もう仕事をしに行くことはないとはいえ、今の事業所にはあと1回か2回は足を運ぶ。
法的な側面はさておいて、離職希望日ひと月前の意思の伝達という慣例よりも私の場合はちょうど1週間遅れてしまったため、その分書類的な伝達に急ぎのものが残っている。
事業所を離れたところでは、自分の生活とりわけタイムリミットがいちばん近い住まいの面で相当にタイトな動きを余儀なくされている。
9月末に台風24号が通過して月が明けた後は、堰を切ったようにあちこち動き回っているのが現状だ。
もともと9月の最終週は5日間きっちり出てすっきりとした気持ちで事業所を出てきたい希望もあったが、私自身の状況、また私自身が周囲に及ぼした影響により、チームとして一緒に働くことは限りなく無理に近くなったため9月の出勤は免除された。
緊張の糸が切れ、疲れがどっと出て結果的には心身の疲れを取り除くのにはいい時間とはなったが、10月に入ったらすぐに覚悟を決めて動き出さなくてはならなかった。
まず新しい住まいを決め、その後はできるだけ早く次の仕事を見つけなくてはならない。
不安要素ばかりが残るからと自宅で手をこまねいていても何も始まらない。
役所や手続きは待ってはくれないから、やるべきことを優先順位をつけて書き出して、スケジュール化して動かないと、宿無しや無保険などあってはならないことに陥る。
実際のところは10月アタマから動き出して早すぎることは何一つなく、特に住まいに関してはエンドが決まっている以上、何よりも優先すべき事柄であり、今日は目をつけていた物件を見学し、あらためて業者さんに出向いて説明を受けるまでいった。
今日10月3日の時点でそこまでやっておくこと自体が、実はスケジュール的にはちょうどかなという程度で、のんきに動き出しを来週などとしていたら、今の住まいと新しい住まいの契約期間が重なる日がなくなり、今の住まいをいったん出た後、数日新しい住まいに入れないという恥ずかしい事態になるところであった。
こうやっていろんな用事に追われながらでも動きに動いて不安を一つずつ消していってまず住まいが決まり、最終的に仕事が見つかるまで行けば、本当の意味での落ち着きを取り戻すことができる。
なお、退職後は地元富山に帰ってリセットしての再出発を当初は頭には描いていたのだが、仕事(求人)の量や種類は当地が圧倒的に多く、地元では条件にこだわればかなり限定されることが分かった。
できるなら、今回を機に家族全員が近くに集まって助け合って生きていければという思いはあった。
しかし、次男の私は実家にスペースはなくいずれにしろ住まい探しは必要であったし家賃も言うほどは違わない。
仕事の選択肢が当地よりも狭い中では就職活動の大変さも増すし、何より当地そのものがイヤなわけでは全くなく3年間過ごしてある程度の土地勘もできている。
冬の足元もいいし、何より三大都市圏、地元よりは便利さは格段に上だ。
ただ一人地元を離れて家族と引き続き離れて暮らす選択がつらくなかったわけはない。
しかし、以上のことを考え合わせ、悩みに悩んだ末、当地で再出発を図るのが最善と判断したのである。
富山の仲間には、期待させた分はお詫びを言わなくてはならない。
長めの休みがあるなら、旅行もいいがなるべく富山に帰る機会を今後は増やしていけたらいいと思っている。
法的な側面はさておいて、離職希望日ひと月前の意思の伝達という慣例よりも私の場合はちょうど1週間遅れてしまったため、その分書類的な伝達に急ぎのものが残っている。
事業所を離れたところでは、自分の生活とりわけタイムリミットがいちばん近い住まいの面で相当にタイトな動きを余儀なくされている。
9月末に台風24号が通過して月が明けた後は、堰を切ったようにあちこち動き回っているのが現状だ。
もともと9月の最終週は5日間きっちり出てすっきりとした気持ちで事業所を出てきたい希望もあったが、私自身の状況、また私自身が周囲に及ぼした影響により、チームとして一緒に働くことは限りなく無理に近くなったため9月の出勤は免除された。
緊張の糸が切れ、疲れがどっと出て結果的には心身の疲れを取り除くのにはいい時間とはなったが、10月に入ったらすぐに覚悟を決めて動き出さなくてはならなかった。
まず新しい住まいを決め、その後はできるだけ早く次の仕事を見つけなくてはならない。
不安要素ばかりが残るからと自宅で手をこまねいていても何も始まらない。
役所や手続きは待ってはくれないから、やるべきことを優先順位をつけて書き出して、スケジュール化して動かないと、宿無しや無保険などあってはならないことに陥る。
実際のところは10月アタマから動き出して早すぎることは何一つなく、特に住まいに関してはエンドが決まっている以上、何よりも優先すべき事柄であり、今日は目をつけていた物件を見学し、あらためて業者さんに出向いて説明を受けるまでいった。
今日10月3日の時点でそこまでやっておくこと自体が、実はスケジュール的にはちょうどかなという程度で、のんきに動き出しを来週などとしていたら、今の住まいと新しい住まいの契約期間が重なる日がなくなり、今の住まいをいったん出た後、数日新しい住まいに入れないという恥ずかしい事態になるところであった。
こうやっていろんな用事に追われながらでも動きに動いて不安を一つずつ消していってまず住まいが決まり、最終的に仕事が見つかるまで行けば、本当の意味での落ち着きを取り戻すことができる。
なお、退職後は地元富山に帰ってリセットしての再出発を当初は頭には描いていたのだが、仕事(求人)の量や種類は当地が圧倒的に多く、地元では条件にこだわればかなり限定されることが分かった。
できるなら、今回を機に家族全員が近くに集まって助け合って生きていければという思いはあった。
しかし、次男の私は実家にスペースはなくいずれにしろ住まい探しは必要であったし家賃も言うほどは違わない。
仕事の選択肢が当地よりも狭い中では就職活動の大変さも増すし、何より当地そのものがイヤなわけでは全くなく3年間過ごしてある程度の土地勘もできている。
冬の足元もいいし、何より三大都市圏、地元よりは便利さは格段に上だ。
ただ一人地元を離れて家族と引き続き離れて暮らす選択がつらくなかったわけはない。
しかし、以上のことを考え合わせ、悩みに悩んだ末、当地で再出発を図るのが最善と判断したのである。
富山の仲間には、期待させた分はお詫びを言わなくてはならない。
長めの休みがあるなら、旅行もいいがなるべく富山に帰る機会を今後は増やしていけたらいいと思っている。