[ 概要 ]
鬼平犯科帳8巻のなかの短篇の一つ。
明神の次郎吉は、盗人でありながら善いこともするという風変わりな男。
盗賊の頭・櫛山の武兵衛から呼び出された次郎吉は、江戸へ向かう旅の途中、重病人の老僧から遺言だといって遺品を渡された。
次郎吉は、老僧を近くのお寺に仮埋葬し、江戸へ出て、長谷川平蔵の親友の岸井左馬之助に遺品の銘刀を届けた。
感激した左馬之助は、軍鶏鍋屋・五鉄で御馳走するが、このとき、次郎吉は昔の仲間であった密偵のおまさに顔を見られた。
おまさは、櫛山一味のお盗めが近くあると思われるが、次郎吉は逃がしてやりたい気持で一杯でどうしたものかと、老密偵の彦十に相談する。その結論として、平蔵への忠節心を優先させた。
平蔵は状況を把握し、密偵は使うが盗賊改方の与力や同心は使わず、捕縛は町奉行所に託することにして、櫛山一味を捕縛する。 その後に、平蔵は、町奉行に、次郎吉たちの減刑を陳情する。
一方、何も知らない左馬之助は、旧友の老僧の墓を建てて弔うため信州へ旅たっていく。
盗賊だが善行をする次郎吉を、できれば見逃したい優しいおまさ。
そのおまさに対する平蔵の思い遣り。そして、親友・左馬之助に対する心遣い。
それら三重四重の人情味あふれる捕物話。
[作品の文章抜粋による粗筋]
※ 彩色した部分は、私が補足したところ。
※ 下線をほどこした部分は、ポイントになると思ったところ。
1.
盗賊のお頭・櫛山の武兵衛に呼び出され、諏訪から江戸に向かう信州・追分の手前の前田原を、旅提灯を持って急ぐ男がいた。明神の次郎吉という盗賊である。
次郎吉は、盗賊のくせに他人の難儀を見逃せにできない男なのだ。悪事を離れているときぐらいは、(せめて、善〔い〕いことをしてえものだ)という、いわば、罪滅ぼしをしながら罪を重ねている男といえる。だから、三か条の掟〔盗まれて難儀するものには手を出さぬ。盗むとき人を殺傷せぬこと。女を手籠めにせぬこと〕を守り抜く本格的な盗賊だった。
次郎吉は、道端の草の中に倒れ伏して、苦しそうなうめき声を出している老僧らしき人影を見て駆け寄り抱き起した。
老僧は(もう、いけない)と覚悟しているらしく、「旅の人、死に際の頼みじゃ、聞いて欲しい」と言う。
2.
それから四日後の夕暮れ、江戸東郊・押上村の春慶寺内に寄宿している剣客・岸井左馬之助を訪ねた次郎吉は、諏訪の旅籠の主・亀五郎だと名乗って、前田原で息を引き取った老僧・宗円に頼まれた遺品の藤四郎吉光の短刀を届けた。
もとより、左馬之助が火付盗賊改方の長官〔おかしら〕・長谷川平蔵の親友であるなどとは夢にも思っていなかった。
左馬之助は、旧知の宗円坊の死をみとり、遺体を始末して、遺品をわざわざ届けてくれた男へ、何とかして精一杯のもてなしをし、厚く礼をのべなくては(宗円坊にもすまぬことだ)と、思いきわめて、軍鶏鍋屋・〔五鉄〕へ誘った。
3.
五鉄の亭主の三次郎夫婦も、昔、左馬之助と一緒に食べに来ていた宗円を覚えていた。
宗円は、武家の跡取息子だったが、あるしくじりから、弟に後を譲り坊主になって、左馬之助が寄宿していた同時期に、春慶寺で修行していたことがあったのだ。
三次郎も、次郎吉の親切を喜び、自ら包丁をとり支度にかかった。それが終わると、三次郎も仲間に加わり、宗円坊の終焉の様子を聞いた。
五鉄に住んでいる密偵のおまさが、少し前に帰っていて、次郎吉が、左馬之助と春慶寺に帰る姿を見て、おまさは、次郎吉と顔見知りであることを隠して、三次郎に、何があったのかと事情を訊ねた。 気の短い三次郎は、まくしたてるように、宗円の遺品を持って来てくれたのだと話してくれた。
夜遅くなっていたが、じっとしておられず、おまさは、近所に住んでいる老密偵の相模の彦十を訪ねた。
おまさは、彦十に
「櫛山の武兵衛のもとで流れ盗めをしていたときの同じ仲間で、人の難儀を見過ごせない人柄の次郎吉が、櫛山のお頭から呼び出されたと思われるが、江戸に来ていて、先ほど、五鉄で左馬之助先生と一緒のところを見た。 多分近々、お盗めをするのだと思うが、次郎吉だけでも見逃してやりたいと思うのだが、どうしたもんだろうか?」
と、相談した。
4.
翌日、午後、左馬之助が火盗改方の役宅に平蔵を訪ねてきた。 表門外で、中から出てきた彦十に合ったが、急いで平蔵に話したいことがあり、挨拶もそこそこに中に入った。
左馬之助は、嬉しそうに、平蔵に、昨日、宗円の遺品を持参した旅籠の主の亀五郎というお人と五鉄で酒を共にしたことを語った。
平蔵は、すでに彦十から事情を聞いていたので、そうか、わしもその奇特な男に会いたいと適当に応えて、これから若年寄りの呼び出しで登城するからと言って、左馬之助を帰した。
登城は嘘で、実はおまさの報告を待つためであった。
彦十とおまさは、今朝早くから、春慶寺から出立した次郎吉の後をつけて行き、盗人宿と思われる千駄ヶ谷の百姓家に入ったのを見届けたのだ。
彦十は、これはやはり、長谷川さまのお耳に入れておかねばと心に決めて、そのことをおまさに納得してもらい、役宅にいそぎ、平蔵に次郎吉と櫛山の武兵衛の動向を報告した。
夕暮れに、彦十と入れ替わって、おまさが、盗人宿の百姓家の様子や次郎吉のその後の動きなどを報告するために役宅に来た。
平蔵に報告し終わった後も、何か言いたそうな様子のおまさの眼差しには、(平蔵のお目こぼしを願うのではないが、獄門にされてしまうのでは、あまりにも次郎吉が可哀そうなので、何とかあたたかい処置をとってもらいたい)という思いが、平蔵には、はっきりと見てとれた。
平蔵は、くだけた調子になって、
「おれに任せておけということよ。おまえの気持をむげに扱ったことは一度もねえつもりだぜ」
と言い、おまさは、その一言で、どうやら落ち着いたようであった。
5.
平蔵は、この一件に関して、盗賊改方の与力や同心を一人も使わぬことにして、密偵を総動員して事に当たり、捕縛は町奉行所に任せることにした。(捕縛した後は検事役を町奉行所に頼み、平蔵は裏で弁護役として陳情することにしたのだ)
―中略―
次郎吉が入った盗人宿に数人が集まり、つなぎ役の盗賊が連絡に来て、お頭のいる盗人宿に全員が集まった、押し込み先に向かって盗賊が動き出したなどの連絡が、次々に、密偵から平蔵のところに報告された。
6.
櫛山一味の盗賊の12名が、薬種問屋・橋本屋の裏手に集まった。その周囲を平蔵と密偵たち、そして町奉行所の捕方が取り囲んだ。
引き込みの盗賊が裏手の潜戸を開けて中へ導き入れようとしたところを平蔵が駆け寄って、武兵衛に鉄拳の一撃を食らわし、刀は使わずに、準備していた桜の棍棒をふるって、たちまち3名を叩き倒した。
武兵衛が恐れ入りますとひれ伏すと、さすがに大盗、あきらめもよく、配下一同、いずれも逃げようともせぬ。その中に次郎吉もいた。
全員を町奉行所の捕方が捕縛し、それを率いる与力に、平蔵が、
「今夜のことは、盗賊改メには関わりのないことじゃ。私が明日、お奉行にお礼に上がるとお伝えあれ」
と言って、密偵を促して、平蔵もその場を去って行った。
―中略―
それから10日を経たある朝早く、左馬之助が平蔵のとこに来て、約束していた亀五郎がまだ来ないが、宗円坊のお墓をたてることが気になるので、信州へ行くからと言って去って行った。
見送った平蔵は、傍らの妻の久栄に、櫛山一味は島送りですむようだし、次郎吉はもっとも罪が軽くなると思うと告げて、続けて、
「人間というものは妙な生き物よ。 悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心を許しあうた友を騙して、その心を傷つけまいとする。 おれも陰へまわっては、何をしているか知れたものではないぞ」
と言って、ふっ、ふふと平蔵は笑っていた。
終