blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

つながる楽しみ

2013-02-11 19:45:46 | 休日
最近はフェイスブック(以下FB)上で、中学や高校時代に関わった人間からアプローチを受けてありがたいことである。
SNSなるものがあるおかげで、普通ならつながりそうにない人間と再びもしくは新しくつながることができる。
主にモバイルでやっている人ならリアルタイムで居場所や行動をアップしているから、眺めているだけでもいろいろと楽しめる。

私は現在、モバイル環境に難があることと、難がなくても仕事中はモバイル機器を眺められる状況ではないので、メッセージの確認や返信は自宅のPCからやっている。
クイックレスポンスを期待する向きには申し訳ないことになっているが、FB及びツイッターに関しては直接画像や記事を叩き込むことは志向してなく、長い間続けている「goo」(本欄)や「みんカラ」のブログへの入り口代わりとして使っている。
前者は仕事を含めた生活全般、後者はもっぱらクルマに関するネタを書いているが、FBでは私のブログのような長い文は好まれないと思うし、ツイッターはもとより140字という制限がある。
前々からやっているものに少しでも多くの人が来てくれるためのツールとしてSNSを使わせてもらっているだけである。

ここ数年は、SNSがキッカケかどうかはともかく、再会であったり新しいつながりであったりが多くなっているから気分的には嬉しい。
私も年齢を重ね、それこそ生徒・学生時代とはずいぶんキャラクターも変わってきたように感じているが、私自身は昔よりも今の自分が好きである。
昔は、他人にどう見えていたかはともかく、人間としての自信がまるでなく、他人に少し強く言われればその通りに動く部分はあり、友達どうしのつながりといっても何となく「利用されている感」にさいなまれながら過ごしていた。
当時は当時で懸命に生きていたとは言いたいが、最近の言葉で言えば「ブレる」ほうではあったろう。
今の職場にも同じような人がいるから痛いほど分かるが、「自分のない」人は他人に好きなように動かされてしまうものだ。

私は30代の半ばくらいでそういう性格を何とか卒業することができ、今はわりあいズケズケとモノを言うタイプに変わった。
いつまでも昔のイメージで私を見ていたい人間はその過程で離れていったが、そもそもちょっとしたことで容易に動かせる私などもうこの世にいないのだから、ないものねだりをする人間は今後の私の人生にも「いらない」ということだ。
中高生の時、私と同じクラスに「ならなかった」人間のほうが私に対する見方がフェアであるのを、ここ数年の同窓会や個人的な飲み会の中でも感じているところである。

逆に、今のキャラを受け入れてつながることをヨシとしてくれる人間とは、うまくいけば一生モノの関係に復帰できるかもしれない。
お互いに以前の余計なイメージを取っ払って、例えば同級生なら40歳を超えた者どうしの明け透けな付き合いができていけばそれでよい。
今からつながっていく人間が、人生の中で「ホンモノ」になっていく可能性を秘めているのだとすれば、そういう機会を大切にしなくてはウソということであろう。
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