blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

思い立ったが吉日

2018-08-29 20:20:40 | 休日
夏休みのことをようやく書き終え、退屈な平日(今週の月曜夜は友人と飲んでいたが)のことは書く価値もないので省き、今回は8月26日のことを書いて時系列で強引にかなり追いついておくことにする。

お盆休みの疲れもあって、25日26日の2日間は引きこもりを決め込んでもいいくらいに思っていた。
25日はその通りに休み、整理が付いていなかった旅行先での資料などを片付けたりした。
さて、翌日の26日、今や休みだからと言って9時10時に目がさめることはなく、その日も7時くらいだった。
外は快晴、しかし日中は猛暑日の予想だ。
ゆっくりしたい気は残っていたが、日がな自室で冷房をかけて過ごすのもどうかと思ったのと、夏休みの間に酷暑の中をほったらかしにしていたクルマのためにも、どこかに出かけようと少し考えた。
結果、避暑も兼ねてとりあえず「山」に行くことに落ち着き、三重県北部の御在所岳を目指すことにした。

これまで三重県には列車による訪問が多く、クルマで行ったのは青山高原くらい、北勢地域の内陸部となると初めてであった。
ナビは積まない主義のため、道路地図を助手席に広げての危うい小旅行が始まった。
それにしても、北勢地域は新名神など高速道路の建設が急だし、一般国道のバイパスも至る所にある。
少しでもラクをしたいとそれらを利用するのだが途中でブツ切れになっていて道に少し迷い、これだったら普通に国道23号線で四日市市街まで来てそれから山手に向かえばいいということに結果的になってしまった。

子供さんたちはあるいは夏休みの最終日だったか、湯の山温泉街の入り口で渋滞が始まり駐車場まではずいぶん時間を食ってしまったが、それでも午後を少し過ぎたあたりで、御在所ロープウェイの湯の山温泉駅にたどり着いた。



地図で見るイメージよりははるかにスケールも大きく、乗車時間も上りで15分となれば相当に長い部類である。
険しい地形を一気に上がるこのロープウェイ、下の写真中央に見える白い「6号鉄塔」は高さ61mで日本一の高さだそうだ。



御在所岳頂上がある山上公園(別途スキーリフトで行く)は後に回し、ロープウェイ山上駅の近辺を散策。
2枚目は、国土交通省の雨量計レーダーと書いてあった。





いよいよ頂上のある山上公園へ向かうためリフトに乗車。(写真は公園側からロープウェイ駅を望むアングル)
リフトを降りてすぐのところに頂上と三角点があった。





あえて無理な体勢で撮った下の写真、いつも思うがこの状況で私の体に何かあったら、三重・滋賀どちらの県の救急車が来るのだろうか。



滋賀県の領域にも入っていることで、もちろん琵琶湖も視界に入るロケーションではあるが、この日は空気もかすんでいて、よく目を凝らして「ああ、あれがそうか」という程度の見え方で、写真を後で見返してもよく分からなかったのは残念だ。

気軽に来れるとはいえ急峻な山の上、少し歩くとさすがに暑いのだが、気温は下界よりは10°Cくらい差があり、風の涼しさは下界とはまるで違っていて、中には「寒い〜」と言っている男性もいたくらいだ。
ロープウェイ駅の3階からあらためて伊勢湾方面の素晴らしい景観を写真におさめて山麓駅に下りた。



湯の山温泉街から下って、近鉄湯の山線の終点である湯の山温泉駅を撮影。
しかしこの駅、温泉街からは3.5kmも離れているので注意である。
三重交通バスとの連携は完璧だとは思うのだが、四日市市街に向かう国道沿いには「アクアイグニス」なる新しい温泉施設もあったから、旧の温泉街も集客にあれこれ知恵を絞っていることだろう。



帰りは四日市市街まで出て国道1号線で桑名市に入り、過酷な行程に耐えた愛車を揖斐川沿いの堤防で撮影。



この後はもう少し頑張ってもらい、揖斐川の近鉄とJRが並行している鉄橋でのしばしの撮り鉄タイムに付き合ってもらった。
桑名駅方面から揖斐川に向かう列車は右に大きなカーブを切りながらやって来るので見た目にも迫力があったし、走行中の列車としては今までで最も近い距離での写真を撮ることもできた。
その後は木曽三川公園近くから進路を東にとり、国道302号線を道なりで走って無事に春日井に帰ったのであった。

当地に来てから、もちろんまだまだ名所はたくさんあるとはいえ、思いつくところには足を運ぶようにして、思い出もたくさんできた。
まだ中身は明らかにはできないが、いよいよ当地での生活も今後そう長くないであろうことが判明したため、今回の御在所岳は文字通り行っておいてよかったということになった。
9月になれば、落ち着いて遠出することもできなくなるかもしれず、しかし今の私の職場での状況を考えれば、もはや出身地でもない土地に私がい続ける意味はあまりなくなっている。
3年間は本当にあっという間で、そのうち2ヶ月は病気療養こそあったが、ほとんどの期間は元気に楽しく過ごすことができた。
当地での機会を与えてくれた会社、また公私を問わず私のような人間を支えてくれた様々な人々に感謝して、気持ちよく次の環境に行けたらと思っている。

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