スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&見舞いと迎え

2018-11-02 19:15:05 | 地方競馬
 昨晩の第45回北海道2歳優駿
 ウィンターフェルが発馬直後に躓きましたが大事には至らずすぐに立て直しました。先手を奪ったのはイグナシオドーロ。2番手にマイコートとリンノレジェンド。4番手がトイガー,5番手がサクセッサー,6番手がウィンターフェルでここまで一団。2馬身ほど離れた中団にスズカユース,イッキトウセン,イルジオーネの3頭。5馬身離れた後方集団はテイエムアカリオー,ミヤケ,ホワイトヘッドの3頭。さらに2馬身離れてロビュストが最後尾という隊列。超ハイペースだったのではないかと思います。
 3コーナーを回るとイグナシオドーロの外にリンノレジェンドが並び掛けていきマイコートは後退。リンノレジェンドの外からウィンターフェルが追い上げ,その後ろは内にイッキトウセンとトイガー。直線の手前でリンノレジェンドは苦しくなり,ウィンターフェルが2番手に上がってイグナシオドーロに並ぶとここからフィニッシュまで2頭の競り合い。抜きつ抜かれつの争いが延々と続いてフィニッシュ。優勝は外のウィンターフェルでイグナシオドーロがハナ差の2着で確定になりました。しかしこれは誤審で,実際に先着していたのはイグナシオドーロだったと発表されています。後方から追い上げてきたミヤケが5馬身差で3着。
 確定した着順は,禁止薬物などの規則違反があった場合か、走行妨害を受けた陣営からのアピールがない限り変更されないルールになっています。今回はどちらにも該当しないので,実際には2位で入線した1着馬が優勝馬として記録に残ることになると思われます。
 優勝したとされているウィンターフェルはここが4勝目で重賞初制覇。このレースはJRA勢に500万で実績を残した馬も新馬を勝った馬も不在で例年に比べるときわめて手薄。それならウィナーズチャレンジ5とサンライズカップで上位争いをした北海道の馬たちがここも上位を争うだろうと見立てていて,その通りの結果。3着馬はこれが初ダートのJRA馬で,それに対して決定的な差をつけた2頭の能力レベルはこの着差の通りと判断していいでしょう。ただ相手のレベルが低かったゆえの大きな差ともいえますから,ダートで確たる実績を残している馬たちとどこまで戦えるのかはまだ分からないといえます。父は2010年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年にアメリカジョッキークラブカップを勝ったダノンバラードでその父はディープインパクト。馬名の英語表記はWin Tafelで,Tafelは人名。
 2019年2月28日に,競走成績は正しい着順に基づいて決定するとの発表がありました。よって優勝はイグナシオドーロ。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。母の8つ上の半兄に2003年にサラブレッドチャレンジカップを勝ったタマモリッチ
 騎乗した北海道の阿部龍騎手は2017年のエーデルワイス賞以来となる重賞2勝目。管理している北海道の角川秀樹調教師も2017年のエーデルワイス賞以来の重賞制覇で重賞9勝目。第36回,42回に続き3年ぶりの北海道2歳優駿3勝目。

 午前中に母の見舞いに行き,院内のコンビニエンスストアで適当な昼食を買い,病室で昼食を摂ってから妹の迎えに行く算段で,これはその通りにしました。通所施設の場所には,病院から行く場合にも家から行くのと同様に,上大岡を経由することになります。というか通所施設は僕の家より病院からの方が遠いので,バスだけで行くなら必然的にそうなります。みなと赤十字病院から上大岡駅には直通のバスがあります。なのでできればそれに乗っていきたいと思っていました。ただこのバスは1時間に1本の運行で,上大岡駅に到着する時間が中途半端でした。つまりすごく早くなってしまうか,そうでなければ遅れてしまうかのどちらかだったのです。なのでこの経路は断念せざるを得ませんでした。よってみなと赤十字病院から根岸駅に戻り,そこから上大岡行きのバスに乗り換えるという経路で迎えに行きました。母が緩和病棟に入っている間に僕は何度か妹の迎えに行っていますが,この日に限らず,いつでもこの経路を利用しました。
 7月21日,土曜日。19日に根岸駅前にサイゼリヤがオープンしました。伯母と妹はこのサイゼリヤで昼食を摂り,それから母の見舞いに行きました。僕はその後でひとりで見舞いに行きました。伯母と妹はまだ残っていました。伯母が先にひとりで帰り,妹は僕と帰りました。僕たちが帰宅したのが午後5時でした。
                                     
 母はまだ自分の口でものを食べていたものの,ほんの数日前の入院前と比べてもその量は著しく減少していました。また,血中の酸素濃度が薄かったために酸素吸入をしていたのですが,それでも呼吸が苦しいと訴えることがありました。僕はこの日に,もういつ何があってもおかしくはないという状態に突入したのではないかと思いました。なので僕はこの日以降,といってもこの日は別なので22日以降ということになりますが,どこかに出掛けるときには,たとえ早く帰ることができる予定の場合であっても,常にインスリンを携帯するようにしました。たとえば出先で連絡が入っても,そのまま帰宅せずに病院に直行することができるようにし,かつ病院である程度の日時の滞在を可能にするためです。

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