今の仕事のままだとなかなか生活が厳しいのは以前書いた。
最近は「動く」のが当たり前のようになっていて、けっこういろんなところに面接に行っている。
昨日も、ある会社の面接があって富山市まで行っていた。
どこの会社でもいわゆる「志望理由」を言わなくてはならないが、昨日の場合は話しているうちに「本当にやりたいことは実は違う」ということがバレてしまった。
表向きは別として、この時点でもう先方としてはサヨウナラという感じであったろう。
あれこれ考えてもったいつけたような志望理由を言っても、相手には伝わらないし、試験に落ちるのも当たり前である。
「安定収入」という誘惑には逆らい難いが、もう自分にウソがつけなくなっている今は、本当にやりたいことを突き詰めていく必要があるようだ。
ただ、その実現までには相当の苦労があるだろう。
また周りの人に迷惑をかけることになるかもしれない。
「生きていくこと」はつらいが、「生きていること」は幸せだ。
言葉は悪いが、いつ死んでも悔いのないように生きるのが、生きている者のつとめだ。
思いつくことはすべてやってみて、それでダメなら仕方がない。
この年齢で夢を追いかけられる幸せを感じながら、日々を生きたいと思う。
最近は「動く」のが当たり前のようになっていて、けっこういろんなところに面接に行っている。
昨日も、ある会社の面接があって富山市まで行っていた。
どこの会社でもいわゆる「志望理由」を言わなくてはならないが、昨日の場合は話しているうちに「本当にやりたいことは実は違う」ということがバレてしまった。
表向きは別として、この時点でもう先方としてはサヨウナラという感じであったろう。
あれこれ考えてもったいつけたような志望理由を言っても、相手には伝わらないし、試験に落ちるのも当たり前である。
「安定収入」という誘惑には逆らい難いが、もう自分にウソがつけなくなっている今は、本当にやりたいことを突き詰めていく必要があるようだ。
ただ、その実現までには相当の苦労があるだろう。
また周りの人に迷惑をかけることになるかもしれない。
「生きていくこと」はつらいが、「生きていること」は幸せだ。
言葉は悪いが、いつ死んでも悔いのないように生きるのが、生きている者のつとめだ。
思いつくことはすべてやってみて、それでダメなら仕方がない。
この年齢で夢を追いかけられる幸せを感じながら、日々を生きたいと思う。