ー親友・源吉の死ー
原市之進が、家老の使いで、お美代の方様の御由緒書を渡せと言ってきたが、秋谷は無いと言うと、百姓を煽動して一揆を企てていると申し立てがあるので、郡方目付に調べさせる、そうすれば村の者も引っくくれるし、戸田殿を恨むだろうと言う。
源吉の父の万治が矢野啓四郎を殺めたとの噂からきつい取調べがあるだろうと、郁太郎が知らせに行く。源吉は万治を逃す。
逃げた万治の代わりに、死を命じたのは秋谷だろうと源吉が取り調べられ、三日目の夜に凄惨な拷問を続いて受け殺された。
郁太郎は、源吉の死に顔を見て、妹に悲しい思いをさせたくなく命の際まで笑い顔を見せてと、号泣する。
郁太郎は父に源吉を死なせた咎は誰にあると問う。父・秋谷は家老がお美代の方様に関わる秘密を守り抜こうとすることにあると言う。
その夜、郁太郎はしっかりした足取りで我が家を後にした。秋谷に許しを得た庄三郎がその後を追う。
ー源吉への仇討ー
源吉が拷問を受けて死ななければならないのは納得できない。すべてを命じた御家老が源吉の死を知らないままでいるのは許されないので、御家老に一太刀浴びせたいと言う郁太郎。
見届けるために道案内をするのだと言う庄三郎。
家老の面前で、郁太郎は、親友の源吉は郡方目付の厳しい調べを受けて体中に鞭打たれた痣を無残に残し命を落とした。源吉は、私の父を巡る藩内の確執から死に至らされたものなのに、御家老がご存じないのは許せない。領民が酷い目に遭ったことを、領地の村を治める御家老として知らないとは許せないと、脇差の鯉口に指をかけた。庄三郎が助勢に入る。
家老は若者と斬り合いをしたという不面目は避けたく、源吉の家族も磔に致すぞと卑怯な言葉を発した。
庄三郎は、郁太郎殿、見事。御家老は武士にあるまじき言葉を吐かれた。これは生涯消せぬ恥辱となろう。源吉のため間違いなく一太刀浴びせることができましたと言った。そして、庄三郎に続いて郁太郎も刀を前に置いた。
庄三郎と郁太郎は座敷牢に閉じ込められた。
牢の中の庄三郎は、刃傷事件の直後はひたすら生きたいと願ったが、戸田殿に接して今は考えが変わったことを知り、
「人は心の目指すところに向かって生きているのだ、と思うようになった。心の向うところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくない。」
そう思いつつ、庄三郎は薫の顔を脳裏に浮かべた。
戸田殿ならば、そんな情を抱く気持ちも分かってくれるだろう。
戸田殿は人を大切に思う気持ちを持った武士だ。だからこそ、私はあの人を信じることができるのだと、満ち足りた思いでいると気付いて庄三郎は頬を緩め、笑って死ぬと言うのは、こういうことなのかもしれないと思った。
ー秋谷の鉄拳ー
家老は信吾を呼び寄せ、秋谷に、法性院御由緒書を渡せば、息子と庄三郎を返し、家譜を纏め終えたならば、その功に免じて切腹の儀を取りやめと致すよう殿に願い出ようと申し渡せと命じた。
秋谷は、家老は策略の多い人だから、息子らを取り戻し今後も手を出させぬ方策として他に手立てはないと、自分から出かけることにし、側で、幽閉を破り城下に参るのはと止める織江に向かって、そなたにとっても何物にも代えがたい大切な息子だろう、その息子を取り戻しに参るのだと、信吾の馬を借りて家老屋敷に出向く。
家老の前に出た秋谷は、側の郁太郎に友のためになさねばならぬと思い定めたことを遣ったことは武士として立派な振る舞いだ、私はそなたを誇りに思うぞと優しく言った。
秋谷が、家老は信じられぬ方ゆえ、御由緒書を持って息子たちを引き取りに来たと言うと、家老は、とうとう儂の前に跪いたと思うと小気味よいと嗤った。
秋谷は、それは只の紙切れ同然のものだ、御由緒書は慶仙和尚に寺の記録として記すよう頼んだ、家譜を抹消しても長久寺の記録には、家老といえども手をつけることは許されまいと言う。
そして、私は我が命を伸ばすために、御由緒書という藩の大事を使うては武士の誇りが廃れると言い、御由緒書を渡したからには、それがしはもはや死人同然なので許せと、家老の顔を殴りつけ、
「源吉たち領民が受けた痛みを我が痛みとせねば家老は務まりますまい。」
と言って、三人で家老屋敷を後にした。
ー秋谷の最後ー
秋谷が切腹する八月を前に五月に庄三郎と薫は祝言を挙げた。宴がたけなわな頃、戸を叩く音がして庄三郎が出ていくと、村民がお祝いの品を入れた竹籠を持って立っていた。
七月には烏帽子親は庄三郎が務め郁太郎の元服の儀が行われた。
郁太郎の元服を終えてほどなく三浦家譜の清書を仕上げた。お美代の方様の出自は、尾張徳川家に仕えた後、牢人となった秋戸龍斉の息女であるとのみ記された。
十年前、お由の方様が江戸の下屋敷で襲われた一件は、「御側室ニ不意ノ教示アリ、江戸屋敷用人戸田順右衛門罰セラル」と簡略に記録した。
秋谷は蜩の記に一行記し、それ以外の感慨は書かなかった。
翌日、藩が家譜を改竄することを見越して、原本を長久寺に預けるつもりで持参した。
秋谷が未練はないと言うと、慶仙和尚は、「未練がないとは、この世に残る者の心を気遣ってはおらぬと言っているのに等しい。この世をいとおしい、去りとうないと思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう」と言って、そなたの未練は他にもありそうじゃなと茶室に誘う。
松吟尼が秋谷の膝前に茶碗を置いた手がわずかに震えた。「心が乱れ、お恥ずかしゅうございます」と言う。
その後、二人の間に次のような言葉が交わされた。
討手を逃れて一夜を過ごした折、秋谷殿は若かりし頃の自分のいとおしむ想いから、私をお助けくだされたとおっしゃいました。その後何も言わずに朝を迎えたことが悔やまれます。
あの折、このまま秋谷殿とどこか遠くへ参ることができたらと思っていました。
「もしも違う道を歩めば、かように悲しいお別れをせずにすんだのやしれませぬ。今生のお別れが辛ろうございます。」
「かように松吟尼様とお会いいたしておりますと、それがしも、この世が名残惜しゅうなります。」
八月八日、検分役が来る昼まで、夫婦だけの座敷の中で、「よき夫婦であった。よき縁をいただきました。」と最後の会話をして過ごした。
不意に蜩が一斉に鳴き始めた。郁太郎は、父親が従容として最期を迎えるさまが脳裏に浮かび、この瞬間、命を絶ったのだと、胸にきりりと痛みを感じて空を見上げた。
家譜編纂の功により、ともに相応の禄を戴いた庄三郎と郁太郎は、藩のため、家老を追い落とすことの協力を誓った。そして、郁太郎は力強くうなずいて「義兄上(あにうえ)」と呼びかけた。
以上