「概要」
上巻裏表紙より
「神戸の海辺の町にHと呼ばれた少年がいた。 父親は洋服仕立て職人。 母親は熱心なクリスチャン。 二つ年下の妹の四人家族。 H(昭和5年6月生)が小学五年生のとき、戦争が始まった。 父親がスパイ容疑で逮捕され、Hが大好きな映写技師のお兄ちゃんも、召集を逃れて自殺する。 戦争の影が不気味に忍び寄ってくる。 Hは何を見て何を感じたか? 戦争を子供の視点で描いた感動の超ベストセラー。」
下巻裏表紙より
「中学生になったHは、軍事教官から「反抗的だ!」とマークされ、殺されそうになる。 戦争は日々激しさを増し、空襲警報が連日のように鳴り響き、米軍機の猛爆で街は炎上する。 その中を逃げ惑うHと母親。 昭和20年8月、やっと戦争が終わるが、暮らしの過酷さはその後も続いた。 "あの時代"、人々はどんな風に生きていたのか? <少年H>は鮮やかに"戦争の時代"を伝えてくれる。」
<少年H>は映画化され、モスクワ国際映画賞特別賞を21年振りに受賞した。 Hの父親を演じた主演の水谷豊さんの「私の一行」より
「戦争に負けたのが悔しくて、涙が流れたのではなかった。 この戦争は、いったいなんだったんや! と思うと、たまらなかったのだ。」 「理不尽な戦争に対する少年Hのこの言葉は、僕の心にやりきれなく突き刺さった。 そして、そんなHを見守る父親の姿は、同じ子供を持つ親として強く僕の心を揺さぶった。 悲惨な戦争を健気に生き抜いた一家の姿は、僕に大きな感動を与えてくれ、ぜひとも、Hの父親を演じたいと思った。」
瀬戸内寂聴さんの解説の一部より
「少年Hは、日、一日と戦争色の濃くなってゆく中で、小学生から中学生になる。 Hは頭が良くて、腕白で、元気いっぱいである。」 「読んでいて思わず吹き出す楽しみもユーモアもちりばめられている。 悲痛な話もいっぱいなのに、何だかおかしい場面の連絡であり、あの暗い戦争中なのに、Hをはじめ少年たちは、みんな生き生きとして明るい。 Hの家も、次々困難に見舞われるのに、父も母もじめじめしていない。戦争中の庶民はこうであった。」
「あらすじ」
私が経験し、記憶に残っている終戦までの項目から抜粋した。 終戦後のものは著者と生活態様が違っていたので省略した。
抜粋した項目に、次の三点を追記した。
〇当時よく使われ、私も使っていた言葉⇒赤字
〇心に残った文章⇒下線
〇その項目に関わる私の記憶⇒『……』
上巻
◎赤盤(LPレコードの名曲盤で中心部分のラベルが赤いもの)の兄ちゃん
近所のうどん屋で働いていた町で一番好きだった兄ちゃんが、「アカ(共産主義者)」だったとかで「特高」の警察に連れて行かれた。
兄ちゃんの部屋にはレコードや本が多くあって、「藤原義江(男のクラシック歌手)」の赤盤のレコードが好きで、よく聞かせてもらった。
うどん屋のおばさんは、知り合いの息子で、元気よう配達してくれるんで評判が良かったから、ずっと住み込んで働いてもろうていたと言っていたが、連行された後では、おばさんは不機嫌な顔をして「あの兄ちゃんの事は聞かんといて、うちはえらい迷惑したんや」と言っていた。
◎タンバリン
キリスト教の街頭宣伝の一隊で母親の敏子がタンバリンを叩きながら賛美歌を歌って、Hが通う小学校の付近を歩く。Hも日曜に教会に通っていたので、「アーメンの子」とからかわれることに慣れっこにはなっていたが、タンバリンが鳴り響いた日の次の朝は、かなりしつこかった。 うんざりしたHは、今までに何度となく母親に、タンバリンを叩いて歌いながら街を歩くのだけは止めてくれと頼んだが無駄だった。
両親は福山市の奥の農家の出で、敏子の母はお寺の娘であった。 父の盛夫は本家の子で神戸で紳士服の職人をしていて、親の話で夫婦になった。
神戸で夫婦生活を始めて、まず敏子が洗礼を受け、次に盛夫、そして、Hと妹と、一家全員が信者になった。 敏子はHを汚れなき天使のような子に育てようと決心したらしく、あなたは神に捧げられた子だから、悪いことをしてはいけません。 いつもイイ子でなくてはと毎日のように言われるのにHはうんざりしていて、15歳の元服までは良い子を装い我慢すると誓っていた。 タンバリンの音も、その中の一つだった。
◎オトコ姉ちゃん
お化粧すれば近所の女の人の誰よりも綺麗な青年なので、Hはオトコ姉ちゃんと渾名をつけた。 彼は、近所の映画館の映写技師をしていてHを可愛がってくれていた。
ある時、悪ガキが、風呂屋でオトコ姉ちゃんの男のものを見てやれとガキの一人が手拭を引っ張って見えたものは、普通の大きさだった。 でも彼は叱らなかった。 その彼に赤紙の召集令状が来て出征した。 しかし、所定の期日までに入隊していなく、憲兵が来て調べたが誰もその姿を見た人はいなかった。
それから二か月ほどして、Hは友達三人と近くの山に薪拾いに行った帰りに大便がしたくなり、我慢できずに少しちびったので、友達と別れ、急いで、ガソリンスタンドの廃屋の便所に入った。 すると、そこでオトコ姉ちゃんが首を吊っていた。 とうとう大便をしくじった。
近所の人が集まって葬式を出したが、親戚の人も勤め先の人も友達も、誰一人来ていなかった。 Hは涙が止まらなかった。 (非国民と言われる体面を重んじたのか。)
◎ナイフとフォーク
Hは小学二年生のときから、ナイフとフォークを使って丸テーブルの周りに正座して御飯を食べていた。
アメリカ人の宣教師の家庭に招待されて、ナイフとフォークの扱いに戸惑ったので、母親が子供に困らせないようにするためだった。
みそ汁もスープ皿に入れてスプーンで音をたてずに飲むことも教えていたが、それはあんまりだと父親が異議を唱えて、日本風に食するようになった。
フランス人もナイフとフォークを使うということを聞いて、Hも自分から使う気になった。
母親は、それだけでなく、将来、神戸以外で暮らすようになった時に、Hが困らないように、ラジオを聞いて標準語を使わせたかったが、外では友達にからかわれるから家の中だけにしてもらった。
◎愛
Hは、父親のお得意さんの平和楼の陳さんに、大きくなったらコックになりたいと言ったことがあったが、レストランのボーイのほうが良いと思いだしたので、陳さんに断わりに行った。
陳さんは、ボクが大人になるまで私が神戸におれるかな、神戸はオジサンのほんとの故郷だがなと言った。 Hにはその意味がすぐ分かった。 支那と戦争しているので、「お前は敵だ。 チャンコロじゃ、支那に帰れ。」と言う人がいたからだ。
Hが一年生のときに、「お前のとこはアーメンの信者だから敵も愛するそうやな、お前もチャンコロが好きなんやろ、そうやろ。」と言われたことがあったが、「愛してへん」と言って、母親に、「神は全ての人を愛せよ」と言う言葉を聖書にあるからといって、誰彼なしに愛と言わんといてと言った。(母親への反抗心)
続く