T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

「終わらざる夏」を読み終えてー3ー

2010-08-30 09:06:05 | 読書

第八章(孤島の戦闘)

(真夜中に上野駅に着いた譲から電話があり、迎えに行く母親の記述を省略する。)

〇 敗戦も降伏も日本軍にとっては初めての経験である。兵器は葬り去らなければならなかった。戦車は砲塔を外し、機関銃も無線機も下ろして海に沈める。燃料はドラム缶ごと地下陣地に埋めるとか、中隊がかからなければならない作業は多くあった。しかし、大屋准尉はいま少し状況の推移を見るべきだと反対を力説する。

 大屋准尉は勘働きで中隊の仕事を中止したので、じっとしておれず中村伍長の運転するトラックで島の東北端に偵察に行き、今は何もなかったが、老いの勘働きは取り越し苦労であって欲しいと思う。

〇 8月18日早朝未明にソ連軍二個大隊が島の東北端に上陸し、第1線守備隊と交戦となった。大屋准尉は故障の戦車を修理し中村伍長と前線に、吉江参謀に片岡二等兵も付いて前線に行く。

〇 師団参謀長から女子挺身隊員の脱出命令を受けていた渡辺中尉は森本主任と協力し、軽爆撃機が波状攻撃を繰り返す中、海霧が漁船等を集結していた幌筵海峡を覆ったときを見計らって全員を根室まで脱出させた。

 出発までには、岸上等兵の脱出するか否かの隊員の意思を纏めてくれ、缶詰と違うのだという意見を当然のことだと、渡辺中尉が感心したこともあった。また、森本主任が島に残るということで、石橋キクがなぜ降参したい相手に戦争を仕掛けてきたのか、降参した相手をなぜ殺そうとするのか、何の理があるのか聞きたいと、一時は居残る無理を言った。

〇 戦闘が終わった時点でオルローフ中尉が愛人レーノチカへの死の別れの手紙の記述の中からの抜粋。

 上陸時の戦闘で大隊は殆ど消えてなくなった。私はたった一門の対戦車砲を曳いて右往左往し部下3名と谷地に辿り着いた。

 多分、英語だと思うが、しっかりしなさい、死んじゃいけないと、日本の老兵が僕の壊れた顎に水筒の口を当ててくれた。

 止めろ止めろと言いながら、やむなく戦い、当然のように出した停戦交渉の為の軍使も散り散りになり、同行のこの老兵通訳も一人戦場を彷徨っていたのだろう。

 部下の斥候が帰ってきていきなり機銃を掃射し、僕の手首を吹っ飛ばして本人も倒れた。水溜りに尻を落とした日本の老兵は軍服から染み出る血を手で押さえ、雑嚢に手を伸ばした。僕は老兵が手榴弾を取り出すと思うより早く体が反応し、拳銃の引き金を引いた。

 降伏した軍隊に戦闘を仕掛けた上、その老兵軍使を殺したのだ。しかも、自分を助けてくれようとした相手を殺したのだ。

 彼の雑嚢からこぼれ出たのは手榴弾ではなく、アルハベットでSEXUSと書かれた英語の本と栞の変わりに差し挟まれていた若き女性の写真だった。

 僕は残された命を振り絞って、彼を花咲く草原に引きずり上げた。

                                          

終章(強制収用所での菊地軍医の行動)

〇 戦闘が終わり、武装解除が終えたのは8月24日であった。圧勝しながらの降伏であった。千人単位の作業班に再編されて9月中旬からソ連邦領内へと移送された。

〇 バイカル湖近くの強制収用所の医務室にいる菊池軍医のもとに、極度の栄養失調と発疹チフスによる衰弱者が連れ込まれているが、それらの兵士は数日で死ぬ状態だ。

 菊池軍医は暫くの間、注射器の胴を握って温め、氷点下の冷気を避けて少しでも温めた空気を患者の体に入れた。患者は苦しむことなく静かに死んでいった。医薬のない現状で、この方法を教えてくれたのは医専の先輩軍医からだが、この軍医はそのことを苦しみ数日前に自殺した。菊池軍医も処置をした都度、外へ出て辛さと怒りを吐き出しているようだ。

〇 森から大木を伐り出す重労働が、軍の命令に基づく正当な作業とはどうしても思えない、伐採した大木は放置され輸送される気配はない。

〇 「あなたたちは、千島で3000人のソ連兵が殺されたことを知っているのか。戦争が終わっていたのに、これは犯罪です。犯罪者は捕虜ではない。罰として働く、死んでも働くのは当り前。」菊池軍医はテーブルの下で拳を握りしめ、ソ連軍医に、君はそれでもヒポクラテスの弟子か、医者かと怒りの声を高めた。

〇 菊池軍医は自分の行為が反逆ととられることを自覚して、死の前の整理を始めた。

 医学書の中から手紙が落ちた。富永軍曹から預かった母親への手紙だった。悪いと思いながらも中を見た。菊池先生に手紙を預けた、昔のように先生の言う事をよく聞いて長生きしてくれと書いてあった。菊池軍医はこの手紙によって生きよと命じられたと感じた。

 軍医の心変わりを責めるかのように吹雪は丸太小屋を軋ませて荒れ狂っている中で、油紙に包まれた押し花のノートが出てきた。初めは誰から預かったものか思い出せなかったが、菊池の胸に押しつけた手、眦を決した少年兵の顔が浮かんだ。表紙には占守の夏と書かれていた。ページをめくったとたん、終わらざる夏の光と風が輝き吹き上がったようだ。

〇 菊池軍医の前に渡辺中尉が来て、肺炎の兆しの喘鳴があるのに聴診器は無用だと言いながら、押し花のノートを見て短気は命取りになるよと言い、あなたに万一のことがあったら誰が我々の命を預かるのかと言う。

 400名の挺身隊の船団が無事に根室に着いたときは、勝ったと万歳の歓声を上げたと話してくれた。

〇 翌日、倒木の下に飛び込んだ吉江兵長の死体が医務室に運ばれてきた。吉江参謀が一兵卒に身を変えていたのだ。しかし、密告で正体がばれたため自殺したのだ。菊池は急ぎ私物を持ってこさせた。殆どのものは兵卒が使うものばかりで怪しまれるものはなかったが、中に何枚もの藁半紙の表裏に几帳面に細かな字で書かれていた。菊池には見覚えがある字だと気付いた。

 吉江参謀は何時この訳文を託されたのだろうか、片岡二等兵の生死はどうなったのだろうか、吉江参謀は捕虜となった時点で戦犯となり立場上死を覚悟せざるを得なかっただろうから変装したのだろう、しかし、この遺品を手にした時から更にあらためて一兵卒として生き抜く覚悟を決めたことだろう。

 菊池軍医は自分自身に必ず帰ることを誓う。

  

コメント
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