁談が纏まり、篠は当初は戸惑っていたが、その後の新兵衛の行動に、篠は、この方と共に生きようと素直に思えてきて、私が確りとこの人を見守らなければと思った。
采女からの祝意の文に対して送った和歌の返状も、采女から遠い存在になったのだと思ったからで、それだけに采女が縁談を断り続けていると耳にするたびに心苦しかった。
また、新兵衛が追放になり、落ち着くまで里に戻っていてはと新兵衛に言われた時も、共に国を出ることを選んだが、なによりも新兵衛に影のごとく添って生きようと心に決めたからだった。
江戸にいるとき、新兵衛は旗本家の家臣などから婿養子の話が持ち込まれても妻がいるのでと一顧だにしなかった。わたしを離縁して話を受けられたらと言うと、出世のために妻を捨てるような男と思うかと、怒りだす新兵衛は、無欲なうえに、細やかな心遣いと優しさがあって、私と共に生きることを心の支えとしているように見受けられた。
自分が、この世を去った後は、生きる張りを失うのではないだろうか。もしかしたら死を選ぶかもしれないと篠は恐ろしかった。新兵衛は采女と同じく用いられるに足る人だと思う。妻の後を追うような道を歩ませてはならない。
篠は意を決して、自分が死んだら国許の椿を見に帰って欲しいと頼み、そして、新兵衛に嫁ぐ直前に貰った采女からの最後の文を見せて、采女を助けてやってほしいと言った。自分が采女に心を寄せていたと新兵衛に思われるのは身を斬られるように辛かったが、そう言わねば新兵衛は決して故郷に戻ろうとしないだろうと思ったのだ。
『まことの心と裏腹な言葉を口にしながら、篠は胸の中で、「生きて、生き抜いて下さい。」それが私にとっての幸せなのです。あなたが生き抜いてくださるなら、私の心もあなたと共にあるはずです。いついつまでもあなたの傍らに寄り添えることでしょう。』
『そう願う篠の脳裏に、坂下家の庭に咲いていた椿の花が浮かんでいた。白、紅の花弁がゆっくりと散っていく。あれは、寂しげな散り方ではなかった。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむがごとき散り様だった。「わたしも、あのつばきのように……」篠は新兵衛に手をさしのべた。その手を、新兵衛はかけがえのないものを扱うかのように両手で包み込んだ。』
榊原家(元坂本家)の椿の花が、一片、はらりと散った。
采女は新兵衛に語りかけた。『新兵衛、散る椿はな、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるのだ。篠殿が、お主に椿の花を見て欲しいと願ったのは、花の傍らで再び会えると信じたゆえだろう。』
その時、里美が滋野に案内されて入ってきた。
里美は、新兵衛に顔を向け、小杉十五郎と申される方より藤吾に書状が届きまして、三右衛門殿のご遺族に家老からの討手が差し向けられるとのことでした。藤吾は、母上、家は潰され追放されても大切な人を守りたいとのです。申し訳ございませんが、新兵衛殿と同じことを致したいと出て行きましたと伝えた。
新兵衛、行ってやれとの采女の言葉に、新兵衛は門に向かった。
采女は登城した。
藤吾は、篠原家の潜り戸から入って、家士に美鈴の様子を聞くと、弟の弥市と仏間にいるとのことで、そのほうに行った頃、門のほうで大声がした。
上意だ、神妙に致せとの声が、裏口に向かう藤吾たちに近づいた。先頭は十蔵だった。藤吾が、上意を騙るとは大罪ですぞと言うと、お前も吉右衛門のように、わしに斬られたいかと言う。藤吾は吉右衛門の無念を思って憤りを感じた。死ねっと、振りかぶって斬りかかってきた十蔵に、抜き打ちに胴を払って続いて腹に突きを入れた。その時に新兵衛が刀を振りかざして助けにきた。
「椿散る」
采女が大広間に入ったとき、広間を埋める藩士は石田派の者で占められているように見えた。ご世子様が毒を盛られた責を負って采女が謹慎させられたことは、誰でもが知っている。その采女の登城に藩士たちの好奇の目が向けられていた。
玄蕃の指示で、次席家老の滝川が声を発した。殿が病床なので、我らより方々に申しあげる。江戸の神保家久様の御嫡男太郎丸様をご世子のご養子としてお迎えすることと相成ったとのお達しであり、この事について、神保家へ使者が立てられたと告げた。続けて、玄蕃がご世子のことだけでなく、近頃、城下や村方でも不穏なことが相次ぎ家老として深く憂慮しており、わしに対する恨みに報いるに、徳を以ってすべきではないかと考えた。いらざる企てをして藩に騒ぎを起こそうとした者たちが改心し許しを乞うならば許そうと思うと言う。
玄蕃の言葉に、采女は、それがしは、これまで藩の行く末を案じて参りました。されど、案ずるが故に藩に争いを招いたことを知りましたと言う。玄蕃が、詫びる気持ちがあるのであれば、ここにて、手をついて二度と逆らわぬと誓い、助けて欲しいと命乞いをすれば許して遣わすと言う。
采女は、立ち上がって玄蕃の前に進み、急にその歩を早めて脇差を抜き玄蕃の肩先に斬りつけた。
周囲の藩士が采女に斬りかかるが、采女は避けようとせず、刃傷に及んだのは私怨でなく上意であると声を上げた。続けて、殿は蜻蛉の解散を家老の口から言うように仕向けられた。これは蜻蛉組に家老を討てという上意が下ったことに他ならなかったのだと言った。
蜻蛉組には、藩主の命令が無ければ組を解くことを禁ずる定めがあり、藩主に替わって組の解散を命じるものがあれば、その者を斬るべしとされていて、小頭以上だけが知っていたことだった。玄蕃が謹慎中だった采女に登城を命じたことは、奇しくも采女に蜻蛉組としての使命を果たさせたのである。
ご世子様のお成りでございますと小姓の声が響いて、藩士たちは脇差を鞘に納めて、その場に控えた。すぐに医師が呼ばれたが、采女は絶命した。玄蕃は、采女が手加減したのだろう、助かった。
ひと月後、藤吾の献策を内膳がご世子に申し上げて、奥平刑部の屋敷に頭巾を被った蜻蛉組を従えた新兵衛が刑部の前に進み、これ以上の謀はお止め下されと、刑部が手にしていた盃を居合で真二つに割り、『主君が魚であるとすれば、家臣、領民は水でござる。水なくば魚は生きられませぬ。』と鯉口を切って一歩歩を進めた。刑部が、企みは致さぬ許せと言うと、新兵衛の後にいた男が頭巾を取って刑部と新兵衛の間に入った。政家である。伯父上、かような荒療治をしたことを許されよ。今後何かあれば、命亡きものと、今日のことを肝に銘じられよと重々しく言い置いて再び頭巾を付けて立ち去った。
本復し藩主となった政家は、玄蕃をお役御免で隠居させ、次席家老や勘定奉行は家禄半減の上の隠居させたが、政家の毒殺の企てなど石田派の過去の悪行について、ことさら詮議めいたことはしないことになった。内膳を中老にしただけで親政を行なうことを宣言した。武居村周囲の水路造りも明らかにされた。
篠原家は弥市が家督を継ぎ、後顧の憂いなく藤吾はすぐに美鈴と祝言を挙げた。
采女の死後、跡取りがない榊原家は政家の意外な裁定で、藤吾夫婦が450石の榊原家の夫婦養子になり、里美と新兵衛も一緒に榊原家に移り住んだ。
里美が離れの隠居所に滋野を訪れた。滋野は、采女殿も篠殿の血縁の者が、この屋敷に入り、家を継ぐことができて喜んでいることだろうと言った。
そして、坂下家は藤吾夫婦に子供でき跡継ぎができるまでお預かりとなった。
『その後、ある日、新兵衛は旅姿で椿を見入って立ち尽くしていた。そこへ現れた里美が、その姿は何故です。わたしの胸の裡の姉がここに留まっていただきたいと申しておりますと言った。里美は、新兵衛を愛する想いを始めて口にした。すると、新兵衛は、だからこそ出て行かねばならんのだと、裏木戸から外へと踵を返した。』
終