T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

これが当たり前、これが常識?

2007-08-15 15:17:06 | 日記・エッセイ・コラム

今日は62回目の終戦記念日。のんびりした夫婦二人のお盆。朝は風鈴の俳画のデッサンをした。賛句に「夾竹桃白き夕べの散歩道」と「客の座にカサブランカの涼しさを」のどちらにしょうかと考えながら・・・・。62年前とは雲泥の差だ。

62年前の今日は、昨日一昨日と同じように空襲の焼け跡に急増された鉄工所で学徒動員の一員として働いていた。昼前に誰からからともなく、大切な放送があるので、正午に食堂の前に集まれと言っているとの連絡を受けて、天皇の敗戦の放送を聞いた。

後ろのほうで聞いたものだから、何を言っているのか分からず、放送が済んだ後から戦争に負けたことを知った。

ある友達は悔しがって石をなげたり、別の友達は壁の板を殴ったりしていたが、自分には即座には敗戦の実感がわかなかった。負けることなんて全く考えたことも無かったと思う。

父は軍人であり、生地は長崎県の佐世保市で、軍艦にも乗せてもらったこともあり、山のような戦艦「大和」も見たことのある自分としては日本は神国だし、日本は世界一強いのだと信じていた。

トンカツなんか食べたことも無く、制服のボタンは陶器、革靴は底だけ革のようなものだった。それが当たり前で、勝つためには我慢するのが当然のことだと思っていた。

焼け野原の鉄工所で休憩中に米機の機銃掃射を受けたこともあり、まさに死に直面したこともあったが、これが戦争だと思ったし、ある時期がきたら日本が勝つのだからと、特に苦にもしていなかった。これが当たり前の生活だと思っていた。

生まれたときからの家庭、学校での教えは恐ろしいものだ。自分から幼年学校、海軍予備士官学校を目指した。今考えたら恐ろしくなる。父のように40代の若さで、いや、それよりも若い年で死ぬかもしれないのに・・・。まだまだ純真な子供であったのかもしれない。今だったら容易に決断ができないだろう。

本当に、教育が視野の狭い常識をつくる恐ろしさに改めて考えさせられる日だ。

ところで、なんで8月15日を「平和を守る日」として記念日にしないのだろうか。戦争で犠牲になった人々に、今後永遠に平和を守っていきますと全国民が誓う日にはならないのだろうか。

とすると、仮名「平和記念日」は祝日?になるのかな。祝日となると少し無理があるようだ。しかし、しかし、平和の大切さを教え繋いでいかなければならないことは、真理だ。

何はともあれ、戦争の無い地で充実した人生が送れていることを感謝したい。

コメント
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