メイセイオペラ記念の第21回マーキュリーカップ。
ダッシュがよかったのはクリノスターオーでしたが逃げる気はなかったようで,外から押して交わしていったドリームキラリの逃げに。発走後の正面では2番手をクリノスターオーとディアデルレイで併走。4番手をピオネロとオープンベルトで併走。6番手にドラゴンエアルで7番手にミツバ。コーナーを回ると隊列に変化が生じ,クリノスターオーが単独で2番手。この後ろをピオネロとディアデルレイで併走。5番手にオープンベルト,6番手にミツバ,7番手にドラゴンエアルとなり,8番手以降の馬は大きく離されました。ミドルペースだったと思われます。
直線の手前からクリノスターオーがドリームキラリに並び掛けていきました。直線に入るとディアデルレイは脱落してドリームキラリとクリノスターオーの間を突いたのがピオネロ。クリノスターオーのさらに外から追い込んできたのがミツバで4頭の叩き合い。この叩き合いからドリームキラリは脱落。残る3頭は最後まで競り合いを続けましたが,制したのは大外のミツバ。3頭の中では最内のピオネロがクビ差で2着。真中のクリノスターオーは半馬身差で3着。
優勝したミツバは重賞初勝利。昨年10月と12月にオープンを連勝。前々走の重賞はやや不可解な騎乗で大敗しましたが前走のオープンは勝利。メンバー次第で重賞制覇に手が届くところまできていました。このレースは上位3頭が能力的に抜けていたと思いますので,結果は順当なもの。このメンバーでこの着差だとまだ大レースでは厳しそうですが,展開面では最も不利だったといえますので,着差以上の評価はしていいでしょう。このクラスのメンバーなら常に上位争いということになっていきそうです。父は第14回を制したカネヒキリで父仔制覇。祖母は1994年に報知杯4歳牝馬特別とサンスポ杯4歳牝馬特別を勝ったゴールデンジャック。その全弟にスターリングローズ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している加用正調教師はマーキュリーカップ初勝利。
第五部定理一四証明が,共通概念notiones communesを介して身体的変状corporis affectiones,affectiones corporisを神Deusに関連させることができるといっている点については,ちょっとした注意が必要になります。
スピノザが何かを「考えるconcipere」という場合には,原則的にそれが精神の能動actio Mentisであることを意味します。第一部定理一五で,神Deoなしには何も考えるconcipiことはできないといわれている場合も,それが意味されていると解しておくのが妥当だと思います。つまりこれは第二部定義三説明でいうところの概念conceptusを意味します。
これに対していえば共通概念は,一般的概念notiones universalesに近い思惟の様態cogitandi modiという性質を有します。なぜなら第二部定理三七により,共通概念は個物の本性を構成しないからです。なのでこれは精神の能動を意味する概念ではない概念notioであるということが可能です。実際にそれが個物の十全な観念idea adaequataではないということ,第五部定理四の意味でいえば,自分の身体corpusの十全な観念ではないし自分の身体を刺激する外部の物体corpusの十全な観念でもないという点に留意するなら,このようないい方も可能になるでしょう。
なので第五部定理一四証明の手続きは,ある意味においては異なった意味を有するふたつの概念を混在させているということも不可能ではないでしょう。ただし,これは日本語で両方が概念と訳されているために生じているだけであって,実際にスピノザが意味したいと考えていることとは異なっている筈だと僕は考えます。
第二部定理三七は,確かに共通概念が個物の本性を構成することはないということ,すなわちそれが個物の十全な観念ではあり得ないということを主張しています。けれども第二部定理三八や第二部定理三九が意味するのは,共通概念を思惟の様態としてみた場合に,それが十全であるか混乱しているかの二者択一であるなら,十全であるということであるといえます。とりわけ第二部定理三八で,共通概念が十全にしか考えられないといわれる場合にも,精神の能動が意味されていることは明白だと思います。
そしてここでは,それが十全か混乱しているかが問われます。十全ならそれは神なしに考えることができないあるものなのです。なのでここには不都合があるとは僕は考えません。
ダッシュがよかったのはクリノスターオーでしたが逃げる気はなかったようで,外から押して交わしていったドリームキラリの逃げに。発走後の正面では2番手をクリノスターオーとディアデルレイで併走。4番手をピオネロとオープンベルトで併走。6番手にドラゴンエアルで7番手にミツバ。コーナーを回ると隊列に変化が生じ,クリノスターオーが単独で2番手。この後ろをピオネロとディアデルレイで併走。5番手にオープンベルト,6番手にミツバ,7番手にドラゴンエアルとなり,8番手以降の馬は大きく離されました。ミドルペースだったと思われます。
直線の手前からクリノスターオーがドリームキラリに並び掛けていきました。直線に入るとディアデルレイは脱落してドリームキラリとクリノスターオーの間を突いたのがピオネロ。クリノスターオーのさらに外から追い込んできたのがミツバで4頭の叩き合い。この叩き合いからドリームキラリは脱落。残る3頭は最後まで競り合いを続けましたが,制したのは大外のミツバ。3頭の中では最内のピオネロがクビ差で2着。真中のクリノスターオーは半馬身差で3着。
優勝したミツバは重賞初勝利。昨年10月と12月にオープンを連勝。前々走の重賞はやや不可解な騎乗で大敗しましたが前走のオープンは勝利。メンバー次第で重賞制覇に手が届くところまできていました。このレースは上位3頭が能力的に抜けていたと思いますので,結果は順当なもの。このメンバーでこの着差だとまだ大レースでは厳しそうですが,展開面では最も不利だったといえますので,着差以上の評価はしていいでしょう。このクラスのメンバーなら常に上位争いということになっていきそうです。父は第14回を制したカネヒキリで父仔制覇。祖母は1994年に報知杯4歳牝馬特別とサンスポ杯4歳牝馬特別を勝ったゴールデンジャック。その全弟にスターリングローズ。
騎乗した松山弘平騎手と管理している加用正調教師はマーキュリーカップ初勝利。
第五部定理一四証明が,共通概念notiones communesを介して身体的変状corporis affectiones,affectiones corporisを神Deusに関連させることができるといっている点については,ちょっとした注意が必要になります。
スピノザが何かを「考えるconcipere」という場合には,原則的にそれが精神の能動actio Mentisであることを意味します。第一部定理一五で,神Deoなしには何も考えるconcipiことはできないといわれている場合も,それが意味されていると解しておくのが妥当だと思います。つまりこれは第二部定義三説明でいうところの概念conceptusを意味します。
これに対していえば共通概念は,一般的概念notiones universalesに近い思惟の様態cogitandi modiという性質を有します。なぜなら第二部定理三七により,共通概念は個物の本性を構成しないからです。なのでこれは精神の能動を意味する概念ではない概念notioであるということが可能です。実際にそれが個物の十全な観念idea adaequataではないということ,第五部定理四の意味でいえば,自分の身体corpusの十全な観念ではないし自分の身体を刺激する外部の物体corpusの十全な観念でもないという点に留意するなら,このようないい方も可能になるでしょう。
なので第五部定理一四証明の手続きは,ある意味においては異なった意味を有するふたつの概念を混在させているということも不可能ではないでしょう。ただし,これは日本語で両方が概念と訳されているために生じているだけであって,実際にスピノザが意味したいと考えていることとは異なっている筈だと僕は考えます。
第二部定理三七は,確かに共通概念が個物の本性を構成することはないということ,すなわちそれが個物の十全な観念ではあり得ないということを主張しています。けれども第二部定理三八や第二部定理三九が意味するのは,共通概念を思惟の様態としてみた場合に,それが十全であるか混乱しているかの二者択一であるなら,十全であるということであるといえます。とりわけ第二部定理三八で,共通概念が十全にしか考えられないといわれる場合にも,精神の能動が意味されていることは明白だと思います。
そしてここでは,それが十全か混乱しているかが問われます。十全ならそれは神なしに考えることができないあるものなのです。なのでここには不都合があるとは僕は考えません。