◆ 普通の人も奇妙な人も、皆、均一の『コンビニ人間』に造られる。
スマイルマート日色町駅前店がオープンしたのは、1998年5月1日、私が大学一年の時だった。
家からの仕送りは十分にあったが、アルバイトには興味があった。
私は、スタッフ募集ポスターから電話番号をメモして帰り、翌日電話をかけた。簡単な面接が行われ、すぐに採用になった。
その後、基礎研修を終え、オープンまでの二週間、社員を相手にしながら、架空の客に向かってひたすら練習を続けた。
大学生、バンドをやっていた男の子、フリーター、主婦など、いろいろな人が、同じ制服を着て、均一な『店員』という生き物に作り直されていくのが面白かった。その日の研修が終わると、皆、制服を脱いで元の状態に戻った。ほかの生き物に着替えているようにも感じられた。
二週間の研修の後、ついに店がオープンする日になった。
「いらっしゃいませ! 本日、オープニングセール中です! いかがでしょうか!」
店の中で行う「声かけ」も、実際に「お客様」がいる店内では、まったく違う響きで反響した。
私はマニュアルを反芻しながらレジに立っていた。年配の女性はシュークリームとサンドイッチとおにぎりが幾つか入ったかごをレジに置いた。
社員の注目を集めながら、私は研修で習った通りに、女性客に向かって一礼した。
「いらっしゃいませ!」
研修で見せられたビデオの女性と全く同じトーンで、私は声を出した。かごを受け取り、研修で習った通りにバーコードをスキャンし始めた。新人の私の横についている社員が、素早く商品を袋に入れていく。
間をおかず、セールのおにぎりを入れたお客が近づいてくる。
「いらっしゃいませ!」
私は、さっきと同じトーンで声を張り上げて会釈をし、かごを受け取った。
そのとき[コンビニの店員でいるとき]、私は、初めて、世界[普通の人間の社会]の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
◆ 私は表面だけでも普通の人になろうするが、
友達の中では、依然として奇妙な人の素質は残り、
コンビニの『店員』に戻りたくなる。
先日、お店は19回目の5月1日を迎え、私は36歳になり、お店も店員としての私も、18歳になった。
私がアルバイトを始めたとき、家族はとても喜んでくれた。大学を出て、そのままアルバイトを続けると言ったときも、ほとんど世界と接点がなかった少し前の私に比べ大変な成長だと応援してくれた。
しかし、いつまでも就職しないで、同じ店でアルバイトをし続ける私に、家族はだんだんと不安になったようだ。
といっても、私には、普通の就職先でないとだめなのか、分からなかった。
また、完璧なマニュアルがあって、『店員』になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。
20代のころ、一応、就職活動をしてみたこともあるが、書類選考を通ることさえめったになく、面接にこぎつけても、なぜ、何年もアルバイトをしていたのかうまく説明できなかった。
毎日、働いているせいか、夢の中でもコンビニのレジを打っていることがよくあり、「いらっしゃいませ」という自分の声で夜中に起きたことある。
眠れない夜は、今[晩]も蠢いている[コンビニの]あの透き通ったガラスの箱のことを思う。清潔な水槽の中で、機械仕掛けのように、今もお店は動いている。その光景を思い浮かべると店内の音が鼓膜の内側に蘇ってきて、安心して眠りにつくことができる。
朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしているのだった。
(中略)
朝の8時、36歳の私は、スマイルマート日色町駅店のドアを開ける。
仕事は9時からだが、店につくと、廃棄になってしまいそうなパンやサンドイッチを選んで買い、バックルームで朝食を食べることにしている。
朝食を終えると、天気予報を確認したり、店のデータを見たりする。天気予報は、コンビニにとって大切な情報源である。
8時半を過ぎたころ、「おはようございます」というハスキーな声がしてドアが開いた。バイトリーダーとして信頼がおかれている泉さんだ。私より一つ上の37歳の主婦で、きびきびとよく働く女性だ。
泉さんが鏡の前で服装を整えていると、「おはようございます」と菅原さんが飛び込んできた。
菅原さんは24歳のアルバイトで仕事に熱心な声が大きい明るい女の子だ。
いまの『私』を形成しているのは、殆ど私のそばにいる人たちだ。3割は泉さん、3割は菅原さん、2割は店長さん、残りはその他の店員さんから吸収したもので構成されている。
特に、喋り方に関しては、身近な人のものが伝染していて、今は、泉さんと菅原さんをミックスさせたものが、私の喋り方になっている。
私は、泉さんの服装、小物、髪型を参考にして自然に真似をしていたので、ある時は、泉さんから、「古倉さんって、私と趣味が合う気がする。そのバッグも可愛いよねえ」と言われたりしている。
(中略)
学生時代は、『黙る』ことに専念していたので、殆ど友達はいなかったが、アルバイトを始めて暫くしてから行われた同窓会で旧友と再会してからは、地元に友達ができた。
「えー、久しぶり、古倉さん。イメージ全然違うー!」
明るく声をかけてきたミホと、持っているバッグが色違いだという話で盛り上がり、それからは、たまに集まってご飯を食べたり、買い物をしたりしていた。
ミホは、一戸建てを買っていて、そこに友達がよく集まる。私は、コンビニ以外の世界との接点であり、同じ年の『普通』の30代女性と交流する機会なので、ミホの誘いにはなるべく応じるようにしていた。
「なんか恵子、変わったね」
感情豊かに喋る私を、子供があるユカリが見つめる。
「前はもっと天然っぽい喋り方じゃなかった? 髪型のせいかな、雰囲気違って見える」と、ミホが後を追い、続けて、
「それ、表参道のお店のスカートじゃない? 私も色違い試着したよー、可愛いよね」と話してくる。
ユカリが、ふと私のほうに視線を寄越した。
「恵子は、まだ結婚してないの?」
「うん、してないよ」
「え、じゃあまさか、今もバイト?」
私は、この年齢の人間がきちんとした就職も結婚もしていないのはおかしいことだと、妹に説明されていて、妹から言い訳を教えられていた。
地元の友達と会うときは、少し持病があって身体が弱いからアルバイトをしていると、アルバイト先では、親が病気がちで介護があるからだと言うことにしていた。
「そう、あまり体が強くないから、今もバイトなんだ!」
「あのさあ、恵子って恋愛ってしたことある?」
「恋愛?」
「付き合ったこととか……恵子からそういう話、聞いたことないよね」
「ないよ。とにかくね、私は身体が弱いから」と、
妹から教えられた言い訳をリピートした。
その後も、私が異性関係について悩んでいることを前提に話題が進んでいくので、[コンビニから出れば、普通の存在からは、やはり異物とみられ外されてしまうと思い] 早くコンビニに行きたいとな、と思った。
コンビニでは、働くメンバーの一員であることが何より大切にされていて、こんなに人の状態や考えが複雑ではない。コンビニに行けば、性別や年齢、家族状態も関係なく、同じ制服を身につければ全員が『店員』という均等な存在になれるからだ。
[ ダメ人間と思える新入りの男性・白羽さん ]の項に続く